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第二章・その後
2.5-4「親離れは突然に」
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食事を取りながら、武山夏木は天井を見上げていた。
声までは聞こえてこないが、まるでネズミと根っこが追いかけっこでもしているかのように、騒々しさが伝わってくる。上の階に住んでいたのって誰だろう、と口におかずを運びながら「上の人、随分元気ね」と呟くと、食事を終えようとしていた一人息子の一星が「子供が駆け回ってるとかじゃない?」と小さく笑った。
明るい表情で、言葉尻も柔らかい――夏の世界大会を終えてからというもの暗い表情が続いてきたが、ここ数日はまるで別人。毎日が楽しくてしょうがないというオーラが全面に溢れ出ている。
相当、学校生活が――野球が楽しいのだろう。
これまで慰めたり寄り添ってみたり、一番の理解者は自分だったと胸を張って言える。が、明らかに今の精神的支柱は自分ではない。
――親離れってヤツなのかな。
ほほえましくもあり、ちょっと寂しくもある。複雑な自分の感情に蓋をして「ところでさ、どうなのよ。最近」と様子をうかがってみた。
「どうって?」
「そりゃあもう、部活とかいろいろ。最近妙に楽しそうだなって」
「……ま、それなりには楽しいかな」
このくらいの年頃の息子だと話もしてくれないと言うことがしばしばあるが、今日は自分にとって〝いいこと〟を話しているからかいやに饒舌だ。
「ふぅん」
「野球部の同級生もみんな面白いし、先輩達も優しいし。そして何より、アイツがやっぱり凄いんだ」
「アイツ?」
「ほら、前にも話した空野だよ。凄い速さで成長してるから、置いてかれないように必死にやってるんだけどさ……空回りしちゃって、今日監督に怒られたんだ」
「監督さんに?」
「うん。〝今のままじゃ三年生になっても九番だぞ〟って」
「へぇ……って、九番⁉」
あまりスポーツに明るい方ではなかったが、ジュニアチームのお茶出しなど雑務を行う関係もあって、一星が小さい頃からずっと野球の応援をしてきたおかげである程度のルールはわかる。九番は、一番打撃で期待されていない人が立つポジションで、試合に出始めるようになってから、一星が八番以下の打順を打っていた記憶がない夏木は「ず、随分厳しいのね」と目を丸くして「どうしてなの?」と続けた。
「みんなに負けてないとは思うんだけどね……わかんないや。ヒットも打ってるし、四球を選んでチャンスメイクもしてるし……」
先程までの明るい表情とは一転、眉間にしわを寄せて懊悩する一星は、「ねえ、母さんが思う〝いいバッター〟ってどんな感じ?」と問いかけてきた。
「え? ……いいバッター?」
「うん。なんかわからなくなってきちゃって……」
親離れしたのかなと思った矢先に現れた、頼られるというシチュエーションは、運動音痴の身からすれば明らかに畑違いなアドバイスをしなければならないという状況だった。
「そ、そうねぇ……」と、数少ない知識をフル回転させるが、いい例えが思いつかない。額から冷や汗が滲み出しているな、と手の甲で拭いながら「一星は何番を打ちたいの?」と一緒に考える方向へとシフトしてみた。
「もちろんクリーンナップかな。理想は四番」
クリーンナップは、打線の中心。点を取る役割を任せられ、大きい打球を打つことが義務づけられているチームの核と言っても過言ではない。
そりゃそうだよね、とこれまで一星が出場していた試合を思い浮かべながら納得していると、ふと夏木は一つの違和感に気づいた。
「ね、さっきさ、ヒットも打って四球も選んでって話してたよね?」
「え? うん」
「どんなヒットだったの?」
「えっと……ポテンヒットだったかな。チャンスだったからなんとしてもバットに当てようとして」
「四球は?」
「粘って粘って選んだって感じ」
「やっぱし……」
違和感が確信に変わった夏木は、その答えを口から零す。
「一星がやってることってさ、クリーンナップじゃなくない?」
「……え?」
「ホラ、クリーンナップとか、特に四番ってさ……ホームランとか大きい打球を打ってなんぼでしょ? そんな繋ぐバッティングしてさ、あとは後ろのバッターに全部丸投げって違うんじゃない?」
素朴な意見が突き刺さってくれたのか、一星は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になった。
「丸投げ……確かに」
「もっとさ、バコーンって大きいの狙っていこうよ! その方が面白いでしょ!」
思いつきが、刺さったらしい。
悩ましい表情から一変、雲が晴れたように一星は「明日監督に聞いてみる!」と顔を上げた。
――良かったぁ……。
なんとかまた役に立てたようで、ホッと胸をなで下ろす。まだまだ親離れさせないぞ、なんてことを考えながら微笑んでいると、ほんわかした空気を破るように一星の携帯から着信音が鳴り響いた。
「ん?」
ポケットから携帯を取り出し、相手の名前を確認すると、より一層明るい表情になる。
「誰?」
「懐かしいヤツ」と言いながら一星は画面を見せてくる。
そこには、一星の幼なじみで何度も言えに遊びに来たことのある、沢井大哉の名前があった。
声までは聞こえてこないが、まるでネズミと根っこが追いかけっこでもしているかのように、騒々しさが伝わってくる。上の階に住んでいたのって誰だろう、と口におかずを運びながら「上の人、随分元気ね」と呟くと、食事を終えようとしていた一人息子の一星が「子供が駆け回ってるとかじゃない?」と小さく笑った。
明るい表情で、言葉尻も柔らかい――夏の世界大会を終えてからというもの暗い表情が続いてきたが、ここ数日はまるで別人。毎日が楽しくてしょうがないというオーラが全面に溢れ出ている。
相当、学校生活が――野球が楽しいのだろう。
これまで慰めたり寄り添ってみたり、一番の理解者は自分だったと胸を張って言える。が、明らかに今の精神的支柱は自分ではない。
――親離れってヤツなのかな。
ほほえましくもあり、ちょっと寂しくもある。複雑な自分の感情に蓋をして「ところでさ、どうなのよ。最近」と様子をうかがってみた。
「どうって?」
「そりゃあもう、部活とかいろいろ。最近妙に楽しそうだなって」
「……ま、それなりには楽しいかな」
このくらいの年頃の息子だと話もしてくれないと言うことがしばしばあるが、今日は自分にとって〝いいこと〟を話しているからかいやに饒舌だ。
「ふぅん」
「野球部の同級生もみんな面白いし、先輩達も優しいし。そして何より、アイツがやっぱり凄いんだ」
「アイツ?」
「ほら、前にも話した空野だよ。凄い速さで成長してるから、置いてかれないように必死にやってるんだけどさ……空回りしちゃって、今日監督に怒られたんだ」
「監督さんに?」
「うん。〝今のままじゃ三年生になっても九番だぞ〟って」
「へぇ……って、九番⁉」
あまりスポーツに明るい方ではなかったが、ジュニアチームのお茶出しなど雑務を行う関係もあって、一星が小さい頃からずっと野球の応援をしてきたおかげである程度のルールはわかる。九番は、一番打撃で期待されていない人が立つポジションで、試合に出始めるようになってから、一星が八番以下の打順を打っていた記憶がない夏木は「ず、随分厳しいのね」と目を丸くして「どうしてなの?」と続けた。
「みんなに負けてないとは思うんだけどね……わかんないや。ヒットも打ってるし、四球を選んでチャンスメイクもしてるし……」
先程までの明るい表情とは一転、眉間にしわを寄せて懊悩する一星は、「ねえ、母さんが思う〝いいバッター〟ってどんな感じ?」と問いかけてきた。
「え? ……いいバッター?」
「うん。なんかわからなくなってきちゃって……」
親離れしたのかなと思った矢先に現れた、頼られるというシチュエーションは、運動音痴の身からすれば明らかに畑違いなアドバイスをしなければならないという状況だった。
「そ、そうねぇ……」と、数少ない知識をフル回転させるが、いい例えが思いつかない。額から冷や汗が滲み出しているな、と手の甲で拭いながら「一星は何番を打ちたいの?」と一緒に考える方向へとシフトしてみた。
「もちろんクリーンナップかな。理想は四番」
クリーンナップは、打線の中心。点を取る役割を任せられ、大きい打球を打つことが義務づけられているチームの核と言っても過言ではない。
そりゃそうだよね、とこれまで一星が出場していた試合を思い浮かべながら納得していると、ふと夏木は一つの違和感に気づいた。
「ね、さっきさ、ヒットも打って四球も選んでって話してたよね?」
「え? うん」
「どんなヒットだったの?」
「えっと……ポテンヒットだったかな。チャンスだったからなんとしてもバットに当てようとして」
「四球は?」
「粘って粘って選んだって感じ」
「やっぱし……」
違和感が確信に変わった夏木は、その答えを口から零す。
「一星がやってることってさ、クリーンナップじゃなくない?」
「……え?」
「ホラ、クリーンナップとか、特に四番ってさ……ホームランとか大きい打球を打ってなんぼでしょ? そんな繋ぐバッティングしてさ、あとは後ろのバッターに全部丸投げって違うんじゃない?」
素朴な意見が突き刺さってくれたのか、一星は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になった。
「丸投げ……確かに」
「もっとさ、バコーンって大きいの狙っていこうよ! その方が面白いでしょ!」
思いつきが、刺さったらしい。
悩ましい表情から一変、雲が晴れたように一星は「明日監督に聞いてみる!」と顔を上げた。
――良かったぁ……。
なんとかまた役に立てたようで、ホッと胸をなで下ろす。まだまだ親離れさせないぞ、なんてことを考えながら微笑んでいると、ほんわかした空気を破るように一星の携帯から着信音が鳴り響いた。
「ん?」
ポケットから携帯を取り出し、相手の名前を確認すると、より一層明るい表情になる。
「誰?」
「懐かしいヤツ」と言いながら一星は画面を見せてくる。
そこには、一星の幼なじみで何度も言えに遊びに来たことのある、沢井大哉の名前があった。
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