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序章

01、今日も誰かが泣いているから

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 その緊急生中継は、街の遥か上空を飛ぶヘリコプターの中から放送されていた。

「ご覧ください! し、触手です! イソギンチャクのような触手が、大型ショッピングモールの天井を突き破っているのが、見えますでしょうか!?」

 女性リポーターが興奮気味に叫ぶ。ヘリの眼下にはビル群が広がっており、その中でも一際目立つ建築物から、紐状の触手が幾本も飛び出していた。ショッピングモールの壁や窓、天井を内部から突き破ったピンク色の触手は、何かを探すようにうねうねとうごいている。
 けれども一定の長さまでしか伸びることができないようで、いまのところ周りの建物に被害は出ていない。

「あの触手は、突如ショッピングモールの床を突き抜けてきたとのことです! すでに従業員、客の避難は済んでおり……えっ!? あ、そ、速報です! ショッピングモール内に、子供がひとり取り残されているようです! 自衛隊の到着が待たれております! 繰り返し、お伝えいたします! 本日、午前十一時過ぎに発生した……」

 長閑な春の正午、平和な街は、恐怖に侵食されつつあった。





 広いショッピングモール内部に人影はなく、いたるところにコンクリートやガラスの破片が散らばっている。綺麗に陳列されていた商品は見るも無残な有り様で、モール内は退廃的な空気で満たされていた。
 
 これはすべて、触手がモールの床を突き破ってきた衝撃による惨状だった。

 床に開いた真っ黒い穴から、無数の触手が伸びてきている。人間の筋肉を剥き出しにしたようなピンク色の触手は、天に向かって伸び、地を這い、あるいは柱に巻き付いて、モール内を我が物顔で徘徊していた。

「ひぐっ……ママぁ、ママぁ……」

 触手に支配されつつあるショッピングモールで、幼い子供のすすり泣く声がする。三階フロアの突き当りで、三、四歳と思しき男の子が膝を抱きかかえてうずくまっていた。どうやらケガを負って逃げ遅れたようである。
 床に開いた穴からは死角の位置にいるが、触手に見つかるのは時間の問題だろう。そうなったら、子供が無事でいられないのは目に見えている。
 しかし無慈悲にも、泣きじゃくる男の子の元にひとつの怪しい影が近寄っていった。

「……大丈夫?」

 その声は、まるで天上から降り注いだかのように透き通っている。男の子がその優しい声音に導かれて顔を上げると、そこには一人の少女が立っていた。

 歳は十五、六歳ぐらいだろうか。雪のごとく真っ白な肌に、すらりとした長い手足。抱きしめたら折れてしまいそうなほど細い腰とは裏腹に、胸や尻といった女性的な部分はいやに大きい。
 その身体にちょこなん、とついている顔の、なんと小さく愛らしいことか。ひび割れた窓から差し込む日光を反射する、ミディアムヘアの金髪トウヘッド。青と緑が混ざりきらない不可思議な色の瞳。ぽってりと潤った桜色の唇。パーツひとつひとつを取ってもエキゾチックだ。

 かなり日本人離れしている外貌だが、それを更に助長させているのが服装だ。

 煌びやかなビジューが散りばめられたパンプス。肘まで覆うレースの手袋。ワンピースはパーティドレスのように豪奢だが、どこかアニメチックな印象を受ける。青を基調とした、かなり風変わりな衣装だが、不思議なことにこの少女にはよく似合っていた。おとぎ話の中から出てきたお姫様だ、と言われても、純粋な子供だったら疑いもなく信じてしまうことだろう。

 男の子は泣くのも忘れて、浮世離れした美少女をしばしぽーっと見つめていたが、やがてあることに気づいたのか、ぱぁっと口を綻ばせた。

「おねえちゃんは……メダリオン? メダリオンでしょ!」

「そうだよ、あなたを助けに来たの」

 “メダリオン”、と呼ばれた少女は、男の子が膝にケガを負っていることに気づき、傷口にそっと手をかざした。そこから生まれた淡い光が、辺りを仄かに照らしながら男の子の傷に吸い込まれていく。すると見る見るうちに傷が塞がり、数秒と経たずして何事もなかったかのように完治したではないか。

「すごい……! メダリオンが魔法使いだっていうのは、本当だったんだね……!」

 先ほどまでの泣き顔はどこへやら、男の子はメダリオンなる少女を憧憬と羨望の入り混じった目でじっと見つめた。輝く瞳に映った少女が、苦笑を返す。

「魔法使いとは、ちょっと違うんだけど……」

 少女は、俗にいう“正義の味方”であった。
 科学では証明できない、まさに魔法と呼ぶに相応しい力と超人的な身体能力を駆使し、怪人や異星人といった地球の害となる輩と戦ってきた正義の味方、メダリオン。少女はその一員で、“アクア”の愛称で親しまれる、アクアマリンメダリオンその人であった。

「それじゃあ、お母さんのところに行こう」

「うん……わ、わあぁぁぁぁぁ!!」

 男の子の絶叫が、モール内をつんざく。

 無数の触手たちが、アクアたちを覆わん勢いで飛び出してきた。その身体を鞭のように激しくしならせ、バネ仕掛けよろしく跳ねてアクアたちを襲う。
 撃ち抜かれた床が、瞬く間に崩壊していく。間一髪、アクアは男の子を抱きかかえて華麗に跳躍し、触手の攻撃を避けていた。

「大丈夫。私が絶対、安全なところまでつれていくからね」

 男の子をいっそう強く抱きしめたアクアは、三階から一階に着地し、出口へと脇目も振らずに走り出す。
 その間にも、触手たちは床穴から無尽蔵に湧き出ては、アクアたちに向かって一直線に伸びてくる。距離はじりじりと詰まり、捕まるのも時間の問題かと思われた。

 アクアがショッピングモールの外へと飛び出た瞬間、自衛隊の隊員たちが遠巻きに列を成しているのが見えた。恐らく、彼らのいる場所が触手の届かないぎりぎりのラインなのだろう。そこまで行けば、触手たちの魔の手から逃げ切れる。

 そう安堵し、ゴールまであともう少しといった地点で、アクアの身体が突如、後ろにぐんっと引っ張られた。

 ピンク色の触手が、アクアの柳腰にがっちりと巻き付いていた。触手に捕らえられたアクアは、抵抗する間も与えられずショッピングモールの方へと引きずられていく。

 自衛隊員たちからどよめきの声が上がった。アクアを助けに行きたいようだが、皆一様に二の足を踏んでいる。彼らも紛うことなき国の守り人であれど、未知の怪物と戦う訓練を受けていないのだから無理もない。ショッピングモールを囲う人々の脳裏に、アクアと男の子が触手の餌食になる生々しい映像が過ぎったことだろう。

 絶望的な状況の中、ただひとつ幸いだったことは、アクアの腕が拘束されていないことだった。

「──受け止めてくださいッッ!!」

 アクアは声の限りに叫び、渾身の力を込めて男の子を自衛隊員たちの方へと放る。

「お……おねえちゃん! おねえちゃーん!」

 男の子が無事、自衛隊隊員たちに受け止められたのを確認したアクアはかすかに微笑み、無数の触手たちに呑み込まれていった。
 
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