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第二部
2-16「目指すべき姿(1)」
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「おい小塚! どうなってやがる!」
キャッチャー防具を外していると、ベンチの奥でいつも冷静そうにしている監督が珍しく顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
――あの野郎……逃げたな。
なかなかトイレから戻ってこないアーサーに心の中で悪態を突きながら小塚は説教を聞き流していた。
次のリードはどうしようか、〝アレ〟の数は増やすかどうかなどを考えながら〝はい、そうですねー〟などと心無い反省の弁を述べていると、いくら頭に血が上っていても身が入っていないということに気づいたようで「試合後、ミーティングな」と捨てセリフを残して定位置であるベンチ奥の椅子に監督は戻る。
「ふぅ……」
一息つこうとベンチに座ると「終わっタ?」アーサーがひょこっと顔を出して様子をうかがっていた。
「テメ、逃げやがったな?」
「いやいや、もう出そうデ出そうデ!」
「やかましい!」
アーサーの頭を軽く小突いてやってから、小塚はバッティンググローブを着けて「ま、お前はゆっくりしてピッチングに備えとけ」と自身の打席に備えてバットを握った。
「備えるって言っても……これだけ点が近いとドキドキしっぱなしですヨ! パーフェクトゲームのためにも、追加点はよ!」
パーフェクトゲーム、とアーサーが言った一言でベンチの中が凍り付いた。こういう記録がかかった試合では、得てしてその話題を出した瞬間に記録が途切れるというもの。あと一人、と誰かが言って途端にホームランを打たれてしまったり、あとアウト一つ、という言葉から体が硬くなってしまってミスをしてしまったりと言う場面がこれまでの歴史の中で数多くある。
これは野球ばかりではなく、他のスポーツや日常でも世奥見られる光景だ。
だからこそ、だれもランナーが一人も出ていないことをあえて話題にせず時間を過ごすことが普通ではある……が、この怪物にはどうでもいいらしい。
至っていつも通りなアーサーを見て、どこか緊張していた自分がばからしくなった小塚も「へいへい。完全試合楽しみにしてますよ」と捨てセリフを吐いてからバッターボックスに向かった。
場面は、ワンアウト満塁。
いつも通りの試合ならば代打が出る場面だが、今日は完全試合と言うビッグイベントが控えている。その女房役である小塚を変えようという選択肢は首脳陣には無いようで、そのままバッターボックスに入る。
「まったく……生意気な怪物だよ、ホント」
当時野球は未経験だった怪物を発掘し、見事戦力にさせた当時の海外スカウトのことを思い出しながら、小塚はバットを構えた。
※
「へっくしょ!」
独特なくしゃみをした真田は「なんだ、誰か噂してんのか」と鼻をすすった。
「汚ねぇな」と矢沢がテーブルを指差す。すると、先ほどのくしゃみで飛び散ったであろう鼻水が机一杯にぶちまけられていた。
「いーだろ別に、俺ん家なんだし」
ふてくされながら真田はティッシュで机の鼻水を拭きとると「しかし、教え子の活躍ってのは酒が進むね」とビールを煽った。
「教え子って言っても、対して教えてねーだろ。コイツが育ったのは球団のスタッフのお陰だ」
「バカやろ! 俺が礼儀とか練習態度とか、入団する前に仕込んでやったんだよ」
鼻高々に真田は宣言する。何年前の話だよ、と呆れながら矢沢は「まーしかし、ここまでの投手になるとは思わなかったな」と真田に惹かれながら矢沢もハイボールを煽った。
「……あんな状況からよく立ち直ったもんだ」
「ホントな。信じらんねぇ、正にMIRACLE!」
「……その胡散臭い英語何とかなんねーのか」
「仮にも英語教師だぜ? 一応この学校じゃネイティブに近いって」
「それを信用して十年前、痛い目に遭ってるからな」
「うるせ!」
真田はアーサーと出会った時の記憶に蓋をしながら「しかし、あんなボールまで投げられるようになってるなんてな」と先ほどの変化球のリプレイをテレビに流す。
ベースの手前まではほとんどストレートと同じ。球速も同じなボールが、ベースの手前で〝ギュン〟と激しく曲がり、空振りを奪った。
「俺も驚いたよ。ここまで形になってるとは思わなかった」
「形になってるって、お前知ってたのか? アイツが変化球投げられるってこと」
「知ってたというか、もうその段階にいるのかって感じだな」と言いながら矢沢は「ちなみに一つ訂正だ」と二本目のハイボールに手を伸ばすと「ヤツが投げたのは立派な〝ストレート〟だ」と言い切った。
「は? 今のは速いだけのフォーク系のボール……スプリットとかじゃないか?」
「いや、違う。今のは間違いなくストレートの一種だ」
右手で缶を開けながら、左手でリモコンを操作して動画を停止する。丁度アーサーがボールを放す瞬間で、手元をズームして確認すると、間違いなくストレートを投げる手首の角度をしていた。指の形も特段曲げているわけじゃなく、このまま普通のストレートを投げますよと言われても違和感はない。
変化球は投げる瞬間の手首の形と、指の形を工夫することで特殊な回転をかけ、相手を翻弄するという目的で使用される。
キャッチャー防具を外していると、ベンチの奥でいつも冷静そうにしている監督が珍しく顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
――あの野郎……逃げたな。
なかなかトイレから戻ってこないアーサーに心の中で悪態を突きながら小塚は説教を聞き流していた。
次のリードはどうしようか、〝アレ〟の数は増やすかどうかなどを考えながら〝はい、そうですねー〟などと心無い反省の弁を述べていると、いくら頭に血が上っていても身が入っていないということに気づいたようで「試合後、ミーティングな」と捨てセリフを残して定位置であるベンチ奥の椅子に監督は戻る。
「ふぅ……」
一息つこうとベンチに座ると「終わっタ?」アーサーがひょこっと顔を出して様子をうかがっていた。
「テメ、逃げやがったな?」
「いやいや、もう出そうデ出そうデ!」
「やかましい!」
アーサーの頭を軽く小突いてやってから、小塚はバッティンググローブを着けて「ま、お前はゆっくりしてピッチングに備えとけ」と自身の打席に備えてバットを握った。
「備えるって言っても……これだけ点が近いとドキドキしっぱなしですヨ! パーフェクトゲームのためにも、追加点はよ!」
パーフェクトゲーム、とアーサーが言った一言でベンチの中が凍り付いた。こういう記録がかかった試合では、得てしてその話題を出した瞬間に記録が途切れるというもの。あと一人、と誰かが言って途端にホームランを打たれてしまったり、あとアウト一つ、という言葉から体が硬くなってしまってミスをしてしまったりと言う場面がこれまでの歴史の中で数多くある。
これは野球ばかりではなく、他のスポーツや日常でも世奥見られる光景だ。
だからこそ、だれもランナーが一人も出ていないことをあえて話題にせず時間を過ごすことが普通ではある……が、この怪物にはどうでもいいらしい。
至っていつも通りなアーサーを見て、どこか緊張していた自分がばからしくなった小塚も「へいへい。完全試合楽しみにしてますよ」と捨てセリフを吐いてからバッターボックスに向かった。
場面は、ワンアウト満塁。
いつも通りの試合ならば代打が出る場面だが、今日は完全試合と言うビッグイベントが控えている。その女房役である小塚を変えようという選択肢は首脳陣には無いようで、そのままバッターボックスに入る。
「まったく……生意気な怪物だよ、ホント」
当時野球は未経験だった怪物を発掘し、見事戦力にさせた当時の海外スカウトのことを思い出しながら、小塚はバットを構えた。
※
「へっくしょ!」
独特なくしゃみをした真田は「なんだ、誰か噂してんのか」と鼻をすすった。
「汚ねぇな」と矢沢がテーブルを指差す。すると、先ほどのくしゃみで飛び散ったであろう鼻水が机一杯にぶちまけられていた。
「いーだろ別に、俺ん家なんだし」
ふてくされながら真田はティッシュで机の鼻水を拭きとると「しかし、教え子の活躍ってのは酒が進むね」とビールを煽った。
「教え子って言っても、対して教えてねーだろ。コイツが育ったのは球団のスタッフのお陰だ」
「バカやろ! 俺が礼儀とか練習態度とか、入団する前に仕込んでやったんだよ」
鼻高々に真田は宣言する。何年前の話だよ、と呆れながら矢沢は「まーしかし、ここまでの投手になるとは思わなかったな」と真田に惹かれながら矢沢もハイボールを煽った。
「……あんな状況からよく立ち直ったもんだ」
「ホントな。信じらんねぇ、正にMIRACLE!」
「……その胡散臭い英語何とかなんねーのか」
「仮にも英語教師だぜ? 一応この学校じゃネイティブに近いって」
「それを信用して十年前、痛い目に遭ってるからな」
「うるせ!」
真田はアーサーと出会った時の記憶に蓋をしながら「しかし、あんなボールまで投げられるようになってるなんてな」と先ほどの変化球のリプレイをテレビに流す。
ベースの手前まではほとんどストレートと同じ。球速も同じなボールが、ベースの手前で〝ギュン〟と激しく曲がり、空振りを奪った。
「俺も驚いたよ。ここまで形になってるとは思わなかった」
「形になってるって、お前知ってたのか? アイツが変化球投げられるってこと」
「知ってたというか、もうその段階にいるのかって感じだな」と言いながら矢沢は「ちなみに一つ訂正だ」と二本目のハイボールに手を伸ばすと「ヤツが投げたのは立派な〝ストレート〟だ」と言い切った。
「は? 今のは速いだけのフォーク系のボール……スプリットとかじゃないか?」
「いや、違う。今のは間違いなくストレートの一種だ」
右手で缶を開けながら、左手でリモコンを操作して動画を停止する。丁度アーサーがボールを放す瞬間で、手元をズームして確認すると、間違いなくストレートを投げる手首の角度をしていた。指の形も特段曲げているわけじゃなく、このまま普通のストレートを投げますよと言われても違和感はない。
変化球は投げる瞬間の手首の形と、指の形を工夫することで特殊な回転をかけ、相手を翻弄するという目的で使用される。
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