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第二部
2-07「千里の道は基礎から(7)」
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「こうなると、最後の球を放す瞬間、人差し指と中指が真上に立ってる。こういうリリースだと、ボールの回転軸が真横になって、ホップ成分が強くなり、俗に言う〝ノビる〟ストレートってやつになる。プロの選手で言えば、阪神にいた守護神の藤川球児《ふじかわきゅうじ》が代表格だ」
「……なるほど」
「それだけでも充分なんだが、お前のストレートはここから更にもう一癖ある」というと、彗の右手を握って「原因は、この指だ」と、彗の中指を指差した。
「中指?」
「あぁ。ストレートを投げるときは、人差し指と中指で最後、押し込むように投げ込む。普通の人と比べると、お前は中指が人差し指と比べて長く、球を放す瞬間、最後までこの中指がいたずらをする」
「い、いたずら?」
「あぁ。最後の瞬間、この中指がかかることで、シュートとは逆の回転がかかる。つまりはスライド回転がかかり、軌道は左ピッチャーが投げるストレートみたいになる」
「左のストレート?」
「あぁ。軌道だけ見りゃな。加えて、ホップの数値を見てみると、2568回転ってなってる」
「平均ってどれくらいなんですか?」
「高校生だと2200前後、プロの平均は2300前後。回転数だけ見りゃすでにプロ以上ってことになるな」
矢沢の講義にすっかりのめり込んでいる音葉は、キラキラとした視線で彗を見つめていた。どこか気恥ずかしくて「こっちみんな」と手で払う。
「加えてコイツのストレートはスライド回転している。〝浮き上がる〟ような軌道で〝普通のストレートと同じ球速〟の〝カットボール〟……あえて言うなら、ライジングカットってやつだな」
「……そんな漫画みたいなボール、ホントにあるんですか?」
「あぁ。実際、メジャーリーグにもこのボールを操る選手はいる。数えるほどだがな」
「どんなピッチャーがいるんですか?」
「日本人じゃ〝ダルビッシュ有〟が2010年のオールスターで投げて話題になり、ドジャースの〝ケンリー・ジャンセン〟はこのカットボールを武器に、2017年最多セーブに輝いている」
「結構いるんですね」
「それなりに、だがな。ただ、そんな中でもこのピッチャーが一番近いだろう」と言いながら、矢沢は動画サイトを開くと、その選手の名前を入力して一番上に出てきた動画を再生した。
「〝アーサー・ウィルソン〟……?」
動画に映っているのは、もこもことしたロン毛が特徴の白人の選手だ。身長も高く、腕も長い。ピッチャーとして理想的な体格から、そのボールは放たれる。
「このアーサーは、球速がストレートとほぼ同じ。浮き上がるような軌道で、強打者たちをなぎ倒している」
矢沢の言葉が耳に入ってこないほど、彗は画面の大男に目を奪われていた。
低めやインコースなどといった細かいコントロールはない。見ようによっては、大雑把なピッチングに見えるかもしれない。
それでも、この選手は圧倒的なピッチングで隙を見せることはない。
奪三振集というタイトルにもかかわらず、数十分間投げていたのは浮き上がってくるようなカットボールだけ。
「すげー……」
魅せる、とはこのことを言うのだろう。言葉が簡単なものしか出て来ていないことに彗自身が気付いたのは、動画を全て見終わったタイミングだった。
「このアーサーは、投球の割合が90パーセントをライジングカットが占めている」
「90パーセント⁉」
「あぁ。変化球を投げることの方が珍しいピッチャーだ」
「なん下変化球投げないんだろ」
「単純に、怪我が少ないんだよ。ストレートだけってのは」
「そうなんすか?」
「あぁ。無理に肘を曲げる必要もないし、基本的に動作が一緒になるからな。これ以上体へのダメージを抑えようとするなら、ナックルを投げるくらいしか方法はねぇだろうな」
そこまで言い切ると、矢沢は居直って彗に相対して座ると「お前は、この選手を越えられるだけの力があると俺は思ってる」と言い切った。
「買いかぶりすぎじゃないですか?」
「いや、それくらいの素質があると思ったから、俺は彩星に来たんだ」
かつてないほどの熱を伝えてくる矢沢に彗は言葉を詰まらせていると、業を煮やしたのか矢沢は「もう一度、改めて聞かせてもらう」と、再び指を二本立てた。
「舗装された無難な道を選んでナンバーワンになるか、ひたすら基礎のストレートを磨くだけ、っていう誰も通ったことのない道を進んで、オンリーワンになるか。怪物・空野彗はどっちの道を進む?」
究極の二択、といっても過言ではないかもしれない。
突然振りかかった二択に、彗は俯いて思考を巡らせた。
――初めは甲子園に行ければそれでよかった。
母に甲子園で戦っている姿を見せて、生きている間に親孝行をしてやるぐらいにしか考えていなかった。
それも悪くはない選択肢だ。けれど、目標を甲子園にしていたことで、どこか自分の中で基準が小さくなっていたのかもしれない。
――そこで終わるわけじゃないもんな。
高校三年生が終わっても、人生は続く。寧ろ、その後の人生の方が長い。
その人生の中で、完璧な選択をし続けることは不可能だ。
それだったら、面白い方に賭けてみよう。
「やるならワクワクする方だ」
彗は、覚悟を決めて顔を上げた。
「……なるほど」
「それだけでも充分なんだが、お前のストレートはここから更にもう一癖ある」というと、彗の右手を握って「原因は、この指だ」と、彗の中指を指差した。
「中指?」
「あぁ。ストレートを投げるときは、人差し指と中指で最後、押し込むように投げ込む。普通の人と比べると、お前は中指が人差し指と比べて長く、球を放す瞬間、最後までこの中指がいたずらをする」
「い、いたずら?」
「あぁ。最後の瞬間、この中指がかかることで、シュートとは逆の回転がかかる。つまりはスライド回転がかかり、軌道は左ピッチャーが投げるストレートみたいになる」
「左のストレート?」
「あぁ。軌道だけ見りゃな。加えて、ホップの数値を見てみると、2568回転ってなってる」
「平均ってどれくらいなんですか?」
「高校生だと2200前後、プロの平均は2300前後。回転数だけ見りゃすでにプロ以上ってことになるな」
矢沢の講義にすっかりのめり込んでいる音葉は、キラキラとした視線で彗を見つめていた。どこか気恥ずかしくて「こっちみんな」と手で払う。
「加えてコイツのストレートはスライド回転している。〝浮き上がる〟ような軌道で〝普通のストレートと同じ球速〟の〝カットボール〟……あえて言うなら、ライジングカットってやつだな」
「……そんな漫画みたいなボール、ホントにあるんですか?」
「あぁ。実際、メジャーリーグにもこのボールを操る選手はいる。数えるほどだがな」
「どんなピッチャーがいるんですか?」
「日本人じゃ〝ダルビッシュ有〟が2010年のオールスターで投げて話題になり、ドジャースの〝ケンリー・ジャンセン〟はこのカットボールを武器に、2017年最多セーブに輝いている」
「結構いるんですね」
「それなりに、だがな。ただ、そんな中でもこのピッチャーが一番近いだろう」と言いながら、矢沢は動画サイトを開くと、その選手の名前を入力して一番上に出てきた動画を再生した。
「〝アーサー・ウィルソン〟……?」
動画に映っているのは、もこもことしたロン毛が特徴の白人の選手だ。身長も高く、腕も長い。ピッチャーとして理想的な体格から、そのボールは放たれる。
「このアーサーは、球速がストレートとほぼ同じ。浮き上がるような軌道で、強打者たちをなぎ倒している」
矢沢の言葉が耳に入ってこないほど、彗は画面の大男に目を奪われていた。
低めやインコースなどといった細かいコントロールはない。見ようによっては、大雑把なピッチングに見えるかもしれない。
それでも、この選手は圧倒的なピッチングで隙を見せることはない。
奪三振集というタイトルにもかかわらず、数十分間投げていたのは浮き上がってくるようなカットボールだけ。
「すげー……」
魅せる、とはこのことを言うのだろう。言葉が簡単なものしか出て来ていないことに彗自身が気付いたのは、動画を全て見終わったタイミングだった。
「このアーサーは、投球の割合が90パーセントをライジングカットが占めている」
「90パーセント⁉」
「あぁ。変化球を投げることの方が珍しいピッチャーだ」
「なん下変化球投げないんだろ」
「単純に、怪我が少ないんだよ。ストレートだけってのは」
「そうなんすか?」
「あぁ。無理に肘を曲げる必要もないし、基本的に動作が一緒になるからな。これ以上体へのダメージを抑えようとするなら、ナックルを投げるくらいしか方法はねぇだろうな」
そこまで言い切ると、矢沢は居直って彗に相対して座ると「お前は、この選手を越えられるだけの力があると俺は思ってる」と言い切った。
「買いかぶりすぎじゃないですか?」
「いや、それくらいの素質があると思ったから、俺は彩星に来たんだ」
かつてないほどの熱を伝えてくる矢沢に彗は言葉を詰まらせていると、業を煮やしたのか矢沢は「もう一度、改めて聞かせてもらう」と、再び指を二本立てた。
「舗装された無難な道を選んでナンバーワンになるか、ひたすら基礎のストレートを磨くだけ、っていう誰も通ったことのない道を進んで、オンリーワンになるか。怪物・空野彗はどっちの道を進む?」
究極の二択、といっても過言ではないかもしれない。
突然振りかかった二択に、彗は俯いて思考を巡らせた。
――初めは甲子園に行ければそれでよかった。
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それも悪くはない選択肢だ。けれど、目標を甲子園にしていたことで、どこか自分の中で基準が小さくなっていたのかもしれない。
――そこで終わるわけじゃないもんな。
高校三年生が終わっても、人生は続く。寧ろ、その後の人生の方が長い。
その人生の中で、完璧な選択をし続けることは不可能だ。
それだったら、面白い方に賭けてみよう。
「やるならワクワクする方だ」
彗は、覚悟を決めて顔を上げた。
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