彗星と遭う

皆川大輔

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第一部

1-74「vs春日部共平(19)」

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 ――くっそ!

 僅かな動揺が、一瞬だけスタートを遅らせる。先ほどのセーフティバントとは違い、勢いを転がした完璧なバントが三塁方向に転がっていく。自分が打球を処理しなければいけない範囲だ。
間に合わない、せめて打球が切れてくれ――打球を追うことを諦めた彗の目の前に、人影が入り込んだ。

「しゃがめ!」

 声を荒げて打球に追いついたのは、三塁手の嵐だ。
 咄嗟にしゃがむと、彗の髪を掠めてレーザーのような送球が一塁へ飛んで行った。

「すっげ!」

 ギリギリ、間一髪のところ間に合い、一塁審が腕を振り下ろして「アウト!」と大げさなジェスチャーをして見せた。
 プロ野球の試合をテレビで見ていると、時折実況の人が〝矢のような送球〟と叫ぶことがあるが、正にそのプレーだな、と感心していると「バカやろ、カバー!」と倒れ込みながら嵐が叫んだ。

  ――カバー? ……あっ!

 気づいた時にはもうすでに遅い。
 彗が駆け出した時にはもう、三塁ベースに到着していた。
 ワンアウト三塁。
 アウトカウントに余裕がある状態でランナーが三塁にいると、ヒットやホームランはもちろん、スクイズや犠牲フライでの失点や高いバウンドのゴロでも失点となる。加えて、三振を狙っても暴投やボールを弾いてしまうことで失点につながる可能性も出てくる。
 確率で言ってしまえば、六割から七割は失点してしまうというシチュエーションだ。
 九回はクリーンナップに回る打順。可能なら二点差でと思っていた矢先、絶対も一点をやりたくない場面で最悪の結果となった。

「タイム!」

 ベンチの真田がタイムを要求し、ベンチから一人の先輩がマウンドに駆け寄ってくる。
 序盤から中盤にかけてピンチの連続だったため、今日三回目の伝令。その死者は、今日二度伝令を受けていた新太だった

「まず監督から伝言。今日は最後まで彗で行くってよ」

 開口一番に言い放つ新太。「もちろん」と彗は応えると「ようやく肩が温まってきたんで」と強がった。

「うし、それでよし。全力でやってこい。んで、次は守備位置だけど、内野は前進守備。スクイズも警戒して、間に合うと思ったらホーム優先で」

 そこまで言いかけると、春日部共平ベンチも動く。
 ブルペンでは誰も投げていない。投手交代をしないという判断の元、勝負を賭けに来ているのだろう。
 これまたスタメンで出ている選手たちと変わらない鍛え抜かれた体格の選手がバットを持ち、鋭いスイングを見せる一方で、足が長くすらっとしたいかにも俊足そうな選手が、その場で足踏みを繰り返している。
 代走と代打を一気に投入するようだ。

「……見ての通り、勝負を賭けに来てる。だからこそ、ゼロで抑えて流れを持ってこよう。いいな!」

 気合バッチリの伝令に、内野陣が声を揃えて「はいっ!」と返事をすると、満足げな様子で新太はベンチに帰っていった。
 それを待っていた春日部共平ベンチは、やはり動いて代走と代打が告げられる。
 練習の質と控えメンバーの充実さを見せつけてくる敵に、彗は改めて笑みを浮かべた。
 ひりひりと肌がざわつく感覚。
 経験こそないが、真剣で殺し合いしているような感覚は、こんな試合でしか味わうことができない。

 背水の陣となったことが幸いしたのか、開き直った彗は楽しもうという気分、セットポジションに入り、宗次郎のサインを待った。
 宗次郎が要求したのは、今日初めて投げるカーブだ。

「ここでか」

 誰にも聞こえないよう口の中で呟いてから、彗は投球動作に入る。
 腕が緩まないように、意識をして肘の位置を高く――まだ未完成のフォームにいささかの不安を抱きながら、一点一点、体の動きを確認するように、ボールを放った

「いけっ!」

 ボールは、180センチはあろうかという代打の選手の、インコースへ向かって飛んで行った。

 ――……ダメか!

 要求とは逆のコースに飛んだそのカーブ。不完全なフォームで細かいコントロールが効かない。
 それでも、今日初めて投げる変化球で、代打で出てきて一球目。まあまずは見逃してくるだろうと思うも一瞬。
 キィン、とこの回二回目の甲高い音を鋭いスイングで奏でてきた。

 ――初球から⁉

 不意を突かれたとはいえ、先ほどのセーフティが頭の中にあった彗は、動揺しつつも無意識の内に一歩を踏み出していた。
 勢いよく地面に叩きつけられたボールは、二回目のバウンドで彗の目の前に。

 ――無理か……いや!

 何とかグローブに当てようと左手を伸ばした。
 大きく跳ねたとは言っても、ピッチャー前。ちゃんと捌けばホームで間に合う――打球の行方を視線で追いながら猛進する彗。

 ゆっくりと、スローモーションの中で、ボールが落下してくる。
 小学生のころから何度も繰り返している練習のお陰か、二回目のバウンドを予測してくれた体が勝手に動いてくれる。
 ギリギリ届くと、直感が囁いていた。
 貰った、と彗はグローブを差し出す。

 ――貰った!

 そんな確信を持った彗をまるで嘲笑うかのように、ボールはバウンドすると、ほんの少しだけ進路を変えた。

「は⁉」

 試合は終盤。
 途中で整備が入ったとはいえ、グラウンドはきれいじゃない。守備や交代のタイミングでグラウンドは荒れる。
 ボールがバウンドしたのは、正にそうやって踏み荒らされ、一番デコボコしている箇所だった。

 彗は、懸命にグローブを差し出す。
 その三センチ先へ、ボールは跳んで行った。
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