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第二章「雷のお姫様」
「02-001」
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永海渚は、休日返上の出勤によって募った不満は隠そうともせず、大きなため息をつくなど不機嫌さを顕にしていた。道中立ち寄って購入した菓子類を口いっぱいに頬張り、みかん味のサイダーで一気に流し込む。
「そんなもの食べてたらまた太るぞ?」
横目で見た鏑木に注意されるも、あっけらかんとした表情で「今日食べた分働く予定になったんで問題ないデス」と口を尖らせる。
ニンニクの風味が強いポテトスティックを持ってきたのは、わざと無愛想な受け答えと同様に彼女なりの細やかな抵抗だった。休日に出勤させたら部署内がこの匂いで満ちるぞ、という脅しにも似た抵抗……。
――二十六歳にもなって何してるんだか。
臭いも言動も気にしていない鏑木を見て、自分自身に呆れながら、渚は視線の端で締め切られたカーテンを見る。今朝方運ばれてきた暴走者がそこに寝かされているらしいが、未だ起きる気配はない。
時折耳に届く間抜けな寝息が渚の神経を一層逆なでした。
加えて、その寝息を放つ患者を運び込んだ張本人も自室に戻って寝ているという。休日出勤の原因になった二人がともに高いびきをかいているという事実に、渚の怒りはもはや頂点に達していた。
すくっ、と立ち上がり、菓子の袋を携えたままカーテンの元に近寄る。
「おーい、そっとしてあげてな」
鏑木の制止を余所に、シャッとわざと立てた音と共にカーテンを開く。
そこから現れたのは、まるで夢でも見ているかのような安らかな寝顔だった。
想像していたよりもずっと若い見た目。歳は今年高校を卒業予定だから十八の筈だが、オシャレなんか興味ないですよと言わんばかりの風貌に、渚は首を傾げざるを得なかった。
――アタシのころとは違うのかね。
高校生のときは、しがらみから解き放たれた開放感でメイクや服装など遊ぶことが多い。かく言う渚も、大学デビューというのを名目にして髪の毛を染め、服装にもお金をかけ、メイクにも時間をかけるなど、時間の大半を自身の身なりに使用したという記憶がある。
地がいいだけに勿体ないな、と思いつつ「アレ、この子名前はなんでしたっけ」と小声で質問を投げた。
「姫宮明日香だよ。良い名前じゃないか」
「へー……しっかし、こんなガキっぽいのがねぇ……。神様も残酷なことをするもんだ」
通勤中に大翔のシードを解析し、数時間前の騒動は既に把握していた渚。
あの鬼神のように荒れ狂っていた映像の中の彼女と、今、赤ちゃんのような寝顔をしている彼女とが同一人物とは、とても理解しがたい事実だった。
「ま、いっか」
結びつけるのを諦めると、渚はイタズラな表情を浮かべて口からはぁっと息を彼女の鼻を目がけて吹きかけてやった。
「うーん……」
臭いが届いたのか、姫宮明日香は顔を派手に歪めた。危ない危ないと自分の席に戻り、渚はさも仕事の出来る女を装うためホログラム機を使って空中に映像を出した。
網膜投影では他者から仕事をやっているように見えないため、やっているぞ感を出すために起動したホログラム。
しかし、格好良く見せるという渚のプランに反して、大量のファイル群が空中に映し出されていた。
サボりにサボって溜まっている始末書のデータに、早く仕事内容を報告しろという連絡、次の仕事の詳細ファイルや、友人からの相談などなど。そんな積もり積もった宿題とともに出てきている『八日ぶりのログインです』というメッセージは、お世辞にも自慢できるようなディスプレイではない。
「……身から出たサビ、かな」
ボイスケアサプリを飲み込んでから大人しく網膜投影に切り替えると、渚は観念していそいそと仕事を始めた。
※
「……くさっ」
なにやら異臭を感じて明日香は目を覚ました。
目を覚ますと、知らないベッドに知らない天井が視界に入る。
腐敗臭……いや、何かの食べ物の臭い。その中にポツンと、鼻をツンと刺激するどこか懐かしい消毒液の香りも混じっている。
――これ……保健室だ。
よく教室に行きたくないときに逃げてたなぁ、と懐かしい思い出がフラッシュバックするも一瞬、少し遅れてここはどこだという疑問がようやく降りてきた。
「や、起きたね」
どこかで聴いた覚えのある声。誰だっけ、と思いながら明日香はその声の主を見た。
オールバックでまとめられている白髪交じりの髪。奇麗な曲線を描くもみあげの片隅には、今日日あまり見かけることのなくなった鉛筆が耳にかけられていた。薄い焦げ茶色のサングラスの奥からは、優しそうな印象を抱かせる垂れ目がジッと明日香を覗き返していた。
しかし、面識はない。
「あ、えと……おはようございます」
「ふむ」と呟く老人。上から下まで嘗められるような視線に少し背筋が震えた明日香は反射的に少し老人から距離を取った。
「どこにも怪我はないようだね」
そう言うと老人は椅子をぐるりと動かして近づけると、明日香の近くに座り込んだ。何をするのか不安になる明日香をよそに、これまた最近では見かけなくなった紙を取り出してペンで何かを書き込んでいく。耳にかけた鉛筆はどうやら使わないらしい。
「あの、ここは一体……」
「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕は鏑木。一応ここの責任者って事になってる。よろしく」
差し伸べられた手に思わず手を伸ばし握手を交わす。ペースを握られていることに一抹の不安を感じながら、明日香は観念して「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「そんなもの食べてたらまた太るぞ?」
横目で見た鏑木に注意されるも、あっけらかんとした表情で「今日食べた分働く予定になったんで問題ないデス」と口を尖らせる。
ニンニクの風味が強いポテトスティックを持ってきたのは、わざと無愛想な受け答えと同様に彼女なりの細やかな抵抗だった。休日に出勤させたら部署内がこの匂いで満ちるぞ、という脅しにも似た抵抗……。
――二十六歳にもなって何してるんだか。
臭いも言動も気にしていない鏑木を見て、自分自身に呆れながら、渚は視線の端で締め切られたカーテンを見る。今朝方運ばれてきた暴走者がそこに寝かされているらしいが、未だ起きる気配はない。
時折耳に届く間抜けな寝息が渚の神経を一層逆なでした。
加えて、その寝息を放つ患者を運び込んだ張本人も自室に戻って寝ているという。休日出勤の原因になった二人がともに高いびきをかいているという事実に、渚の怒りはもはや頂点に達していた。
すくっ、と立ち上がり、菓子の袋を携えたままカーテンの元に近寄る。
「おーい、そっとしてあげてな」
鏑木の制止を余所に、シャッとわざと立てた音と共にカーテンを開く。
そこから現れたのは、まるで夢でも見ているかのような安らかな寝顔だった。
想像していたよりもずっと若い見た目。歳は今年高校を卒業予定だから十八の筈だが、オシャレなんか興味ないですよと言わんばかりの風貌に、渚は首を傾げざるを得なかった。
――アタシのころとは違うのかね。
高校生のときは、しがらみから解き放たれた開放感でメイクや服装など遊ぶことが多い。かく言う渚も、大学デビューというのを名目にして髪の毛を染め、服装にもお金をかけ、メイクにも時間をかけるなど、時間の大半を自身の身なりに使用したという記憶がある。
地がいいだけに勿体ないな、と思いつつ「アレ、この子名前はなんでしたっけ」と小声で質問を投げた。
「姫宮明日香だよ。良い名前じゃないか」
「へー……しっかし、こんなガキっぽいのがねぇ……。神様も残酷なことをするもんだ」
通勤中に大翔のシードを解析し、数時間前の騒動は既に把握していた渚。
あの鬼神のように荒れ狂っていた映像の中の彼女と、今、赤ちゃんのような寝顔をしている彼女とが同一人物とは、とても理解しがたい事実だった。
「ま、いっか」
結びつけるのを諦めると、渚はイタズラな表情を浮かべて口からはぁっと息を彼女の鼻を目がけて吹きかけてやった。
「うーん……」
臭いが届いたのか、姫宮明日香は顔を派手に歪めた。危ない危ないと自分の席に戻り、渚はさも仕事の出来る女を装うためホログラム機を使って空中に映像を出した。
網膜投影では他者から仕事をやっているように見えないため、やっているぞ感を出すために起動したホログラム。
しかし、格好良く見せるという渚のプランに反して、大量のファイル群が空中に映し出されていた。
サボりにサボって溜まっている始末書のデータに、早く仕事内容を報告しろという連絡、次の仕事の詳細ファイルや、友人からの相談などなど。そんな積もり積もった宿題とともに出てきている『八日ぶりのログインです』というメッセージは、お世辞にも自慢できるようなディスプレイではない。
「……身から出たサビ、かな」
ボイスケアサプリを飲み込んでから大人しく網膜投影に切り替えると、渚は観念していそいそと仕事を始めた。
※
「……くさっ」
なにやら異臭を感じて明日香は目を覚ました。
目を覚ますと、知らないベッドに知らない天井が視界に入る。
腐敗臭……いや、何かの食べ物の臭い。その中にポツンと、鼻をツンと刺激するどこか懐かしい消毒液の香りも混じっている。
――これ……保健室だ。
よく教室に行きたくないときに逃げてたなぁ、と懐かしい思い出がフラッシュバックするも一瞬、少し遅れてここはどこだという疑問がようやく降りてきた。
「や、起きたね」
どこかで聴いた覚えのある声。誰だっけ、と思いながら明日香はその声の主を見た。
オールバックでまとめられている白髪交じりの髪。奇麗な曲線を描くもみあげの片隅には、今日日あまり見かけることのなくなった鉛筆が耳にかけられていた。薄い焦げ茶色のサングラスの奥からは、優しそうな印象を抱かせる垂れ目がジッと明日香を覗き返していた。
しかし、面識はない。
「あ、えと……おはようございます」
「ふむ」と呟く老人。上から下まで嘗められるような視線に少し背筋が震えた明日香は反射的に少し老人から距離を取った。
「どこにも怪我はないようだね」
そう言うと老人は椅子をぐるりと動かして近づけると、明日香の近くに座り込んだ。何をするのか不安になる明日香をよそに、これまた最近では見かけなくなった紙を取り出してペンで何かを書き込んでいく。耳にかけた鉛筆はどうやら使わないらしい。
「あの、ここは一体……」
「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕は鏑木。一応ここの責任者って事になってる。よろしく」
差し伸べられた手に思わず手を伸ばし握手を交わす。ペースを握られていることに一抹の不安を感じながら、明日香は観念して「よろしくお願いします」と頭を下げた。
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