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第一章 幼少期
お母さんの育った環境
しおりを挟むところで皆さんは、自分のお母さんがどのようにして育ったのかちゃんと聞いた事があるでしょうか。
うちではお母さんの子供の頃の話を何度となく聞かされていた。
呼び方がややこしくなるから
私のお母さんの父親(私のお祖父ちゃん)→パパ
私のお母さんの母親(私のお祖母ちゃん)→ママ
私のお母さんの父親がお付き合いしてた人→彼女
これでご理解下さい。
お母さんがまだ2歳にもならない頃
両親は離婚をしてお母さんのママはお兄ちゃんだけを連れて家を出ていってしまった。
それきりお母さんはママに一度も会っていない。
大人になって会いたいと言われたけど、やっぱり合わす顔がないと言って約束の場所に現れなかった。
それきり。。。
お母さんのパパはギャンブル好きで相当な資産を全て注ぎ込み、結局どん底の貧困生活をしていたそう。
ひどい時は毎日もやしだけをひたすら食べる生活。
競馬で大当たりするとデパートで何でも買ってくれて、レストランでご馳走を食べさせてもらう。
パパの逆鱗に触れれば天井から逆さまに吊るされてお仕置きされる。
とにかく可愛がってくれた時の話と、ひどい扱いを受けてる時の話に差がありすぎた。
こんなんではママが出て行ってしまうのも当たり前だ。
ママは本当はお母さんを連れて行きたかったらしいけど、パパが離さなかったんだって。
それならもっとまともな生活をさせてあげればよかったのに‥‥
ただここまでの話をもっと詳細に話すお母さんからは、パパのことを恨んだり嫌っているような雰囲気を感じなかった。
不器用だけど生活の中に確かに愛情を感じる事もあったんだろう‥‥
それとも私と同じように相当鈍い世界にいたのか、時代背景がそうだったのか‥‥
お母さんが小学3年生の頃パパはある日女の人を連れてきて、その彼女と3人暮らしが始まった。
その彼女はお母さんが邪魔だったらしく、(そりゃそうなるよね)かなり意地悪な事を沢山した。
中でも子供ながらにお母さん可哀想って泣きそうなったエピソードは当時の私には衝撃だった。
その彼女は時々お母さんに買い物に行かせた。
あまり頭の良い人ではなく、お釣りの計算に無頓着だったそう。
お母さんは家の中では食事を与えられていなかったから、いつもお腹が空いていた。
そこで買い物を頼まれた時にお釣りを誤魔化して袋菓子を買い、行き帰りの途中に隠すようになった。
いっぺんに食べてしまうとまたいつチャンスが来るかわからないから、途中で隠したお母さん。
何度か繰り返すうちにとうとうバレてしまった。
当然ご飯を貰えないからと言っても子供の言うことだ。信じてもらえない。
遂にはお母さんを養護施設に追いやってしまった。
そこでの生活が不安だったのか、それまでの生活がストレスだったのか
夜中におねしょをするようになってしまったお母さん。。。
そしてその施設には3年ほどいたはずなのに、殆ど記憶が残っていないのだ。
数年後パパは1人でお母さんを引き取りに来た。
彼女のお母さんいびりの悪事がいろいろバレたのだろうか
それともギャンブル狂のパパに彼女が愛想尽かしたのか‥‥
当時子供のお母さんには何の説明もなっかったそう。
果たしてパパの元に帰れる事がお母さんにとって良い事だったのかは疑問だけど
またギャンブル狂いのパパとの2人の生活が始まった。
お母さんは中学生に上がっても制服も買って貰えず、着古したお下がりを着ていた。
貸し本屋で漫画を借りて、今じゃ見たこともない量り売りのお菓子屋さんで買ったお菓子
小さなドーナツ型のビスケットにお砂糖がまぶされてるのを一袋買って
それをつまみながら一日過ごす。
漫画もお菓子も5円とか10円とかの時代。一番安上がりな休日の過ごし方だって。
勉強は全然出来なくて成績表は常に1と2。
そもそもパパがお母さんに学費を費やす気がないのだから、勉強する意義も感じられなかったと思う。
卒業したらそのまま工場に働きに出され、殆どの給料をパパに渡した。
わずかなお小遣いをそれでもコツコツと貯めて、洋裁学校に通うことを密かな目標にしていたお母さん。
会社で出来た友達はみんな優しかった。
遊びに出かけてもお母さんの貧乏を察して、みんながフォローしてくれた。
一杯のラーメンをみんなが少しづつ出し合って奢ってくれるのだ。
嬉しいけど、それが惨めで情けなくて情けなくて
だから私たちにはお小遣いだけは不自由させたくないといつも言っていた。
そんな細やかなお母さんの毎日もギャンブル狂のパパによってとうとう壊されてしまった。
(皆さん嫌な予感してましたよね‥‥)
コツコツ貯めていた洋裁学校貯金を根こそぎ競馬に注ぎ込まれてすっからかんにされてしまったのだ。
これにはお母さんとうとう我慢出来ず、家を飛び出す決意をした。
知人を頼ってスナックで住み込みで働き始めたお母さんは二十歳の時お父さんと知り合う。
当時良くお店に来ていたお父さんは、媚びない感じのお母さんを気に入って何度かデートに誘う。
実際お母さんはお父さんがタイプじゃなくて、気に入らない事があると
デート中でも車を降りて帰ってしまうような事もあったそう。
そんなこんなで半年付き合ってみた後、自分の辛い生い立ちからにげるようにお父さんと結婚したのだ。
お父さんはお母さんから聞かされていたパパの横暴ぶりに、殴られても仕方ない覚悟で挨拶に行った。
案外穏やかだったらしいけど当時のパパの借金、いくらあったかは知らないけどその全てを背負う決心をして
挨拶に行ったんだと言っていた。
お母さんは朝起きる事が苦手で保育園時代から私にもお姉ちゃんにも朝ごはんを用意しないし
保育園まで送ってくれない。
お姉ちゃんと永谷園のお茶漬けかインスタントラーメンを半分づつしたり
目玉焼きか炒り卵、マルシンハンバーグかレトルトハンバーグ。
それが姉妹の朝ごはんの定番だった。
朝ポンキッキを見終わるとお母さんを起こす。「お母さんもう保育園行くね。」
お布団の中からお母さんは「6チャンネルに変えてって。。。。。」
と言うだけで顔も出さない。お母さんを起こすのはその先もずっと私の仕事になる。
お昼間近になると近所のスーパーで買ったパンを走って持って保育園に届ける。
私はそのパンが苦手だった。
小学校に上がると3回4回に分けてお母さんを起こすようになる。
起こすたびにあと30分、あと30分てなって、次に10分刻みになって
最後「もう私は学校に行くからね!」そう宣言して家を出た。
お母さんの子供の頃の話は、何度も聞かされていた。
可哀想なお母さん。漠然とそんな風に思っていた。
でも4年生、5年生と1つ歳を重ねる毎に理解は進んだ。
優しいママがいなかったから私の事を庇ってくれないんだ。
ママがいなかったから子供との接し方もわからないんだ。
スキンシップもされてこなかったから苦手なんだ。
子供の頃は誰にも話を聞いてもらえなかったんだ。
お母さんに何かを求めたら可哀想なんだって。
お母さんにも甘えさせてくれる人はいなかったんだから。
私はお母さんに思い切り抱きついて甘えてみたかった。
沢山沢山話を聞いて欲しかった。
それは母親とはそう言うものだって、友達の話や本やテレビドラマから得る情報で
そうらしいよ‥‥ってくらいの感覚で
実際丸1ヶ月親戚のお家に泊まりに行っても、お父さんとお母さんがいなくて寂しいって思ったことは
ただの一度もなかった。
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