104 / 179
第二部
2-16「目指すべき姿(1)」
しおりを挟む
「おい小塚! どうなってやがる!」
キャッチャー防具を外していると、ベンチの奥でいつも冷静そうにしている監督が珍しく顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
――あの野郎……逃げたな。
なかなかトイレから戻ってこないアーサーに心の中で悪態を突きながら小塚は説教を聞き流していた。
次のリードはどうしようか、〝アレ〟の数は増やすかどうかなどを考えながら〝はい、そうですねー〟などと心無い反省の弁を述べていると、いくら頭に血が上っていても身が入っていないということに気づいたようで「試合後、ミーティングな」と捨てセリフを残して定位置であるベンチ奥の椅子に監督は戻る。
「ふぅ……」
一息つこうとベンチに座ると「終わっタ?」アーサーがひょこっと顔を出して様子をうかがっていた。
「テメ、逃げやがったな?」
「いやいや、もう出そうデ出そうデ!」
「やかましい!」
アーサーの頭を軽く小突いてやってから、小塚はバッティンググローブを着けて「ま、お前はゆっくりしてピッチングに備えとけ」と自身の打席に備えてバットを握った。
「備えるって言っても……これだけ点が近いとドキドキしっぱなしですヨ! パーフェクトゲームのためにも、追加点はよ!」
パーフェクトゲーム、とアーサーが言った一言でベンチの中が凍り付いた。こういう記録がかかった試合では、得てしてその話題を出した瞬間に記録が途切れるというもの。あと一人、と誰かが言って途端にホームランを打たれてしまったり、あとアウト一つ、という言葉から体が硬くなってしまってミスをしてしまったりと言う場面がこれまでの歴史の中で数多くある。
これは野球ばかりではなく、他のスポーツや日常でも世奥見られる光景だ。
だからこそ、だれもランナーが一人も出ていないことをあえて話題にせず時間を過ごすことが普通ではある……が、この怪物にはどうでもいいらしい。
至っていつも通りなアーサーを見て、どこか緊張していた自分がばからしくなった小塚も「へいへい。完全試合楽しみにしてますよ」と捨てセリフを吐いてからバッターボックスに向かった。
場面は、ワンアウト満塁。
いつも通りの試合ならば代打が出る場面だが、今日は完全試合と言うビッグイベントが控えている。その女房役である小塚を変えようという選択肢は首脳陣には無いようで、そのままバッターボックスに入る。
「まったく……生意気な怪物だよ、ホント」
当時野球は未経験だった怪物を発掘し、見事戦力にさせた当時の海外スカウトのことを思い出しながら、小塚はバットを構えた。
※
「へっくしょ!」
独特なくしゃみをした真田は「なんだ、誰か噂してんのか」と鼻をすすった。
「汚ねぇな」と矢沢がテーブルを指差す。すると、先ほどのくしゃみで飛び散ったであろう鼻水が机一杯にぶちまけられていた。
「いーだろ別に、俺ん家なんだし」
ふてくされながら真田はティッシュで机の鼻水を拭きとると「しかし、教え子の活躍ってのは酒が進むね」とビールを煽った。
「教え子って言っても、対して教えてねーだろ。コイツが育ったのは球団のスタッフのお陰だ」
「バカやろ! 俺が礼儀とか練習態度とか、入団する前に仕込んでやったんだよ」
鼻高々に真田は宣言する。何年前の話だよ、と呆れながら矢沢は「まーしかし、ここまでの投手になるとは思わなかったな」と真田に惹かれながら矢沢もハイボールを煽った。
「……あんな状況からよく立ち直ったもんだ」
「ホントな。信じらんねぇ、正にMIRACLE!」
「……その胡散臭い英語何とかなんねーのか」
「仮にも英語教師だぜ? 一応この学校じゃネイティブに近いって」
「それを信用して十年前、痛い目に遭ってるからな」
「うるせ!」
真田はアーサーと出会った時の記憶に蓋をしながら「しかし、あんなボールまで投げられるようになってるなんてな」と先ほどの変化球のリプレイをテレビに流す。
ベースの手前まではほとんどストレートと同じ。球速も同じなボールが、ベースの手前で〝ギュン〟と激しく曲がり、空振りを奪った。
「俺も驚いたよ。ここまで形になってるとは思わなかった」
「形になってるって、お前知ってたのか? アイツが変化球投げられるってこと」
「知ってたというか、もうその段階にいるのかって感じだな」と言いながら矢沢は「ちなみに一つ訂正だ」と二本目のハイボールに手を伸ばすと「ヤツが投げたのは立派な〝ストレート〟だ」と言い切った。
「は? 今のは速いだけのフォーク系のボール……スプリットとかじゃないか?」
「いや、違う。今のは間違いなくストレートの一種だ」
右手で缶を開けながら、左手でリモコンを操作して動画を停止する。丁度アーサーがボールを放す瞬間で、手元をズームして確認すると、間違いなくストレートを投げる手首の角度をしていた。指の形も特段曲げているわけじゃなく、このまま普通のストレートを投げますよと言われても違和感はない。
変化球は投げる瞬間の手首の形と、指の形を工夫することで特殊な回転をかけ、相手を翻弄するという目的で使用される。
キャッチャー防具を外していると、ベンチの奥でいつも冷静そうにしている監督が珍しく顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
――あの野郎……逃げたな。
なかなかトイレから戻ってこないアーサーに心の中で悪態を突きながら小塚は説教を聞き流していた。
次のリードはどうしようか、〝アレ〟の数は増やすかどうかなどを考えながら〝はい、そうですねー〟などと心無い反省の弁を述べていると、いくら頭に血が上っていても身が入っていないということに気づいたようで「試合後、ミーティングな」と捨てセリフを残して定位置であるベンチ奥の椅子に監督は戻る。
「ふぅ……」
一息つこうとベンチに座ると「終わっタ?」アーサーがひょこっと顔を出して様子をうかがっていた。
「テメ、逃げやがったな?」
「いやいや、もう出そうデ出そうデ!」
「やかましい!」
アーサーの頭を軽く小突いてやってから、小塚はバッティンググローブを着けて「ま、お前はゆっくりしてピッチングに備えとけ」と自身の打席に備えてバットを握った。
「備えるって言っても……これだけ点が近いとドキドキしっぱなしですヨ! パーフェクトゲームのためにも、追加点はよ!」
パーフェクトゲーム、とアーサーが言った一言でベンチの中が凍り付いた。こういう記録がかかった試合では、得てしてその話題を出した瞬間に記録が途切れるというもの。あと一人、と誰かが言って途端にホームランを打たれてしまったり、あとアウト一つ、という言葉から体が硬くなってしまってミスをしてしまったりと言う場面がこれまでの歴史の中で数多くある。
これは野球ばかりではなく、他のスポーツや日常でも世奥見られる光景だ。
だからこそ、だれもランナーが一人も出ていないことをあえて話題にせず時間を過ごすことが普通ではある……が、この怪物にはどうでもいいらしい。
至っていつも通りなアーサーを見て、どこか緊張していた自分がばからしくなった小塚も「へいへい。完全試合楽しみにしてますよ」と捨てセリフを吐いてからバッターボックスに向かった。
場面は、ワンアウト満塁。
いつも通りの試合ならば代打が出る場面だが、今日は完全試合と言うビッグイベントが控えている。その女房役である小塚を変えようという選択肢は首脳陣には無いようで、そのままバッターボックスに入る。
「まったく……生意気な怪物だよ、ホント」
当時野球は未経験だった怪物を発掘し、見事戦力にさせた当時の海外スカウトのことを思い出しながら、小塚はバットを構えた。
※
「へっくしょ!」
独特なくしゃみをした真田は「なんだ、誰か噂してんのか」と鼻をすすった。
「汚ねぇな」と矢沢がテーブルを指差す。すると、先ほどのくしゃみで飛び散ったであろう鼻水が机一杯にぶちまけられていた。
「いーだろ別に、俺ん家なんだし」
ふてくされながら真田はティッシュで机の鼻水を拭きとると「しかし、教え子の活躍ってのは酒が進むね」とビールを煽った。
「教え子って言っても、対して教えてねーだろ。コイツが育ったのは球団のスタッフのお陰だ」
「バカやろ! 俺が礼儀とか練習態度とか、入団する前に仕込んでやったんだよ」
鼻高々に真田は宣言する。何年前の話だよ、と呆れながら矢沢は「まーしかし、ここまでの投手になるとは思わなかったな」と真田に惹かれながら矢沢もハイボールを煽った。
「……あんな状況からよく立ち直ったもんだ」
「ホントな。信じらんねぇ、正にMIRACLE!」
「……その胡散臭い英語何とかなんねーのか」
「仮にも英語教師だぜ? 一応この学校じゃネイティブに近いって」
「それを信用して十年前、痛い目に遭ってるからな」
「うるせ!」
真田はアーサーと出会った時の記憶に蓋をしながら「しかし、あんなボールまで投げられるようになってるなんてな」と先ほどの変化球のリプレイをテレビに流す。
ベースの手前まではほとんどストレートと同じ。球速も同じなボールが、ベースの手前で〝ギュン〟と激しく曲がり、空振りを奪った。
「俺も驚いたよ。ここまで形になってるとは思わなかった」
「形になってるって、お前知ってたのか? アイツが変化球投げられるってこと」
「知ってたというか、もうその段階にいるのかって感じだな」と言いながら矢沢は「ちなみに一つ訂正だ」と二本目のハイボールに手を伸ばすと「ヤツが投げたのは立派な〝ストレート〟だ」と言い切った。
「は? 今のは速いだけのフォーク系のボール……スプリットとかじゃないか?」
「いや、違う。今のは間違いなくストレートの一種だ」
右手で缶を開けながら、左手でリモコンを操作して動画を停止する。丁度アーサーがボールを放す瞬間で、手元をズームして確認すると、間違いなくストレートを投げる手首の角度をしていた。指の形も特段曲げているわけじゃなく、このまま普通のストレートを投げますよと言われても違和感はない。
変化球は投げる瞬間の手首の形と、指の形を工夫することで特殊な回転をかけ、相手を翻弄するという目的で使用される。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる