彗星と遭う

皆川大輔

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第二部

2-41「それ、重要か?(3)」

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「呼び方問題で忘れちゃいけないかなぁと思ってさ」

 勿体ぶりながらにじり寄ってくる真奈美は、にまっと笑って「私たちの呼び方問題だよ」と彗を覗き込みながら言った。

「俺たちの? それ重要か?」

「重要だって! 二人とも私たちのこと名字読みでなんかよそよそしいって言うか……他人行儀じゃない? もうそんな仲じゃないしさぁ」

 いつになくぐいぐいと積極的な真奈美にたじろぎながら「いや、普通だろ」とツッコミを入れるが、退却はせず。寧ろ提案を加速させようと、真奈美は音葉に「そう思うよね?」と問いかけた。

「う、うん……まあ、そうじゃない?」

 真奈美とは打って変わってもじもじとしている音葉。こんな姿初めて見るなと観察していると「いいね、名前。うん」と視界の外から一星が賛同の声を上げた。

「あん? オメーまで……」

「いや、ほら、なんか仲良くなった感あるじゃん? 呼び方は重要だって」

「ったく……」

 妙に乗り気な三人の前を無下にすることはできず。彗は一つ深いため息をしてから「まあ……改めてよろしく頼むわ。えっと、一星に真奈美」とまず二人の名前を指差し確認しながら呼ぶ。

 そして最後に「それと……音葉」と少し言いにくそうに零した。

 すると、沸き立つかと思えば訪れたのは数秒の沈黙。

 ごねることなく言葉にしたことが意外だったのか、三人は目を丸くしていた。
 あまりにもキョトンとした三人の顔を見て、急に気恥ずかしくなった彗は「じゃ、まあそういうことで今日は解散!」と言い残してその場を後にする。

「明日、勝つぞ!」

 捨て台詞を残して自転車を漕ぎ始めた。

「あー……やっぱ言うんじゃなかった」

 顔のほてりを感じながら、帰路につく。
 頬を撫でる夜の風はどこか生温かった。


       ※


 三人と別れ、いつも通り自宅へ帰り、いつも通り家族と夕食を済ませ、いつも通り風呂に入り、いつも通りベッドへ飛び込んだ。
 けれど、その心の中はいつも通りとは決して言えず。
 ざわざわと、あるいはドキドキと。
 とにかく、胸の鼓動がうるさいくらいに聞こえてくる。そんな感じだった。

「ふいー……」

 寝ころんで天井を見上げる形で目を閉じてみると、いつもなら疲れてすぐ眠気が襲ってくるはずなのだが、今日はギンギンとしていて眠れそうもない。

「……ここまでとは思わなかったな」

 独り言を口から吐き出しても、気持ちが落ち着くわけはなく。
 寧ろ、意識してしまうことでより気持ちが先行してしまうのか、脳内で彗の声が何度も木霊していた。
 うっすら気づいていた自分の気持ちに確信を持ちつつ、音葉は明日へ備えるために毛布に包まった。
 練習試合は午前十時から。それに伴って練習の時間も早まるため、鍵登板の自分はいつもよりも若干早く起きなければならない。

 目を瞑っているだけでも多少睡眠の効果はあるはず――どこかで見た証拠のない理論に縋り付きながら、音葉は目の冴えと戦い続けた。


       ※


「あー面白かった」

 真奈美は寝る前のルーティーンであるストレッチをしながら呟いていた。
 思い起こしているのは、下の名前を呼んだ後に見せた彗の表情と、彗がその場を後にしてから音葉が我に返った時の表情。

 性格も話し方もどこか似ている二人だったが、恥ずかしがり方から顔が真っ赤になるところまでそっくりで、「アレを見れただけでも価値はあったね」と自信満々に広背筋を伸ばした。

 あの表情、そしてこれまでの言動。間違いなく互いに脈あり。
 これからの行く末が楽しみだ、と思う反面、どこまで弄っていいのやらと線引きの大切さを確認していると、ある事実に気づく。

「……武山くんに言ってもらえなかったな」

 彗の騒動ですっかり有耶無耶にされてしまったたため、その場すぐ解散することになってしまい結局下の名前を呼んだのは彗だけ。

「音葉だけずるいなぁ……私も武山くんに――」

 そこまで言いかけて、自分も無意識なうちに名字で呼んでいることに気づき「あり?」と首を傾げる。

「そっか、武山くんじゃなくて……一星くん、か」

 改めて口に出してみると、思っていた以上に気恥ずかしい。
 誰もいない自分の部屋が若干だけれど温かくなった感じがする。

「……思った以上に恥ずかしいんだなぁ」

 ほんの少しだけ彗と音葉に同情しつつ、ストレッチを終えてベッドに入ると「私も重症だね、こりゃ」とだけ呟いて眠りについた。


       ※


「こんなもんでいいかな」

 真田から渡された膨大な量のデータに目を通した一星は、自分の肩を叩いていたわりながらベッドに飛び込んだ。
 彗の魔球、ライトボール。
 プロの世界でも見たことのある選手はごく少数。完全試合をされてしまうほど、圧倒的なピッチングをする可能性があるとんでもないボール。
 そんなボールを高校生が打てるはずはない。
 しかし、一星は不安の中にいた。

「あの数字見せられちゃなぁ……」

 一星が目を通したデータでは、一番から九番まで打率は三割五分以上。控えの選手も三割以下の選手は投手陣だけと言うチームで、正に〝豪打〟と言う表現がふさわしい。
 そんなチームを、ライトボールだけで抑えられるのか――これまでの人生で小学生以来の変化球ナシのリードは、不安しか出てこない。
 これから三年間、彗とバッテリーを組むということは、毎日この不安と戦っていくことになる。

「明日……どこまでやれるかな」

 彗が投げるのは、二回り目から三回り目まで。球数は百球程度で様子を見るという予定。投げるボールは、軌道や投げ方がぶれるため、ストレートはナシでライトボールだけ。
 このような条件下であれば、三失点くらいで抑えられれば上出来だろう。しかし、宗次郎から本当に背番号二を奪取するためには、〝自分が受けること〟によって〝期待以上の結果〟を出すしかない。

 打撃では全打席ヒットを打つつもりで。守りではミスなく完璧なリードをして六回パーフェクトくらいの気持ちで。それくらいじゃないと、一年の内からマスクは被れない――。

「……もう一回目を通しておこう」

 ベッドから起き上がり、一星は再び机に向かった。
 椅子に座ると、ふと彗が発した〝それ、重要か?〟という言葉と、四人で過ごした僅かな時間を思い出して一星はふっ、と笑みを零した。

「アレが無かったら、もっとガチガチだったから、重要だったよ」

 思った以上の効果を実感しながら、一星はデータに目を落とした。
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