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第二章・その後
2.5-1「四番の英才教育」
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真田は監督室の奥、校長が座るような黒い皮の椅子に深く腰掛けながらスコアブックを眺めていた。どこかほくほく顔をしていて、満足げな印象。
確かに内容自体は悪くはなかった。結果もそれなり、課題もそれなりに見つけることができ、けが人は出なかった。マネージャーの話では、見学に来たのは記者二人が試合途中に来ただけで情報が漏洩した可能性もない。点数で表すならば八十点くらいだ。
そんな状況で、懸念点は一つ。
――相当堪えてるな、ありゃ。
監督室には、真田が自費で購入した二人がけのふかふかソファーが二つ、ガラスのテーブルを挟んで設置されている。その内の一つ、入り口に近いソファーに座っていた矢沢。そんな位置取りだと、出入りする人間の表情は丸見えとなる。
真田に突き放されるように苦言を呈され、立った今監督室を後にした一星も例外ではない。部屋を出るときに見せたその神妙な面持ちが脳裏に焼き付き、いたたまれない気持ちのまま淹れたてのコーヒーを啜った。
「どうしたよ、渋い顔して」
嫌な空気とコーヒーの香りが漂う監督室で、真田が口を開いた。
「ん? あぁ、あれでいいのかなってよ」
「あん?」
「武山のことだよ。今、すごい顔してたぜ?」
「堪えて貰わないと困るな。わざわざそんな言い方したんだから」
「らしくないな」
「お前と似たようなもんだろ?」
「俺は話し下手だから、先に結論だけ話した後に技術や理論で詰めるやり方だからそう見えるだけだ。だが、お前は違うだろう」
「そうか?」
「あぁ。まず感情が先に動いて、理由とかは後回しだったろ? だからアーサーも心が動いたんじゃないのか」
矢沢が思い出すのは、アーサーと初めて出会った日のこと。
まだ野球になんの興味もない平凡な少年を口説き落とし、説得して一から野球を教え込んだ結果、プロの世界へ導くことが出来たという経緯がある。その他にも、就任一年目にもかかわらず部員をまとめ上げ、強豪校と張り合うまでの実力に押し上げたのは、指導力だけではなく〝この監督を勝たせたい〟と思わせる人望があったのは言うまでもない。
そんな〝心に訴えかける指導者〟のはずだが、先刻の一星に見せていた一面は、その真逆な位置にあり、コーチである矢沢に責任を押しつけて逃げた前職の上司であるGT学園の監督に似ている。
「つまり何が言いたいんだ? 優しくしろって?」
「言い方あるだろってことだよ。文系教師だろ?」
「生憎、英語教師なもんでな。指導方法もアメリカ式なんだよ」
「冗談を話してるんじゃねぇよ」
「……わかってるよ。ただ、こればっかりはこの方が良かったと思う」とまで言うと、真田はスコアブックを乱雑に机へ投げ捨てると「ただ、こればっかは自分で気づいて貰わなくちゃ話にならないからな」とコーヒーを啜る。
「ヒントくらいはあげてもいいんじゃないか? 結果は出してるんだしよ」
「そこはお前が空野にやったのと同じだよ。気づくのが一番ってね」
「しかしなぁ……」
彗の場合は練習試合で打たれたという背景があったからこそすんなり進んだが、一星はタイムリーを放つなどそれなりの結果を出している以上、どつぼにはまる可能性がある。
「なあ、お前がいた高校じゃ四番はどうやって育ててた?」
記憶を呼び起こすと、元職場のGT学園では基本的に四番は固定せず、調子の良い打者をクリーンナップ内で入れ替わりという形だったことを思い出す。
「基本は競争だったな。結果が出せれば入れ替わりって感じで、切磋琢磨って感じだった。……ま、あくまで投手コーチ目線からだが」
「まあ、それも間違いじゃないな。身内にライバルがいれば、その分自分も頑張らざるを得ないし、競争意識が育つ」と、そこまで言ったところで真田は「ただ、そりゃ選手の集まる強豪校の理論だ」と頭を抱えた。
「強豪校の理論?」
「そう。切磋琢磨するだけの戦力があるからふるいにかけることが出来る荒技だよ。ウチじゃそれは出来ない。考え方や視野、守備面はともかく、宗次郎や嵐に匹敵するくらいの力はもうあるし、数ヶ月もあれば総合的に追い抜くだろうしな」
「それなら……どういう指導をしようってんだ?」
「簡単さ。競争相手を作ればいいんだよ」
「いや、でも今自分で追い抜くって――」
「もっと柔軟に考えねーと。競争相手はチームメイトじゃなくても良いんだよ」
一瞬、言葉遊びのような問答に混乱したが、すぐに答えが導き出される。
「お前か」
「ご明察。〝vsチームメイト〟じゃなく、〝vs意地悪な監督〟にしてやればいいんだよ。認めるまで使わない、ってな」
くるくると椅子を回転させながら得意げに話す。ちゃんと考えてるぜと言わんばかりのどや顔をしながら「ま、特別扱いになっちまうが、そうまでしないとイケない素材ってワケだ。空野と同じようにな」と誇らしげに言い切った。
「なるほどな」
空野に対する矢沢の育成は、自分は気づいて貰って自分で納得をしてもらい、より効率よく指導するということを主題に置いているもの。最終的には信頼関係が深く築くことの出来る方法だ。時間こそかかるが、着実に成長してくれるという無難なやり方になる。
一方で、真田が行う方法は、生徒と常に喧嘩をして互いに切磋琢磨をしていくというもの。常に対立することで、闘争心を煽ることは出来るが、たった一言で信頼関係が瓦解してしまう可能性もある非情に難易度が高い方法だ。
コミュニケーション能力と指導能力、目指している方向その他諸々、考えていることが全て正しいという自信が無ければ採れない方法。
「ま、四番に育てる英才教育ってヤツだ」
――考え抜いての決断だな。
先程疑った自分の見る目がないことを再確認し、そんなもんがあったらクビになってないよなと苦笑いを浮かべた。
確かに内容自体は悪くはなかった。結果もそれなり、課題もそれなりに見つけることができ、けが人は出なかった。マネージャーの話では、見学に来たのは記者二人が試合途中に来ただけで情報が漏洩した可能性もない。点数で表すならば八十点くらいだ。
そんな状況で、懸念点は一つ。
――相当堪えてるな、ありゃ。
監督室には、真田が自費で購入した二人がけのふかふかソファーが二つ、ガラスのテーブルを挟んで設置されている。その内の一つ、入り口に近いソファーに座っていた矢沢。そんな位置取りだと、出入りする人間の表情は丸見えとなる。
真田に突き放されるように苦言を呈され、立った今監督室を後にした一星も例外ではない。部屋を出るときに見せたその神妙な面持ちが脳裏に焼き付き、いたたまれない気持ちのまま淹れたてのコーヒーを啜った。
「どうしたよ、渋い顔して」
嫌な空気とコーヒーの香りが漂う監督室で、真田が口を開いた。
「ん? あぁ、あれでいいのかなってよ」
「あん?」
「武山のことだよ。今、すごい顔してたぜ?」
「堪えて貰わないと困るな。わざわざそんな言い方したんだから」
「らしくないな」
「お前と似たようなもんだろ?」
「俺は話し下手だから、先に結論だけ話した後に技術や理論で詰めるやり方だからそう見えるだけだ。だが、お前は違うだろう」
「そうか?」
「あぁ。まず感情が先に動いて、理由とかは後回しだったろ? だからアーサーも心が動いたんじゃないのか」
矢沢が思い出すのは、アーサーと初めて出会った日のこと。
まだ野球になんの興味もない平凡な少年を口説き落とし、説得して一から野球を教え込んだ結果、プロの世界へ導くことが出来たという経緯がある。その他にも、就任一年目にもかかわらず部員をまとめ上げ、強豪校と張り合うまでの実力に押し上げたのは、指導力だけではなく〝この監督を勝たせたい〟と思わせる人望があったのは言うまでもない。
そんな〝心に訴えかける指導者〟のはずだが、先刻の一星に見せていた一面は、その真逆な位置にあり、コーチである矢沢に責任を押しつけて逃げた前職の上司であるGT学園の監督に似ている。
「つまり何が言いたいんだ? 優しくしろって?」
「言い方あるだろってことだよ。文系教師だろ?」
「生憎、英語教師なもんでな。指導方法もアメリカ式なんだよ」
「冗談を話してるんじゃねぇよ」
「……わかってるよ。ただ、こればっかりはこの方が良かったと思う」とまで言うと、真田はスコアブックを乱雑に机へ投げ捨てると「ただ、こればっかは自分で気づいて貰わなくちゃ話にならないからな」とコーヒーを啜る。
「ヒントくらいはあげてもいいんじゃないか? 結果は出してるんだしよ」
「そこはお前が空野にやったのと同じだよ。気づくのが一番ってね」
「しかしなぁ……」
彗の場合は練習試合で打たれたという背景があったからこそすんなり進んだが、一星はタイムリーを放つなどそれなりの結果を出している以上、どつぼにはまる可能性がある。
「なあ、お前がいた高校じゃ四番はどうやって育ててた?」
記憶を呼び起こすと、元職場のGT学園では基本的に四番は固定せず、調子の良い打者をクリーンナップ内で入れ替わりという形だったことを思い出す。
「基本は競争だったな。結果が出せれば入れ替わりって感じで、切磋琢磨って感じだった。……ま、あくまで投手コーチ目線からだが」
「まあ、それも間違いじゃないな。身内にライバルがいれば、その分自分も頑張らざるを得ないし、競争意識が育つ」と、そこまで言ったところで真田は「ただ、そりゃ選手の集まる強豪校の理論だ」と頭を抱えた。
「強豪校の理論?」
「そう。切磋琢磨するだけの戦力があるからふるいにかけることが出来る荒技だよ。ウチじゃそれは出来ない。考え方や視野、守備面はともかく、宗次郎や嵐に匹敵するくらいの力はもうあるし、数ヶ月もあれば総合的に追い抜くだろうしな」
「それなら……どういう指導をしようってんだ?」
「簡単さ。競争相手を作ればいいんだよ」
「いや、でも今自分で追い抜くって――」
「もっと柔軟に考えねーと。競争相手はチームメイトじゃなくても良いんだよ」
一瞬、言葉遊びのような問答に混乱したが、すぐに答えが導き出される。
「お前か」
「ご明察。〝vsチームメイト〟じゃなく、〝vs意地悪な監督〟にしてやればいいんだよ。認めるまで使わない、ってな」
くるくると椅子を回転させながら得意げに話す。ちゃんと考えてるぜと言わんばかりのどや顔をしながら「ま、特別扱いになっちまうが、そうまでしないとイケない素材ってワケだ。空野と同じようにな」と誇らしげに言い切った。
「なるほどな」
空野に対する矢沢の育成は、自分は気づいて貰って自分で納得をしてもらい、より効率よく指導するということを主題に置いているもの。最終的には信頼関係が深く築くことの出来る方法だ。時間こそかかるが、着実に成長してくれるという無難なやり方になる。
一方で、真田が行う方法は、生徒と常に喧嘩をして互いに切磋琢磨をしていくというもの。常に対立することで、闘争心を煽ることは出来るが、たった一言で信頼関係が瓦解してしまう可能性もある非情に難易度が高い方法だ。
コミュニケーション能力と指導能力、目指している方向その他諸々、考えていることが全て正しいという自信が無ければ採れない方法。
「ま、四番に育てる英才教育ってヤツだ」
――考え抜いての決断だな。
先程疑った自分の見る目がないことを再確認し、そんなもんがあったらクビになってないよなと苦笑いを浮かべた。
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