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第二部
2-18「目指すべき姿(3)」
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「こんなんで、何がわかるんだ……よっ」と、真田はテレビを持ち上げて見せる。社会人になって初めて買った10年前の型。当時は薄型という謳い文句だったが、改めて持ってみるとそれなりの重さが感じられた。ほんのり、腰が痛みを感じる。
「その持ち方だと腰に負担が来る。一回降ろして、テレビをへその近くに持ってきて、腕を伸ばしたまま、片膝ついて持ち上げてみ?」
言われた通りに持ち上げてみると、今度は先ほどよりもすんなりと持ち上がった。腰の痛みも感じられないし、全身の負担はない。
「わかったろ? 正しい体の動きを見つけりゃ、負担を減らすことができんだ」
「まあ、理論はわかったが」とテレビをゆっくりと降ろすと、真田は「その正しいフォームってのはどうやって見つけるんだ?」と矢沢に問いかけた。
「あん?」
「正しいフォームってのは技術が進むにつれて変わってくるだろ? 昔は大きく足を上げてテイクバックを大きく取るフォームが一般的だったが、今は動きが簡略化されてメジャーじゃ立ち投げみたいなフォームで投げてる」
「そうだな」
「そうだな、じゃねぇよ。誰も答えられなかった問題を解こうって話になるじゃねぇかそんなこと……三年って短い期間じゃ不可能だろ」
人生を賭けてその無謀な問題に挑むのならばまだわかるが、この問題はたった三年間、しかも他人の身体のメカニズムを解明しようとするもの。それは彗と言う一人の人間を使った無謀な計画に過ぎない。
もし、そんな指導をしようとするのなら――この先の衝突を想像していた真田を嘲笑うかのように、矢沢は「それが、不可能じゃない方法が一つだけあるんだよ」と人差し指を立てる。
「は?」
呆気にとられる真田を他所に、矢沢はアーサーのピッチングを画面に表示させると「このボールを投げられるようになりゃいいんだよ」と、試合序盤のシーンを持ってきた。
今日初めて三振を奪ったシーン。投げているのはもちろん、あの鋭く落ちるボールじゃなく、浮き上がるようなストレートだ。
「これ、ライジングカットだろ?」
「あぁ、このボールは正しいフォームで投げることで、綺麗なホップ回転がかかるようになる。つまり、これを操れるようになれば自然と正しいフォームになるんだよ」
自信満々に話す矢沢に「いや、ちょっと待て」と制止を促して「これならもうアイツは投げられるじゃないか」と否定する。
「俺が言う〝投げられる〟は、意図して投げられるかどうかって話だ。アイツは試合の中で数十球も投げられねぇはずだ……っと」
そこまで言い合いを重ねたところで、矢沢はテレビの映像を野球の放送に戻した。
試合は終盤の七回裏、巨人の攻撃。ワンアウト満塁。待望の追加点なるか、と言う場面だった。
バッターは、アーサーを試合開始から好リードしている小塚。
今日はヒットを打っていないベテランバッター。最低限の犠牲フライは――なんて思いで打席に入ったのだろう。
低めのボールを上手く拾い上げるようにして、ボールをカチ上げる。
犠牲フライには充分か――なんて思っていると、ふらふらと打球は伸びていった。
レフトの選手がゆっくりと後退していく。
「あっ……」
恐らく、試合を見ていた人間は間違いなくそう呟いたであろう。
犠牲フライかと思われた打球は、フェンスをギリギリ越え、レフトスタンドに収まった。
試合を決定付ける、満塁ホームランだ。
「こりゃ、いよいよあるな」
矢沢が試合を見ながら呟く傍らで、真田は教え子たちにチケットを譲ったことを再度悔いた。
※
――今日一番の歓声は、東京ドームを壊すのではないかと思うくらいの迫力だった。
その場に立ち上がり打球を見送っていた一星は、自身も球場の雰囲気に負けないよう精一杯歓声を上げながらオレンジ色のタオルを振り回した。
「ほら、木原さんも!」
呆気に取られていた真奈美は一斉に話しかけられて我に返ると、その場で立ち上がってオレンジ色のタオルを振り回した。
今日二回目のホームランパフォーマンス。なかなか様になってるなと笑っている間に、小塚がホームベースを踏み終えた。
「こりゃ……いよいよあるね」
「完全試合って……凄いんだよね?」
先ほど球場がざわついた時に軽く説明をしていたが、改めて一星は「少なくとも、簡単に見れるもんじゃないからね」と言うと、神妙な面持ちで「日本だけで言えば、十六人しか達成したことがない記録だよ」と呟いた。
真奈美が震えると同時に、感動冷めやらぬ球場の観客もそのことを思い出したのだろう。異様な雰囲気が、徐々に漂う。
「……そんなの見れるなんて、ツイてるねぇ、私たち」
「ホントにね。監督に感謝だ」
動揺続く中でバッターボックスに入ったアーサーは打つ気なく三振。
七回裏の攻撃が終わると、すぐに八回表、阪神の攻撃が始まる――がしかし、新しく投げ始めた〝急に落ちる球〟の対応ができず、三者連続三振と言う結果をアーサーは見せた。
八回裏は波乱なく巨人側も三者凡退。
特に波風が立つことなく、九回が始まる――。
※
「流石にやり過ぎだって……」
彗はゼロを背負ったまま九回表のマウンドに立つアーサーを見ながら呟いた。
「その持ち方だと腰に負担が来る。一回降ろして、テレビをへその近くに持ってきて、腕を伸ばしたまま、片膝ついて持ち上げてみ?」
言われた通りに持ち上げてみると、今度は先ほどよりもすんなりと持ち上がった。腰の痛みも感じられないし、全身の負担はない。
「わかったろ? 正しい体の動きを見つけりゃ、負担を減らすことができんだ」
「まあ、理論はわかったが」とテレビをゆっくりと降ろすと、真田は「その正しいフォームってのはどうやって見つけるんだ?」と矢沢に問いかけた。
「あん?」
「正しいフォームってのは技術が進むにつれて変わってくるだろ? 昔は大きく足を上げてテイクバックを大きく取るフォームが一般的だったが、今は動きが簡略化されてメジャーじゃ立ち投げみたいなフォームで投げてる」
「そうだな」
「そうだな、じゃねぇよ。誰も答えられなかった問題を解こうって話になるじゃねぇかそんなこと……三年って短い期間じゃ不可能だろ」
人生を賭けてその無謀な問題に挑むのならばまだわかるが、この問題はたった三年間、しかも他人の身体のメカニズムを解明しようとするもの。それは彗と言う一人の人間を使った無謀な計画に過ぎない。
もし、そんな指導をしようとするのなら――この先の衝突を想像していた真田を嘲笑うかのように、矢沢は「それが、不可能じゃない方法が一つだけあるんだよ」と人差し指を立てる。
「は?」
呆気にとられる真田を他所に、矢沢はアーサーのピッチングを画面に表示させると「このボールを投げられるようになりゃいいんだよ」と、試合序盤のシーンを持ってきた。
今日初めて三振を奪ったシーン。投げているのはもちろん、あの鋭く落ちるボールじゃなく、浮き上がるようなストレートだ。
「これ、ライジングカットだろ?」
「あぁ、このボールは正しいフォームで投げることで、綺麗なホップ回転がかかるようになる。つまり、これを操れるようになれば自然と正しいフォームになるんだよ」
自信満々に話す矢沢に「いや、ちょっと待て」と制止を促して「これならもうアイツは投げられるじゃないか」と否定する。
「俺が言う〝投げられる〟は、意図して投げられるかどうかって話だ。アイツは試合の中で数十球も投げられねぇはずだ……っと」
そこまで言い合いを重ねたところで、矢沢はテレビの映像を野球の放送に戻した。
試合は終盤の七回裏、巨人の攻撃。ワンアウト満塁。待望の追加点なるか、と言う場面だった。
バッターは、アーサーを試合開始から好リードしている小塚。
今日はヒットを打っていないベテランバッター。最低限の犠牲フライは――なんて思いで打席に入ったのだろう。
低めのボールを上手く拾い上げるようにして、ボールをカチ上げる。
犠牲フライには充分か――なんて思っていると、ふらふらと打球は伸びていった。
レフトの選手がゆっくりと後退していく。
「あっ……」
恐らく、試合を見ていた人間は間違いなくそう呟いたであろう。
犠牲フライかと思われた打球は、フェンスをギリギリ越え、レフトスタンドに収まった。
試合を決定付ける、満塁ホームランだ。
「こりゃ、いよいよあるな」
矢沢が試合を見ながら呟く傍らで、真田は教え子たちにチケットを譲ったことを再度悔いた。
※
――今日一番の歓声は、東京ドームを壊すのではないかと思うくらいの迫力だった。
その場に立ち上がり打球を見送っていた一星は、自身も球場の雰囲気に負けないよう精一杯歓声を上げながらオレンジ色のタオルを振り回した。
「ほら、木原さんも!」
呆気に取られていた真奈美は一斉に話しかけられて我に返ると、その場で立ち上がってオレンジ色のタオルを振り回した。
今日二回目のホームランパフォーマンス。なかなか様になってるなと笑っている間に、小塚がホームベースを踏み終えた。
「こりゃ……いよいよあるね」
「完全試合って……凄いんだよね?」
先ほど球場がざわついた時に軽く説明をしていたが、改めて一星は「少なくとも、簡単に見れるもんじゃないからね」と言うと、神妙な面持ちで「日本だけで言えば、十六人しか達成したことがない記録だよ」と呟いた。
真奈美が震えると同時に、感動冷めやらぬ球場の観客もそのことを思い出したのだろう。異様な雰囲気が、徐々に漂う。
「……そんなの見れるなんて、ツイてるねぇ、私たち」
「ホントにね。監督に感謝だ」
動揺続く中でバッターボックスに入ったアーサーは打つ気なく三振。
七回裏の攻撃が終わると、すぐに八回表、阪神の攻撃が始まる――がしかし、新しく投げ始めた〝急に落ちる球〟の対応ができず、三者連続三振と言う結果をアーサーは見せた。
八回裏は波乱なく巨人側も三者凡退。
特に波風が立つことなく、九回が始まる――。
※
「流石にやり過ぎだって……」
彗はゼロを背負ったまま九回表のマウンドに立つアーサーを見ながら呟いた。
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