彗星と遭う

皆川大輔

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第一部

1-77「vs春日部共平(22)」

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 自信を持てないまま掴み取った、手応えのないツーアウト。
 試合に出ていないベンチの選手たちが色めきだっているのが、声だけで伝わるほどだった。振り返ってみると、彗の目に映る先輩たちは、甲子園常連の強豪に勝てるかもという状況に、浮足立っていた。
 興奮と、不安と、期待……その他諸々。色々な感情が表情に現れている。
 皆、自分のことで精いっぱいで、誰もその異常に気が回っていないのだろう。

「無理もないか」と呟くと「何がだ」と、いつもと表情が変わらない宗次郎が彗に話しかけてきた。

「へっ、いつの間に」

「次のバッターがアイツだからな。一応、確認だ」と、宗次郎は顎でクイッとホームに視線を誘導する。その先では、春日部共平の四番・烏丸海斗がゆったりと素振りをしていた。

 ブン、ではなく、ブォン――まるで、巨大なうちわでも仰いでいるような風切り音が、マウンドにいる彗の耳に届いた。
 バッターボックスからマウンドまで素振りの音が聞こえるなんて、初めての体験に笑いながら、彗は「俺、こんな人を抑えてたのかー……」と他人事のように呟いた。

 六回にリリーフで登板して、三番を打ち取った。
 七回も続投で、三者凡退に抑えた。
 だから一度、七回に対戦して抑えているはず。
 思い出してみようとするが、頭の中は真っ白。ようやく引っ張り出せたおぼろげな記憶の中では、なんとなく三振を奪っていた。

「んー……」

 必死に詳細を思い出そうとする彗の頭をポカリと宗次郎が殴りつけると「その様子じゃ、やっぱり覚えてなかったか」と呟いた。

「へ?」と頭をさすりながら彗は「なんでわかったんですか?」と問い返した。

「七回は話しかけても反応なかったからな。そんな気はしてたさ」

「……なるほど。ちなみに、どんな配球でしたっけ」

「すべて150前後のストレートだ」

「……信じらんねーです」

「ただひたすら、投げることに夢中だっんだろうな。相手のことを見る余裕もないくらいに」

「それがさっき言ってた腕を振ることだけ考えろってヤツに繋がるんですね」

「あぁ。集中してりゃドラフト一位候補だって抑えられるんだ。自信持ってけ」

「は、はい」

「配球はストレートメインだが、コースは際どい所に構える。カウント次第では歩かせるかもしれん。球速は落ちてきているが、威力はまだ充分だ。思いっきり腕振ってこい」と一息で言い切ると、彗の胸を軽くとんっとミットで叩いてから、宗次郎はホームベースへ戻っていった。

 夢中だった、周りが見えないくらいに集中していた。

 ――なるほど。

 宗次郎の言葉に納得した彗は、改めてバッターボックスに入る海斗を見て呟く。

「コレが気にならないくらい集中しないと、抑えられないってわけか」

 バットを構えるその姿は、プロ野球選手と勘違いしてしまうほど。どこに投げても打たれるような、そんな威圧感を醸し出している。
 ゾーンってやつだったのかもな――なんてことを思いながら、彗は苦笑いを浮かべる他なかった。

 そんな彗を他所に、宗次郎はマスクを被ってしゃがむと、打ちあわせ通りストレートを要求。ストライクゾーンギリギリのアウトコースに構えた。
 あくまでストレート勝負。
 もうわかりましたよ――強気なリードの姿勢を見せ続ける宗次郎の元へ、ストレートを投げ込んだ。

 今日イチ、とまではいかないが、納得のいくストレート。
 狙ったコースバッチリ。
 そんなストレートを、信じがたいスイングスピードで海斗はバットに当てた。
 きんっ、と軽い音。
 前には飛ばない。
 そう直感が告げた瞬間。
 どしゅっ、と鈍い音が立て続けに鳴り響いた。
 バットに掠ったボールが、軌道を変えて、宗次郎の右手を襲ったのだ。


       ※


 試合の最終局面。ツーアウトまで漕ぎつけ、勝利まであとワンアウト。
 そんな状況で、どうやらマウンドではアクシデントが起きたようだった。
 遠目ではわからないが、四番の海斗に初球を投げ込んだところで試合は中断。
 うずくまっている宗次郎の元へ、内野陣が集まっていた。

「もしかして、怪我ですかね」

 ライトにいる一星は、センターの良明に問いかけてみた。

「……そうみたいだな」

 良明は、不安げに呟く。
 苦楽を共にした同級生であり、キャプテンであり、四番。正にチームの柱でもある宗次郎が抜けてしまえば、この試合は勝つことはできない。
 そのことをわかっている故の表情だった。
 なんとか無事でありますように、と願うばかりだが、そんな願い虚しく、誰かがベンチに向かって×のジェスチャーを送っていた。
 外からでもわかるほどの外傷。おそらくこの試合で戻ってくるのはもう難しいという判断だろう。

「武山!」

 ベンチから、監督の声が響いてきた。
 控えには、他にもキャッチャーの先輩はいる。
 しかし、投げているのは怪物・空野彗。
 誰にでもそのボールを捕球できるわけではない。
 ましてや、練習でも試合でも、宗次郎と一星以外はボールを捕っていない。
 そんな状況で、名前が呼ばれた。
 つまりは、そういうことだ。

「はい!」

 力強く返事をすると、一星はベンチに走り抱いた。
 動揺が広がるベンチに戻ると、真田が一言「いけるな」と問いかけてくる。

「もちろんです」

 外野用のグローブを置いてキャッチャーミットと防具を慣れた手つきで装備しながら応えると、一星は勢いよくマウンドに飛んで行った。
 どこか、羨ましかったのかもしれない。

 自分のあるべき場所で輝いている、彗が。
 自分の求められている役割を果たしている、彗が。
 自分の存在感を示している、彗が。

「……ふふっ」

「お前、何で笑ってんだよ」

 自分も、その羨ましい場所で役割を果たせる。
 そのことがただひたすらに嬉しかった。

 ――理由は、そんなところかな。

 しかし、さんざんこの試合で脚光を浴びた彗にそう応えるのはどこか悔しくて、一星は「さあね」とだけ応えた。
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