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第二部
2-12「センセンフコク(1)」
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「あれが……怪物か」
中学のころから怪物と呼ばれていた彗が自らその言葉を発していることが面白く、音葉は「なんか空野くんが言うと変な感じだね」と笑う。
「うるせー。記者が勝手に読んでるだけだっつの」
音葉のいじりにむくれながら、彗は「しかし、なんだろうな」と首を傾げる。
「なんだろうって?」
「いや、まだ試合開始三十分前だろ? まだ選手はグラウンドに出てこねータイミングじゃねぇか」
「あ……」
彗の言葉でようやくその違和感に気づいた音葉は、改めてグラウンドにいるアーサーを見る。
キョロキョロと周囲を見渡し、どこか挙動不審。
――誰か探してるのかな……?
外国人選手が母国から家族を呼ぶなんてことは珍しくない。その類のものだろう、と温かいまなざしで見つめていると「Found!」と突如声を上げた。
目的の人を見つけたようで、バックネット――というよりも、彗と音葉を示すよう人差し指を向けている。
近くに加須奥がいるのかな、と思い音葉は周囲を見渡してみるが、それらしい人はいない。
むしろ、まだ試合前と言うことで周りにはほとんど客がおらずという状況。
――……ってことは、探してたのは私たち?
「……なあ、明らかにこっち見てるよな」
彗もその視線に気づいたようで、恐る恐る囁いてくる。
「だね」
「お前、知り合いとか? そういや英語の小テスト、点数良かったもんな」
「そんなわけないじゃん。空野くんの方こそ、どこかで対決したことあるんじゃない?」
「んなわきゃあるか」
ひそひそと話していると、アーサーはさらに近づいて目の前までくると「He!」と、今度ははっきりと彗のことを指差した。
「お、おれ⁉」
「Yes! センセイから聞いてるよ!」
片言の日本語で話しかけてくる。呆気に取られている彗を他所に、アーサーは「ま、楽しんでいってくれ! Japanese Monster!」
「は? え、なに?」
そこでようやく、場内の注目を集めていた今日の主役が一人の観客に声をかけたという事実がようやく球場内に広まり始め、歓声がざわつきに変わりつつある。
肝心の彗はただ口をパクパクするだけ、かといって音葉が何かフォローできるわけもなく。
混乱が続く場内を収めるかのように、今日のスタメンマスクであるベテランの小塚がベンチから飛び出してきた。
※
試合前はブルペンで状態を確かめることから始める。数球投げ込んで状態をピッチャーとキャッチャー両方とも確認してから、勝負のグラウンドに立つための重要な時間だ。
そんな大事な時間に、何してんだ――久々のスタメン出場でいきり立っていた自分がばからしくなりながらも、小塚卓也は「何してんだよ」とアーサーの首根っこを掴んだ。
「No! チョ、チョット」
名残惜しそうにするアーサーを無視してベンチへ連れて帰る。道すがら、アーサーの話しかけていた観客をちらりと見た。
高校生くらいの、男女のペアだ。
大方、女子の方をナンパでもしていたのだろう。
「なんでブルペンから逃げ出したんだ? 俺には球を受けてほしくないってか」
「いやいやいや、違いますっテ! ちょっと今日は俺のお客さんがイテ」
「お客さん? あの学生二人がか?」
「ソウソウ! 二人と言うよりは、あの男の方だけど!」
「……ナンパじゃねぇのか」
「ナンパ? ハッハァ! それはないよ、小塚サン! ゲームスタートもしてないノニ!」
アメリカのコメディ映画のような大げさなリアクションにイラつきながら「ったく……親戚とか友人か?」と問いかけると「どれも違うネ」と今度は残念そうなリアクションを見せる。いよいよ血圧が上昇しかけたところで、アーサーはまじめな表情で「あとチョットしたらライバルになるって、センセイが言ってたんだ」と静かに笑った。
「はーん……」
最後には真面目な表情になったアーサー。気合が入っていないというわけではないんだな、と若干安心した小塚は「じゃ、あれか。今日は宣戦布告ってやつだな」とにやりと笑ってみせた。
「センセンフコク?」
聞き慣れない単語だったのか、首を傾げるアーサーに「英語で言えば〝Declaration of war〟……これからやり合いましょうって言葉だ」と意味を伝えると「アー……ピッタリだね!」と満点の笑みを浮かべて「じゃあ最高のピッチングをしなきゃ!」と鼻息を荒くした。
「……最高のピッチングねぇ」
「ウン! 小塚サン、今日はアレ、投げよう!」
試合開始が待ちきれない、と足踏みを重ねるアーサーに「は? シーズン終盤に向けて取っておくって話だっただろ」と小塚は眉間にしわを寄せる。
「せっかく見に来てくれたんだし! サービスするのもプロの役目でショ!」
三年前に来日してからずっとバッテリーを組んでいる小塚は、こうなるともう止められないことをしている。自分のやりたいことを優先するタイプで、そのためならサイン無視だなんてことも辞さないはず。
いつ飛んでくるかわからない〝アレ〟を受けるのは危険極まりない。
それならもう――小塚は観念して「わかったよ」とため息を零した。
「ヤッタ!」
「ただし、俺がサインを出すからな。それに従って投げろ!」
「イエッサー!」
秘密のやり取りを終えると、アーサーは満足気にブルペンへ向かった。
「はぁ……監督にどやされるなこりゃ」
中学のころから怪物と呼ばれていた彗が自らその言葉を発していることが面白く、音葉は「なんか空野くんが言うと変な感じだね」と笑う。
「うるせー。記者が勝手に読んでるだけだっつの」
音葉のいじりにむくれながら、彗は「しかし、なんだろうな」と首を傾げる。
「なんだろうって?」
「いや、まだ試合開始三十分前だろ? まだ選手はグラウンドに出てこねータイミングじゃねぇか」
「あ……」
彗の言葉でようやくその違和感に気づいた音葉は、改めてグラウンドにいるアーサーを見る。
キョロキョロと周囲を見渡し、どこか挙動不審。
――誰か探してるのかな……?
外国人選手が母国から家族を呼ぶなんてことは珍しくない。その類のものだろう、と温かいまなざしで見つめていると「Found!」と突如声を上げた。
目的の人を見つけたようで、バックネット――というよりも、彗と音葉を示すよう人差し指を向けている。
近くに加須奥がいるのかな、と思い音葉は周囲を見渡してみるが、それらしい人はいない。
むしろ、まだ試合前と言うことで周りにはほとんど客がおらずという状況。
――……ってことは、探してたのは私たち?
「……なあ、明らかにこっち見てるよな」
彗もその視線に気づいたようで、恐る恐る囁いてくる。
「だね」
「お前、知り合いとか? そういや英語の小テスト、点数良かったもんな」
「そんなわけないじゃん。空野くんの方こそ、どこかで対決したことあるんじゃない?」
「んなわきゃあるか」
ひそひそと話していると、アーサーはさらに近づいて目の前までくると「He!」と、今度ははっきりと彗のことを指差した。
「お、おれ⁉」
「Yes! センセイから聞いてるよ!」
片言の日本語で話しかけてくる。呆気に取られている彗を他所に、アーサーは「ま、楽しんでいってくれ! Japanese Monster!」
「は? え、なに?」
そこでようやく、場内の注目を集めていた今日の主役が一人の観客に声をかけたという事実がようやく球場内に広まり始め、歓声がざわつきに変わりつつある。
肝心の彗はただ口をパクパクするだけ、かといって音葉が何かフォローできるわけもなく。
混乱が続く場内を収めるかのように、今日のスタメンマスクであるベテランの小塚がベンチから飛び出してきた。
※
試合前はブルペンで状態を確かめることから始める。数球投げ込んで状態をピッチャーとキャッチャー両方とも確認してから、勝負のグラウンドに立つための重要な時間だ。
そんな大事な時間に、何してんだ――久々のスタメン出場でいきり立っていた自分がばからしくなりながらも、小塚卓也は「何してんだよ」とアーサーの首根っこを掴んだ。
「No! チョ、チョット」
名残惜しそうにするアーサーを無視してベンチへ連れて帰る。道すがら、アーサーの話しかけていた観客をちらりと見た。
高校生くらいの、男女のペアだ。
大方、女子の方をナンパでもしていたのだろう。
「なんでブルペンから逃げ出したんだ? 俺には球を受けてほしくないってか」
「いやいやいや、違いますっテ! ちょっと今日は俺のお客さんがイテ」
「お客さん? あの学生二人がか?」
「ソウソウ! 二人と言うよりは、あの男の方だけど!」
「……ナンパじゃねぇのか」
「ナンパ? ハッハァ! それはないよ、小塚サン! ゲームスタートもしてないノニ!」
アメリカのコメディ映画のような大げさなリアクションにイラつきながら「ったく……親戚とか友人か?」と問いかけると「どれも違うネ」と今度は残念そうなリアクションを見せる。いよいよ血圧が上昇しかけたところで、アーサーはまじめな表情で「あとチョットしたらライバルになるって、センセイが言ってたんだ」と静かに笑った。
「はーん……」
最後には真面目な表情になったアーサー。気合が入っていないというわけではないんだな、と若干安心した小塚は「じゃ、あれか。今日は宣戦布告ってやつだな」とにやりと笑ってみせた。
「センセンフコク?」
聞き慣れない単語だったのか、首を傾げるアーサーに「英語で言えば〝Declaration of war〟……これからやり合いましょうって言葉だ」と意味を伝えると「アー……ピッタリだね!」と満点の笑みを浮かべて「じゃあ最高のピッチングをしなきゃ!」と鼻息を荒くした。
「……最高のピッチングねぇ」
「ウン! 小塚サン、今日はアレ、投げよう!」
試合開始が待ちきれない、と足踏みを重ねるアーサーに「は? シーズン終盤に向けて取っておくって話だっただろ」と小塚は眉間にしわを寄せる。
「せっかく見に来てくれたんだし! サービスするのもプロの役目でショ!」
三年前に来日してからずっとバッテリーを組んでいる小塚は、こうなるともう止められないことをしている。自分のやりたいことを優先するタイプで、そのためならサイン無視だなんてことも辞さないはず。
いつ飛んでくるかわからない〝アレ〟を受けるのは危険極まりない。
それならもう――小塚は観念して「わかったよ」とため息を零した。
「ヤッタ!」
「ただし、俺がサインを出すからな。それに従って投げろ!」
「イエッサー!」
秘密のやり取りを終えると、アーサーは満足気にブルペンへ向かった。
「はぁ……監督にどやされるなこりゃ」
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