いくさびと

皆川大輔

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第四章「ゴースト」

「04-001」

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「――よし、これで診察は終わりだよ。お疲れさま」

 鏑木が柔らかいほほえみを投げかける。終始不安げな表情だった患者も、その問題なしと語る表情に安堵して病室を後にした。

「お疲れ様でした」

 鏑木の傍らで佇んでいた明日香も頭を下げて見送る。

 今日、十八人目の患者を見送ると、ちょうど正午を告げるアラームが壁掛け時計から鳴り響いた。

 ハクと縁を結び、実質的な出勤初日。昨日、大翔が〝バリバリやってもらう〟と宣言していたから身構えていたが、実際に待っていたのは、ただ鏑木の隣に立っているだけという至って地味な仕事だった。

「拍子抜けした?」

 鏑木が、イタズラな表情で明日香に問いかけた。恐らく、先程まで診察で使用していたシードの対象を患者から自分へ変え、脈拍や体温を完治したのだろう。「ずるいですよ、シード使って嘘を見破るの」と口を尖らせると「使わなくたって顔を見ていたらわかるさ」と微笑む。

 ――そんな、表情に出てたんだ。

 恥ずかしさを上書きするように、自らの頬をぐりぐりとこね回しながら「……正直言うと、もっと外駆け回る者だと思ってました」とか細い声で言う。

 そうだ、想像ではもっと厳しい現場……それこそ、命のやりとりが日常的にあるような、戦場のようなイメージだった。それが、こんなほんわかとした上司の下で、体調不良な患者を見守るだけという真逆な状況――張り切りすぎて肩すかしを食らったというところが正直なところだ。

「昨日、大翔に言われていたからかな? ま、午前中やって貰ったとおり、君達の仕事の大半はこうやって僕を警護してもらうことなんだ」

「警護?」

「そう。今診察していたのはムクロ予備軍。まだ比較的安定しているとは言え、いつムクロになって暴れ出すかわからないからね。もし、症状が酷くて診察中に暴れられたら、僕みたいな一般人は為す術なくあの世行きさ」

「な、なるほど……」

「ま、診療所で暴走なんてのは一年間でほんの数件だからレアケースだけどね。用心するに越したことはないってこと」

 一見すると、平和な光景でも命を預かっていた。知らず知らずのうちに責任を持っていたことをようやく実感し、遅れて緊張感がやってくる――また、表情に出てしまったのだろう、鏑木は「ともかく、お昼だ。休憩室で昼食を取ってくるといいよ」と言ってカルテに視線を落とした。まだ仕事が残っているということだろう。何か手伝います、とのど元まででかかったが、それよりも先に腹の虫が鳴った。

「……お言葉に甘えさせてもらいます」

 熱くなっていく顔を隠しながら、明日香は休憩室へ向かった。


       ※


「なぁ……アタシら、いつまでこの映像見てりゃぁいいの?」

 渚が力なく呟いた。出勤してからぶっ通しで映像を確認し続け、精も根も尽き果てたのだろう。回転椅子の背もたれに体を預け、遠心力を利用して回り始めるといった意味も無い抗議活動をはじめていた。

「そりゃもちろん、なんか見つかるまでだって」

 疲れているのはこっちもだよ、と言わんばかりの視線を渚に向けてから「ほら、メシの前にもう一回」と空中の映像を一旦止め、先頭から再生した。

 出勤してから約四時間。見ているのは、桜花橋の事件現場を撮影したドローンの映像だ。

 現場の状況を知り、的確なサポートをするため鏑木が飛ばしたドローン。警視庁の解析担当から受け渡され、ようやく現場の元にデータが戻ってきたという格好だった。

 本部からの報告では、〝特に不審人物の影は無し〟という結論だった。確かに、映像は上空から車両をメインに撮影しているだけで、広範囲を映していたわけではないから、宗結論尽くのも無理はない。

 しかし、シカバネ事件が起きるようになってまだこれといった手がかりが掴めていない以上、何が事件解決のピースになるかはわからないという状況だ。実際に現場で戦ったからこそ、見えてくるものもあるはず。そんな一縷の望みがあることを願って、大翔は映像に食いつこうとしたが「お疲れ様です」と背後から聞こえてきた明日香の声に背中を振るわせた。

 咄嗟の判断で映像を消し「あ、おう。お疲れさん」と笑みを浮かべる。きっとぎこちない笑顔だったのだろう、明日香は「何見てたの?」と至極当然な疑問を訝しげな表情と共に投げかけてきた。

「い、いや。別に……それよか、初仕事はどうだ? そんなキツくは――」

「話、逸らさないで。今、ホログラムで山の映像見てたでしょ」

「しょうもない映像だよ。気にすんな」

「いーや、本当にそうならわざわざ消す必要ないでしょ」

 明日香の指摘には、ごもっともというしかない。

別に映像自体は見せても問題は無いのだが、社会人として初めて一日まともに働くことになった午前中に、わざわざ事件当時の映像を見せて負担をかける必要は無いんじゃないか、という鏑木からの意見を教育係として取り入れた故の行動だったが「……もしかして、この間の桜花橋の?」と場所までずばり当てられたことで大翔は白旗を上げた。
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