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第三章
3-01「目を見ればわかる(1)」
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気がつけば、時間は午前三時半。
五月が終わり、もうじき梅雨が訪れようとしている。
自室の窓から入り込む外の空気は、若干肌寒く感じられた。
――今日も寝れなかったな。
ほのかに明らんでいる空を見ながら、沢井大哉はため息を溢した。
昨日の夜、数ヶ月ぶりに幼なじみの武山一星に電話をかけた。内容は、学校の話や、勉強の話、漫画やハマっていることの話など、毒にも薬にもならない会話ばかり。物心ついた頃から中学までほぼ毎日のように繰り返していた、いわゆる〝日常〟だったが、夏に行ったキャッチボールを最後に会話らしい会話は行っていない。一年弱ぶりになるほど久方ぶりに過ごした日常は、大哉の心に棲む暗い霧を晴らしてくれる用に感じるほど、楽しい時間だった。
この調子だったら、今日こそ寝れる――そんな淡い期待を抱いてベッドに入ったはいいものの、結果はこの有様。
――良い思い出で取り繕ってもダメなのか……。
これまでの経験上、今の時間が就寝時間のデッドライン。この時間までに眠りにつけていないと、五時半に始まる朝練が脳裏にちらついて眠ることは出来ない。
「今日も授業中に気絶コースだな」
口の中で呟いてから、大哉はこっそりと起き上がった。気だるい体を引っ張り込んで部屋のドアを開くと、朝食の匂いが大哉の鼻孔を突く。食欲をそそるその香りは、一階で毎朝練習へ出る自分の朝食と昼食を用意してくれている母が、既に起きて支度をしてくれている証拠だ。
そんな母に申し訳なくなり、大哉は再び自室に戻ると、パジャマ姿のままバットを握り、全身鏡の前に立って素振りを開始した。
こんな睡眠不足の状態で練習をしたって、良い結果が出るわけがない。無駄なあがき、そんなことはわかっている。
――それでも、動かずにはいられない。
大哉の通っている仙台翔景は、宮城県でも随一の野球強豪校。甲子園には何度も出場し、プロ野球選手だって何人も輩出している名門だ。そんな高校から推薦の話を受け、最初は寮に入るという予定だったのだが、突如として父の転勤が決まり家族で移り住むこととなったという経緯がある。
丁度良いタイミングでの転勤――十五年もなかった出来事が、都合良く起こるはずがない。
詳しくは聞いていないが、恐らく自分から転勤を志願したか、転職してくれたのだろう。わざわざ、自分のために。
そんな父に母もついてきてくれ、毎日サポートをしてくれる。
人生の大切な時間をサポートしてくれている二人に、イジメで眠れなくなっているなんて相談できるはずがない。
だから、この素振りは自分自身への言い訳。
野球がやりたくてしょうがないんだ、だから眠る暇も惜しんでバットを振っている。だから正しいことをしている――。
「何してるんだろ、俺」
ふと、心から漏れ出た言葉は、薄暗い部屋の中に虚しく木霊した。
※
桜海大葉山との練習試合を終え、再び日常が戻ってきた……と言っても、空野彗が考えることは相変わらず野球のことばかり。気がつけばボールを片手にイメージトレーニングをするという毎日だったが、今日、変化が訪れた。
「はぁ? 俺が実行委員?」
彩星高校は、毎年六月の半ばに文化祭が決行される。他の高校だと九月に執り行われることが多いようだが、在学生のほとんどが大学受験をするという背景から、秋以降はより受験勉強に専念して貰おうという配慮から、彩星高校ではこの六月に実行されている。
そんなイベントの実行委員となっていると彗が知ったのは、いつも通り中庭で食事をしている最中だった。
「えっ、覚えてないの?」
音葉が目を丸くする横で、真奈美がケタケタと腹を抱えている。
「全く」
「ホラ、入学して間もないころさ。委員会決めがあったでしょ?」
音葉に言われてようやくうっすらと当時の記憶が蘇ってくる。
「そう言われると……最初入んなくていーだろ、とか言ってた記憶が」
「そうそれ! けど、委員会には強制的に入る必要があって、仕方なく一番活動時間が短いこの文化祭実行委員に入ったってワケ」というと、音葉は胸を張って「私と一緒にね」と笑った。
「メチャクチャ忘れてたわー……」
食事を終えた真奈美は、「あのときは一星を野球部に入れようと躍起になってたもんね」と手を合わせてから弁当箱をしまう。
「そりゃ覚えてねーわけだわ。あんとき大変だったもんなー」
当時を思い出しながら小言を話していると、ちょうど話の主が彗の背後から顔を出してきた。
うおっ、と体を震わせた彗を一星は薄めで流し見ると「悪かったね、迷惑かけて」とため息をつきながらベンチに座る。
「ホントだよ。オメーが野球やんねーとか抜かしやがるからだな……」
「僕なりに反省はしてるよ。悪かったね、いじけてて」
妙に刺々しい一星。まるでこの間の桜海大葉山との練習試合の時みたいだ、と嘆きながら彗は「ま、いいや。今さ、委員会の話してたんだけどよ、お前委員会は何にしたんだ?」と質問を投げかける。
「確か、体育祭委員」
五月が終わり、もうじき梅雨が訪れようとしている。
自室の窓から入り込む外の空気は、若干肌寒く感じられた。
――今日も寝れなかったな。
ほのかに明らんでいる空を見ながら、沢井大哉はため息を溢した。
昨日の夜、数ヶ月ぶりに幼なじみの武山一星に電話をかけた。内容は、学校の話や、勉強の話、漫画やハマっていることの話など、毒にも薬にもならない会話ばかり。物心ついた頃から中学までほぼ毎日のように繰り返していた、いわゆる〝日常〟だったが、夏に行ったキャッチボールを最後に会話らしい会話は行っていない。一年弱ぶりになるほど久方ぶりに過ごした日常は、大哉の心に棲む暗い霧を晴らしてくれる用に感じるほど、楽しい時間だった。
この調子だったら、今日こそ寝れる――そんな淡い期待を抱いてベッドに入ったはいいものの、結果はこの有様。
――良い思い出で取り繕ってもダメなのか……。
これまでの経験上、今の時間が就寝時間のデッドライン。この時間までに眠りにつけていないと、五時半に始まる朝練が脳裏にちらついて眠ることは出来ない。
「今日も授業中に気絶コースだな」
口の中で呟いてから、大哉はこっそりと起き上がった。気だるい体を引っ張り込んで部屋のドアを開くと、朝食の匂いが大哉の鼻孔を突く。食欲をそそるその香りは、一階で毎朝練習へ出る自分の朝食と昼食を用意してくれている母が、既に起きて支度をしてくれている証拠だ。
そんな母に申し訳なくなり、大哉は再び自室に戻ると、パジャマ姿のままバットを握り、全身鏡の前に立って素振りを開始した。
こんな睡眠不足の状態で練習をしたって、良い結果が出るわけがない。無駄なあがき、そんなことはわかっている。
――それでも、動かずにはいられない。
大哉の通っている仙台翔景は、宮城県でも随一の野球強豪校。甲子園には何度も出場し、プロ野球選手だって何人も輩出している名門だ。そんな高校から推薦の話を受け、最初は寮に入るという予定だったのだが、突如として父の転勤が決まり家族で移り住むこととなったという経緯がある。
丁度良いタイミングでの転勤――十五年もなかった出来事が、都合良く起こるはずがない。
詳しくは聞いていないが、恐らく自分から転勤を志願したか、転職してくれたのだろう。わざわざ、自分のために。
そんな父に母もついてきてくれ、毎日サポートをしてくれる。
人生の大切な時間をサポートしてくれている二人に、イジメで眠れなくなっているなんて相談できるはずがない。
だから、この素振りは自分自身への言い訳。
野球がやりたくてしょうがないんだ、だから眠る暇も惜しんでバットを振っている。だから正しいことをしている――。
「何してるんだろ、俺」
ふと、心から漏れ出た言葉は、薄暗い部屋の中に虚しく木霊した。
※
桜海大葉山との練習試合を終え、再び日常が戻ってきた……と言っても、空野彗が考えることは相変わらず野球のことばかり。気がつけばボールを片手にイメージトレーニングをするという毎日だったが、今日、変化が訪れた。
「はぁ? 俺が実行委員?」
彩星高校は、毎年六月の半ばに文化祭が決行される。他の高校だと九月に執り行われることが多いようだが、在学生のほとんどが大学受験をするという背景から、秋以降はより受験勉強に専念して貰おうという配慮から、彩星高校ではこの六月に実行されている。
そんなイベントの実行委員となっていると彗が知ったのは、いつも通り中庭で食事をしている最中だった。
「えっ、覚えてないの?」
音葉が目を丸くする横で、真奈美がケタケタと腹を抱えている。
「全く」
「ホラ、入学して間もないころさ。委員会決めがあったでしょ?」
音葉に言われてようやくうっすらと当時の記憶が蘇ってくる。
「そう言われると……最初入んなくていーだろ、とか言ってた記憶が」
「そうそれ! けど、委員会には強制的に入る必要があって、仕方なく一番活動時間が短いこの文化祭実行委員に入ったってワケ」というと、音葉は胸を張って「私と一緒にね」と笑った。
「メチャクチャ忘れてたわー……」
食事を終えた真奈美は、「あのときは一星を野球部に入れようと躍起になってたもんね」と手を合わせてから弁当箱をしまう。
「そりゃ覚えてねーわけだわ。あんとき大変だったもんなー」
当時を思い出しながら小言を話していると、ちょうど話の主が彗の背後から顔を出してきた。
うおっ、と体を震わせた彗を一星は薄めで流し見ると「悪かったね、迷惑かけて」とため息をつきながらベンチに座る。
「ホントだよ。オメーが野球やんねーとか抜かしやがるからだな……」
「僕なりに反省はしてるよ。悪かったね、いじけてて」
妙に刺々しい一星。まるでこの間の桜海大葉山との練習試合の時みたいだ、と嘆きながら彗は「ま、いいや。今さ、委員会の話してたんだけどよ、お前委員会は何にしたんだ?」と質問を投げかける。
「確か、体育祭委員」
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