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第二部
2-22「怪物とコーチの一日戦争(2)」
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「わかるでしょ! これっすよ!」
怒りが留まるところを知らない彗は、真田の目の前にトレーニングメニューを叩きつけた。
全体練習までのメニューはしっかり書き込まれているが、投手の個人メニューのところだけがほとんど空白になっている。唯一記載されている〝ブルペンでは三十球まで〟という文字が、決して印刷ミスの類ではないということを示していた。
「おー、随分すっきりしたメニューだな」
感心するようにメニューを見つめる真田に「冗談じゃないっすよ!」と彗は声を再び荒げた。
「どういう意味だって問い詰めたら、アイツ……『自分で考えて練習しろ』って言ってたんすよ⁉」
「自主性を尊重する、いいコーチじゃねぇか」
「それは別にいいんですよ! ただ、コーチならちゃんとそれなりの仕事するべきじゃないっすか⁉ これで給料とかも出てるって、おかしいっすよ!」
鼻息が荒くなっていく一方な彗に対して、真田は至って澄ました表情で変わらない。興味なんかないんじゃないのか、そう感じるほどの表情に彗のイライラは遂にピークへ達していた。
「監督が連れてきたんでしょ」と、胸ぐらに手をかけると「何の意味があったんですか」と凄む。
「……はぁ……もう少し考えろよ」
知らぬ存ぜぬだった真田からようやく出てきたのは、明らかな苛立ちの感情が籠った一言だった。思わず彗は迫力に押し負けて怯んでしまい、体が強張る、その様子を見逃さなかった真田は「表出ろ」とメニューを彗の首根っこをつまんで職員室から出た。
「ちょ、監督――」
「……ったく。まずその短気なところ直さねぇとな」
「あんな練習支持するコーチがいる方が遠回りになると思いますけど」
彗は口を尖らせると、若干下の方を見ながら「なんなんすか、あのコーチ」と拗ねたように呟く。
「言ったろ? 名コーチだって。信用ならねぇか?」
「全く」
いくら怯んでも自分の意志は曲げないという強い意志で真田を睨む。
「仮にも俺は先生だぜ? そんな目するんじゃねぇっての」
呆れながら真田は彗のメニューを見ながら「こんなわかりやすいメッセージなのに気づかねぇのか?」と問いかけた。
「メッセージ?」
「あぁ。ただ指導放棄するだけなら、それこそテキトーなこと言ってればいいだけだろ? わざわざこんな紙用意するなんて回りくどいことしねぇよ」
「……確かに」
真田の言うことに頷きながら「でも、一体何を聞きたいっていうんすか? それこそ、聞いてくれればそれで済むじゃないですか」と首を傾げる。
「だからそういうところだって。よく考えて意図を汲み取れ」と言い切ると、真田は「アイツは無駄なことはしねぇよ」と言い残して職員室へ戻った。
「よく考えろって……」
廊下に取り残された彗は力なく呟くと、彗はふらふらと踵を返した。
※
投手向きな性格なのは結構なことだが、少し我が強すぎる――一先ずなだめられたことに安堵しながら職員室に入り直すと、隣に座る同僚の堂島正彦が「あ、真田先生。丁度良かった」と受話器を置いて「ちょうどお電話ありました。コーチの矢沢さんからです」とはにかんだ。
――相変わらず爽やかだなぁ……。
整った顔立ちに明朗快活な話し方は、女性受け間違いなし。密かに女子生徒の間でファンクラブができているという噂のあるほどナイスガイな同僚に嫉妬しつつ「あ、どうもどうも」と受話器を受け取った。
『よお、悪いな昼飯時に』
電話口から聞こえてきたのは、日々の飲酒によってすっかり掠れてしまった同級生の声。天と地の差だな、と苦笑いしながら「いや、構わねぇよ」と返事をする。
『どうだ? 来ただろ?』
「あぁ、全くの予想通りだ」
事前の打ち合わせ通り、昼時に彗が職員室に来たことをそれとなく伝えると『だろうな。ヤツは根っからの投手だな』と電話口の向こうで笑い声が聞こえてきた。
「それにしても性格悪いなぁ……ちゃっちゃと伝えてやればいいじゃねぇか」
『ちゃっちゃと伝えるための下準備だよ。まあ、大船に乗ったつもりで任せてくれ』
「泥船じゃないことを期待してるわ」
「人をおちょくるようなところは昔から変わってないな」とまで言って、〝教師にゃ向いてねぇよ〟と言う言葉を飲み込む。
『これが俺の性分だ、ほっとけ』
「へいへい。で、何の用だ? まさかわざわざ様子を聞くだけってワケじゃねぇだろ」
『あぁ、ちょっと昔の知り合いから連絡があってな。県外の高校から練習試合の申し込みがあった』
「お、来たか。どこだ?」
春季大会で強烈な印象を残した結果、毎日のように練習試合の申し込みは来ていた。しかし、どれも埼玉県内の高校。怪物と天才、という二枚のジョーカーをお披露目するわけにもいかず、全て理を入れているというのが現状。
しばらく初戦敗退が続いていたため、実戦経験が圧倒的に足らないことが懸念にあった真田は「お、ようやくか。どこだ?」と声を弾ませる。
そんな真田とは対照的に、至って冷静に矢沢は『神奈川の桜花大葉山』と溜め息交じりに零す。
「葉山⁉ 去年の甲子園ベストエイトじゃねぇか! どうしてそんな暗い感じなんだよ」
一人浮かれる真田に『日程が問題なんだよ』と矢沢は声を荒げると相手さんが希望してんのが、五月第二週の土曜日。埼玉の遠征があるから合わせてやりたいんだと』と一息に言い切った。
怒りが留まるところを知らない彗は、真田の目の前にトレーニングメニューを叩きつけた。
全体練習までのメニューはしっかり書き込まれているが、投手の個人メニューのところだけがほとんど空白になっている。唯一記載されている〝ブルペンでは三十球まで〟という文字が、決して印刷ミスの類ではないということを示していた。
「おー、随分すっきりしたメニューだな」
感心するようにメニューを見つめる真田に「冗談じゃないっすよ!」と彗は声を再び荒げた。
「どういう意味だって問い詰めたら、アイツ……『自分で考えて練習しろ』って言ってたんすよ⁉」
「自主性を尊重する、いいコーチじゃねぇか」
「それは別にいいんですよ! ただ、コーチならちゃんとそれなりの仕事するべきじゃないっすか⁉ これで給料とかも出てるって、おかしいっすよ!」
鼻息が荒くなっていく一方な彗に対して、真田は至って澄ました表情で変わらない。興味なんかないんじゃないのか、そう感じるほどの表情に彗のイライラは遂にピークへ達していた。
「監督が連れてきたんでしょ」と、胸ぐらに手をかけると「何の意味があったんですか」と凄む。
「……はぁ……もう少し考えろよ」
知らぬ存ぜぬだった真田からようやく出てきたのは、明らかな苛立ちの感情が籠った一言だった。思わず彗は迫力に押し負けて怯んでしまい、体が強張る、その様子を見逃さなかった真田は「表出ろ」とメニューを彗の首根っこをつまんで職員室から出た。
「ちょ、監督――」
「……ったく。まずその短気なところ直さねぇとな」
「あんな練習支持するコーチがいる方が遠回りになると思いますけど」
彗は口を尖らせると、若干下の方を見ながら「なんなんすか、あのコーチ」と拗ねたように呟く。
「言ったろ? 名コーチだって。信用ならねぇか?」
「全く」
いくら怯んでも自分の意志は曲げないという強い意志で真田を睨む。
「仮にも俺は先生だぜ? そんな目するんじゃねぇっての」
呆れながら真田は彗のメニューを見ながら「こんなわかりやすいメッセージなのに気づかねぇのか?」と問いかけた。
「メッセージ?」
「あぁ。ただ指導放棄するだけなら、それこそテキトーなこと言ってればいいだけだろ? わざわざこんな紙用意するなんて回りくどいことしねぇよ」
「……確かに」
真田の言うことに頷きながら「でも、一体何を聞きたいっていうんすか? それこそ、聞いてくれればそれで済むじゃないですか」と首を傾げる。
「だからそういうところだって。よく考えて意図を汲み取れ」と言い切ると、真田は「アイツは無駄なことはしねぇよ」と言い残して職員室へ戻った。
「よく考えろって……」
廊下に取り残された彗は力なく呟くと、彗はふらふらと踵を返した。
※
投手向きな性格なのは結構なことだが、少し我が強すぎる――一先ずなだめられたことに安堵しながら職員室に入り直すと、隣に座る同僚の堂島正彦が「あ、真田先生。丁度良かった」と受話器を置いて「ちょうどお電話ありました。コーチの矢沢さんからです」とはにかんだ。
――相変わらず爽やかだなぁ……。
整った顔立ちに明朗快活な話し方は、女性受け間違いなし。密かに女子生徒の間でファンクラブができているという噂のあるほどナイスガイな同僚に嫉妬しつつ「あ、どうもどうも」と受話器を受け取った。
『よお、悪いな昼飯時に』
電話口から聞こえてきたのは、日々の飲酒によってすっかり掠れてしまった同級生の声。天と地の差だな、と苦笑いしながら「いや、構わねぇよ」と返事をする。
『どうだ? 来ただろ?』
「あぁ、全くの予想通りだ」
事前の打ち合わせ通り、昼時に彗が職員室に来たことをそれとなく伝えると『だろうな。ヤツは根っからの投手だな』と電話口の向こうで笑い声が聞こえてきた。
「それにしても性格悪いなぁ……ちゃっちゃと伝えてやればいいじゃねぇか」
『ちゃっちゃと伝えるための下準備だよ。まあ、大船に乗ったつもりで任せてくれ』
「泥船じゃないことを期待してるわ」
「人をおちょくるようなところは昔から変わってないな」とまで言って、〝教師にゃ向いてねぇよ〟と言う言葉を飲み込む。
『これが俺の性分だ、ほっとけ』
「へいへい。で、何の用だ? まさかわざわざ様子を聞くだけってワケじゃねぇだろ」
『あぁ、ちょっと昔の知り合いから連絡があってな。県外の高校から練習試合の申し込みがあった』
「お、来たか。どこだ?」
春季大会で強烈な印象を残した結果、毎日のように練習試合の申し込みは来ていた。しかし、どれも埼玉県内の高校。怪物と天才、という二枚のジョーカーをお披露目するわけにもいかず、全て理を入れているというのが現状。
しばらく初戦敗退が続いていたため、実戦経験が圧倒的に足らないことが懸念にあった真田は「お、ようやくか。どこだ?」と声を弾ませる。
そんな真田とは対照的に、至って冷静に矢沢は『神奈川の桜花大葉山』と溜め息交じりに零す。
「葉山⁉ 去年の甲子園ベストエイトじゃねぇか! どうしてそんな暗い感じなんだよ」
一人浮かれる真田に『日程が問題なんだよ』と矢沢は声を荒げると相手さんが希望してんのが、五月第二週の土曜日。埼玉の遠征があるから合わせてやりたいんだと』と一息に言い切った。
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