彗星と遭う

皆川大輔

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第一部

1-79「vs春日部共平(24)」

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 言葉は交わしていないが、〝逃げねーぞ〟〝真向勝負しよう〟という意思がボールから伝わってくる。
 マウンドでは、怪物は七回に打ち取られたときの般若の面をつけているような表情とはまた違う、不敵な笑みを浮かべていた。
 さながら、自分たちのチームを負けへ誘うような、悪魔の微笑みだ。

「なんだろうな……」

 そんな怪物を見ながら誰にも聞こえないくらいのか細い声で呟きながらバッターボックスを外すと、海斗はこの一年間の記憶を辿ってみた。

 去年、埼玉県大会で優勝。
 甲子園でも勝ち進み、ベスト4。
 春の甲子園でもベスト8まで残っている。
 今いる高校三年生の球児では、自分以外に経験を積んだ選手はいないんじゃないかと思えるほどの時間を過ごしてきた。

 そんな充分すぎるほどの経験を積んできた自分が、これまでの人生で経験したことのないほどに、燃えている。

 怪物よりも、すごい選手と戦ってきた。
 一つ上の先輩たちと最後まで一緒に野球をやるために、打たないといけない場面はあった。

 もちろん、そのそれぞれの場面でも燃えていた。
 やる気に満ち溢れていた。 
 ただ、今は、それらの燃え方はその比にならないほどに満ち溢れている。

 ――なんで今なんだ……?

 海斗はその疑問に答えを出せないまま、バットを構えていた。
 ただ一つ、負けたくないという気持ちだけ携えて。


       ※


「……凄いことが起きちゃったかもしれないですね」と熊谷が呟くと「ホントにね」と、森下も想定以上の展開に震えながら応えた。

 試合はいよいよ終盤。
 九回ツーアウトで、バッターは超高校級スラッガーの烏丸海斗。カウント、ノーボールツーストライク。

 ――予想通り八回に波乱はあった。

 入った点は、たったの一点。しかしその一点は、ただの一点ではない。
 勝利のちらつく試合の終盤。ホームラン一つで追いつかれるという、危機的状況に陥る一点だ。

 そんな状況で投げているのは、怪物とはいえまだ一年生。

 いくら実力が突出していても、精神面はまだまだ未熟なはず。一度決壊した堤防から水が流れ出るように、九回の攻撃で逆転される、横綱相撲を見せられるまでがセットの予想だった。
 事実、森下の手元にあるパソコンには〝県立の星、惜しくも横綱に敗戦〟という記事の下書きがある。

 経験のある記者なら、そうみるだろう。
 一年生だから、相手は強豪だから。
 そんな予想を、跳ね返すほどの素質。

 ――ここで横綱を喰ったら、どうなるんだろう……。

 胸の高鳴りを抑えられないまま、鼻息荒く森下は試合を見守る。

 三球目もストレート。インコースが僅かに外れてボール。

 四球目もストレート。大きく外れてキャッチャーも取れない大暴投。

 五球目もまさかのストレート。今度はバットに当てられファール。

 六球目も意地のストレート。球審が微かに肩を震わせ、ストライクコールをしかける最高のボール。

 瞬く間にフルカウント。
 全て、ストレート。
 あのバッテリーは、もう一歩も引かない気だ。

「何考えてるのかな……あのバッテリー」と、口をあんぐりと空けて熊谷が呟く。

 今行われているのは、変化球を使って打ち取るのが常識な近代野球からかけ離れた、正真正銘の力勝負。
 プロの世界でも、選ばれた者のみ出場できるオールスター戦でしか見られない代物だ。

 言わば、変化球と言う武器が開発される前に行われていた古代の野球。
 そんな野球を新人が目の当たりにすれば、こんな表情になるのも困惑するのも無理はないね、と森下は「熊谷くん、一つ命令」とスコアブックを取り上げて「最後の一球、目に焼き付けて」と言い放つ。

「えっ、でも」

 文字はあとでいくらでも打つことができる。
 けれど、こんな試合を見ることは今後ないかもしれない。
 この経験は、今後の糧になってくれるはず。

 その考えを伝えようとするも、マウンドの怪物が投球動作に入ってしまって説明する間はなく。
 困惑する熊谷に「取り合えず、見てて」とだけ言い切ると、自身ももう一度マウンドに視線を戻して、言った。

「タイトルは、〝彗星バッテリー、ここに誕生〟かな」


       ※


 フルカウント。
 コースも、変化球も、何も関係ない。
 次に投げるのもストレートと決まっている。
 この球場にいる誰もがわかっていることだった。

 次の一手がバレバレの状況で、怪物は大きく振りかぶる。
 その笑みは、勝利が近付いていることによる嬉しさからなのか。
 はたまた、勝負が楽しいためなのだろうか。

 本人にさえもわからないその状況で、空野彗は体重移動を始める。

 不安と、疑問と、懸念を削ぎ落した、純粋にストレートを投げるだけのフォーム。
 スムーズにその体は動き、徐々に体重を移動させながらステップする。
 柔軟な方の動き、肘のしなりをもって、そのボールは放たれた。

 唸りを上げたストレートは、真っすぐ、武山一星のミットめがけて駆け出した。
 空気抵抗も何も関係ない、ただひたすら直進するストレート。

 そんな大砲みたいなボールは、遂に何にも触れることなく、一星のミットに収まった。

 ドゴッ、と爆音が遅れてやってくる。

 バックスクリーンに表示された球速、152キロ。

 奇しくも、世界大会で優勝を決めたあのストレートと同じ球速だった。

 一星は、そのミットを高らかに掲げる、
 たかだか、二回戦。
 それも、本番ではないといわれる春季大会。
 そのはずなのに、彩星高校ナインはマウンドで歓喜の輪を作っていた。

 試合終了。
 その差、実に一点差。
 激闘を制したのは、彩星高校だった。



  ――第一部・完結――

第一部読了ありがとうございました!
後日談を挟みつつ、すぐに第二部が開始します!
まだまだ彗と一星の戦いは始まったばかりです。
引き続き、お楽しみください!
今後ともよろしくお願いいたします!
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