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番外編
【番外編】30%の不純物
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須藤正臣の自室は、須藤家本邸の二階、一番南側に位置している。
その部屋には大きな窓が三つあり、イギリス風な建物によく似合う、イングリッシュガーデンが見渡せた。60平米ほどの広い空間だったが、本邸の中では子ども部屋と呼ぶにふさわしいほど狭い方だった。しかし、子ども部屋ほど無邪気な物はない。そこにあるのは来客用のソファーと、大人びた調度品の数々だ。
壁面には天井まで届くほどの巨大な本棚が構えていて、その中には須藤家跡取りとしての教養――経営学や外国語の専門書が詰まっている。
本棚の隣にはシックな装いのチェストがあって、トロフィーと賞状が無機質に部屋の中を見つめていた。
正臣の寝室は、部屋の中、扉一枚挟んだところにある。
中央にあるキングサイズのベッドは、黒と茶を基調としたシンプルなデザインだけれど、国内の一級メーカーが作ったもので、おおよそ数百万円はくだらない代物だった。
そのベッドの上。ふんわりと沈むスプリングの上で、華奢な少年が泣いている。
別邸から連れてきた彼は、もう数十分間ずっと、その場所でしゃくり上げていた。
彼の身体には、いくつもの傷や痣が出来ていた。それは他でもない正臣がつけたものだったが、正臣にとってそれは、彼が自分のものであるという確かな証だった。
「……うるさいよ」
傷だらけの背中に、声をかける。
ぴくり、と彼の肩が動いた。
首元には、いっそうひどい青ずみがあって、首筋を囲むように輪の形が出来ていた。
首輪を贈ってやったら、きっと似合うだろう。金属製のものがいい。どこにもいかないように。
彼は小さく身じろぎをして、身体を丸めた。
しばらくして、しゃくり声は微かなすすり泣きに変わった。
かろうじて声を押し殺すようにはなったけれど、耳障りなことには変わりない。
薄く、正臣はため息を吐く。無理やり黙らせてやってもいいのだけれど……。
でも、彼はもう随分長いこと泣いているし、身体の水分も枯渇してきた頃だろう。
それでなくても無茶なPlayをした後なので、体力も尽きているはずだった。
そこで、ふと、サイドの丸テーブルが目に入った。
飲みかけのティーセットとお茶菓子の入ったバスケットが置かれている。バスケットの中に正臣の好物のチョコレート入りのスコーンがまだ何個か残っていた。
一つ、拾い上げて、ベッドサイドに腰をかける。
びくっと大きく跳ねた彼が、こちらを振り返った。
「ひっ、な、なに……」
視線は正臣の一挙手一投足を見逃さないようにと震えている。
「ほら」
その口元に、正臣は菓子を差し出した。
今度は瞳に当惑の色が浮ぶ。
彼は正臣と菓子とを交互に見比べて、拒否すればまた酷い目にあうと思ったのか、恐る恐るといった様子でそれに噛みついた。
涙が止まった。
もう一口。彼が噛みついて。無言のままモグモグと咀嚼する。
膨れていく頬が栗鼠みたいだ。くすっと誰にもバレない微笑を正臣はもらした。
「んっ!?」
そこで、彼の顔が歪む。
「に、がい」
どこか幸福な気分は、その言葉一つで崩れてしまった。
「ああ……」
そういえば……。
中に入っているのは、純度70%の高カカオチョコレート。
健康管理と称して幼い頃から糖分を制限されてきた正臣にとって、それはちょうどよい甘さだったけれど、甘やかされて育ったお子様には大人の味だったかもしれない。
「桐野」
傍らに控えていた従者に呼びかける。
ここ最近、美斗といるときはいつも傍についている。他人の情事を聞いて、気分がいいこともないだろうに。
感情の伺えない顔が、こちらを向いた。
「何か他に甘いもの……」
そこで、はたと気が付く。
自分は今何をしようとした?
施しを与えようとしたのか。このSubに?
喉の奥が氷を飲み込んだみたいに冷えていく。ベッドを振り返ると、彼はしゃくりあげながら菓子を口元に運んでいた。
文句を言いながらも嫌いではないようで、チョコの部分を避けながら菓子を食んでいる。
目元に浮かんだ涙の痕を冷めた目で見つめて、正臣は口角を上げた。
手のひらを宙に上げて、バシッと頬を叩く。
乾いた音が部屋に響き渡った。
取りこぼしたスコーンがベッドから落ちて、重厚なカーペットに転がり落ちる。
美斗は呆然として、少し遅れてから自分のされたことに気が付いたみたいだった。
腫れた瞳にさらに大粒の涙が浮かんで、きゅっと唇を嚙み締める。
ああ。やはり涙の方が似合う。胸の奥に疼く愉悦に、正臣は心底安心した、
「僕が与えてやったものに文句を言うなんて、いい度胸しているじゃないか」
もう一回だ。
腕を振り下ろす。
「正臣様」
しかし、その手は桐野に止められた。
「お戯れはそのぐらいで。そろそろお時間です」
邪魔をするなよ。
一瞬。正臣は桐野を鋭く睨みつけ、遅れてから現実を思い出した。
はぁ、と深く息をつく。
壁掛けの時計に目をやる。時刻は十五時を過ぎたところだった。
今日は父の商談に同行する予定だった。
ああ嫌だな。今日の相手は好かない。
成金のくせに自慢話ばかりをして、世襲企業だと須藤を愚弄する。
どれだけ財を成しても、コンプレックスが消えなければ心は貧しいままだ。
割れたグラスのような虚栄心を一時的にでも満たすために、力のないもののマイノリティを利用する。
ああ。でもそれは――。
自分も同じだったか。
はっ。口元から零れた自嘲は、正臣以外、誰も聞いてはいなかった。
「そこで反省しているといいよ」
またしゃくり上げた背中に、そう告げる。
床に転がった菓子の欠片が、正臣を恨めし気に見つめていた。正臣はほんの一瞬だけ綺麗な顔を歪めた。
「片付けておいて」
傍らの桐野に言い置いて、正臣はその部屋を後にした。
*
数年後。
警視庁と提携している医療施設の一室で、須藤正臣は瞼を開けた。
寝心地よりも医療ケアを優先したベッドは、正臣の自室にあるキングサイズのベッドに比べると随分と固い。
消毒液の香りが鼻を掠めて、一瞬だけ正臣は眉間に皺を寄せた。
「目が覚めましたか?」
頭上から誰かが問いかける。
胡乱な目でそちらを見上げると、三十代ぐらいの男がこちらを見下ろしていた。
その男の顔を、正臣は桐野の調査資料で見たことがあった。
彼の同僚の一人だ。
「自分が…にをし……のか、覚えて……すか」
その声はこもっていて、上手く聞こえない。
頭の奥がぐわぐわと揺れていて、側頭部から欲求不満の頭痛とはまた違った鈍い痛みが広がっていた。
指先に力を入れて、手のひらを視界にかざす。
あの男の肉を抉った感触がまざまざと蘇って、正臣は自分がどうしてここにいるのか悟った。
隣の男が続けて、「貴方の身柄は、状態がよくなり次第警視庁に送られる」と説明した。
夢で見た懐かしい記憶を、正臣は反芻する。
そのあと、商談で何を話したのか、
帰ってきたあと、いまだ泣き止んでいなかった彼に、それなりの躾をしたと思うけれど、それがどのようなものだったのか、正臣は覚えていなかった。
ただ覚えているのは、手づから与えた菓子に、ただ一瞬心を暖められたことだけだった。
「はっ……」
と正臣は自嘲した。
――今さら思い出すのが、あの景色か。
その部屋には大きな窓が三つあり、イギリス風な建物によく似合う、イングリッシュガーデンが見渡せた。60平米ほどの広い空間だったが、本邸の中では子ども部屋と呼ぶにふさわしいほど狭い方だった。しかし、子ども部屋ほど無邪気な物はない。そこにあるのは来客用のソファーと、大人びた調度品の数々だ。
壁面には天井まで届くほどの巨大な本棚が構えていて、その中には須藤家跡取りとしての教養――経営学や外国語の専門書が詰まっている。
本棚の隣にはシックな装いのチェストがあって、トロフィーと賞状が無機質に部屋の中を見つめていた。
正臣の寝室は、部屋の中、扉一枚挟んだところにある。
中央にあるキングサイズのベッドは、黒と茶を基調としたシンプルなデザインだけれど、国内の一級メーカーが作ったもので、おおよそ数百万円はくだらない代物だった。
そのベッドの上。ふんわりと沈むスプリングの上で、華奢な少年が泣いている。
別邸から連れてきた彼は、もう数十分間ずっと、その場所でしゃくり上げていた。
彼の身体には、いくつもの傷や痣が出来ていた。それは他でもない正臣がつけたものだったが、正臣にとってそれは、彼が自分のものであるという確かな証だった。
「……うるさいよ」
傷だらけの背中に、声をかける。
ぴくり、と彼の肩が動いた。
首元には、いっそうひどい青ずみがあって、首筋を囲むように輪の形が出来ていた。
首輪を贈ってやったら、きっと似合うだろう。金属製のものがいい。どこにもいかないように。
彼は小さく身じろぎをして、身体を丸めた。
しばらくして、しゃくり声は微かなすすり泣きに変わった。
かろうじて声を押し殺すようにはなったけれど、耳障りなことには変わりない。
薄く、正臣はため息を吐く。無理やり黙らせてやってもいいのだけれど……。
でも、彼はもう随分長いこと泣いているし、身体の水分も枯渇してきた頃だろう。
それでなくても無茶なPlayをした後なので、体力も尽きているはずだった。
そこで、ふと、サイドの丸テーブルが目に入った。
飲みかけのティーセットとお茶菓子の入ったバスケットが置かれている。バスケットの中に正臣の好物のチョコレート入りのスコーンがまだ何個か残っていた。
一つ、拾い上げて、ベッドサイドに腰をかける。
びくっと大きく跳ねた彼が、こちらを振り返った。
「ひっ、な、なに……」
視線は正臣の一挙手一投足を見逃さないようにと震えている。
「ほら」
その口元に、正臣は菓子を差し出した。
今度は瞳に当惑の色が浮ぶ。
彼は正臣と菓子とを交互に見比べて、拒否すればまた酷い目にあうと思ったのか、恐る恐るといった様子でそれに噛みついた。
涙が止まった。
もう一口。彼が噛みついて。無言のままモグモグと咀嚼する。
膨れていく頬が栗鼠みたいだ。くすっと誰にもバレない微笑を正臣はもらした。
「んっ!?」
そこで、彼の顔が歪む。
「に、がい」
どこか幸福な気分は、その言葉一つで崩れてしまった。
「ああ……」
そういえば……。
中に入っているのは、純度70%の高カカオチョコレート。
健康管理と称して幼い頃から糖分を制限されてきた正臣にとって、それはちょうどよい甘さだったけれど、甘やかされて育ったお子様には大人の味だったかもしれない。
「桐野」
傍らに控えていた従者に呼びかける。
ここ最近、美斗といるときはいつも傍についている。他人の情事を聞いて、気分がいいこともないだろうに。
感情の伺えない顔が、こちらを向いた。
「何か他に甘いもの……」
そこで、はたと気が付く。
自分は今何をしようとした?
施しを与えようとしたのか。このSubに?
喉の奥が氷を飲み込んだみたいに冷えていく。ベッドを振り返ると、彼はしゃくりあげながら菓子を口元に運んでいた。
文句を言いながらも嫌いではないようで、チョコの部分を避けながら菓子を食んでいる。
目元に浮かんだ涙の痕を冷めた目で見つめて、正臣は口角を上げた。
手のひらを宙に上げて、バシッと頬を叩く。
乾いた音が部屋に響き渡った。
取りこぼしたスコーンがベッドから落ちて、重厚なカーペットに転がり落ちる。
美斗は呆然として、少し遅れてから自分のされたことに気が付いたみたいだった。
腫れた瞳にさらに大粒の涙が浮かんで、きゅっと唇を嚙み締める。
ああ。やはり涙の方が似合う。胸の奥に疼く愉悦に、正臣は心底安心した、
「僕が与えてやったものに文句を言うなんて、いい度胸しているじゃないか」
もう一回だ。
腕を振り下ろす。
「正臣様」
しかし、その手は桐野に止められた。
「お戯れはそのぐらいで。そろそろお時間です」
邪魔をするなよ。
一瞬。正臣は桐野を鋭く睨みつけ、遅れてから現実を思い出した。
はぁ、と深く息をつく。
壁掛けの時計に目をやる。時刻は十五時を過ぎたところだった。
今日は父の商談に同行する予定だった。
ああ嫌だな。今日の相手は好かない。
成金のくせに自慢話ばかりをして、世襲企業だと須藤を愚弄する。
どれだけ財を成しても、コンプレックスが消えなければ心は貧しいままだ。
割れたグラスのような虚栄心を一時的にでも満たすために、力のないもののマイノリティを利用する。
ああ。でもそれは――。
自分も同じだったか。
はっ。口元から零れた自嘲は、正臣以外、誰も聞いてはいなかった。
「そこで反省しているといいよ」
またしゃくり上げた背中に、そう告げる。
床に転がった菓子の欠片が、正臣を恨めし気に見つめていた。正臣はほんの一瞬だけ綺麗な顔を歪めた。
「片付けておいて」
傍らの桐野に言い置いて、正臣はその部屋を後にした。
*
数年後。
警視庁と提携している医療施設の一室で、須藤正臣は瞼を開けた。
寝心地よりも医療ケアを優先したベッドは、正臣の自室にあるキングサイズのベッドに比べると随分と固い。
消毒液の香りが鼻を掠めて、一瞬だけ正臣は眉間に皺を寄せた。
「目が覚めましたか?」
頭上から誰かが問いかける。
胡乱な目でそちらを見上げると、三十代ぐらいの男がこちらを見下ろしていた。
その男の顔を、正臣は桐野の調査資料で見たことがあった。
彼の同僚の一人だ。
「自分が…にをし……のか、覚えて……すか」
その声はこもっていて、上手く聞こえない。
頭の奥がぐわぐわと揺れていて、側頭部から欲求不満の頭痛とはまた違った鈍い痛みが広がっていた。
指先に力を入れて、手のひらを視界にかざす。
あの男の肉を抉った感触がまざまざと蘇って、正臣は自分がどうしてここにいるのか悟った。
隣の男が続けて、「貴方の身柄は、状態がよくなり次第警視庁に送られる」と説明した。
夢で見た懐かしい記憶を、正臣は反芻する。
そのあと、商談で何を話したのか、
帰ってきたあと、いまだ泣き止んでいなかった彼に、それなりの躾をしたと思うけれど、それがどのようなものだったのか、正臣は覚えていなかった。
ただ覚えているのは、手づから与えた菓子に、ただ一瞬心を暖められたことだけだった。
「はっ……」
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