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第一部
1-70「vs春日部共平(15)」
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それならばいっそ、バットを振るな、凡退しろというサインを出す選択肢もある。
ピッチングのことだけを考えたらそれの方が良いだろう。しかし、終盤に向けて点はいくらあってもいい。余裕があれば、焦りも幾分か軽減される。
「さ、どっちが正解だ?」
もう彗はバッターボックスに入ろうかというところ。
時間はない。
急かされるようにして、真田は彗にサインを送った。
※
――打て、か。
サインを確認すると、彗はゆったりとバッターボックスに入った。
今、彗は自信にみなぎっていた。
これまでに経験したことが無いほど集中できており、今ならどんなバッターでも抑えられそうだし、どんなピッチャーでも打ち返せるような気がしている。
あふれ出てくる全能感に浸りながら、彗はゆったりとバットを構えた。
景色が、遅くなって見える。
サインに頷いて、ゆっくりと足を振り上げた風雅。振り抜かれた腕から、びゅんと風を切る音と共にボールが放たれた。
まだ試合に入ったばっかり。
様子見だ、とあらかじめ見送る予定だった彗の目の前を突っ切って、アウトローにビシッと決まる。
ストライクゾーンいっぱいの、強烈な球だ。
「ストライク!」
球審の甲高いコールを背に、彗はバックスクリーンの球速表示を見た。
流石は暴君と言うべきだろうか。試合の途中から投げている彗とは違って、もうそろそろ球数が一〇〇球を越えてくるころ。疲れもピークに達しているはずなのに、バックスクリーンには150キロと表示されている。
しかし、それだけ。
打てないとは感じない。
おぼろげに抱いていた自信が、実際に間近で見たことによって確信に変わり、彗はバットのグリップエンドを、目一杯長めに握った。
これからフルスイングして、長打を狙いますよという予告。
マウンドにいる風雅も、このメッセージに気づいてくれたのだろう。
にやりと笑って、大きく振りかぶった。
放たれたのは、先ほどよりも速いけれど、同じストレートだ。
――来た!
狙い通りに来たボールの、軌道が見えた。恐らくここに来るだろう、という箇所に、今度はバットの軌跡を乗っける。
ボールの軌道とバットの軌跡の重なる一点。
そこに向けて、彗はバットを振り抜いた。
きぃん――と、小気味良い金属音が、球場内に木霊した。
完璧にとらえた打球は、左中間を真っ二つ。
「よっしゃー!」
右手を突き上げながら、彗はダイヤモンドを駆ける。
久しぶりに響く快音に、球場は沸いた。
彗がそのことに気づいたのは、二塁ベースに到達した時だった。
※
難しくなっちまった、と監督がベンチで言っている声が聞こえた。
彗がツーベースで出たことで、リズムが狂わないようにという配慮は一切消え失せたこの状況。
今後、彗が楽に投げるためにも絶対に一点が欲しい状況で、回ってきた打席。
「やべぇ」と、七番に座る文哉は無意識の内に呟いていた。
先ほど、五回のビッグチャンスを呼び寄せたのは、確かに自分のヒットであることは間違いない。
しかし、そのヒットは真田に来る球種を予言してもらっていたおかげで振り抜くことができて、打球がちょうど三遊間が追い付けないコースに進んでくれたおかげで生まれたラッキーヒット。もう一度ヒットを打てと言われれば、自信はない。
そんな状況で回ってきた、ノーアウト二塁の場面。
試合は終盤。
間違いなく送りバント。責任重大だけど、まだ決めなくちゃいけない人に比べればマシか――なんてことを思いながら、文哉はサインを確認した。
「……へ?」
思わず声が漏れる。
本気ですか、と言わんばかりの視線をベンチの監督に向けてから、もう一度サインを要求するも、内容は変わらず。
二回出されたのは、打っていけのサインだった。
――マジかよ……。
送りバントが嫌いなことは知っていたが、試合終盤のこの大事な場面でもその姿勢を貫くなんて……若干呆れながら、文哉はバッターボックスに入る。
二塁にランナーがいるからなんてことは関係ない。投げ込まれるストレートは、むしろ勢いを増してストライクゾーンに飛び込んできた。
ストレートを投げてくるだろうな、とわかって振りに行っても、空を切ってしまう。
――どういう神経してたらこのボール打てんだよ。
たった二球見ただけで完ぺきに打ち返した彗の才能に呆れながら、文哉は二球目を待った。
ピッチングのことだけを考えたらそれの方が良いだろう。しかし、終盤に向けて点はいくらあってもいい。余裕があれば、焦りも幾分か軽減される。
「さ、どっちが正解だ?」
もう彗はバッターボックスに入ろうかというところ。
時間はない。
急かされるようにして、真田は彗にサインを送った。
※
――打て、か。
サインを確認すると、彗はゆったりとバッターボックスに入った。
今、彗は自信にみなぎっていた。
これまでに経験したことが無いほど集中できており、今ならどんなバッターでも抑えられそうだし、どんなピッチャーでも打ち返せるような気がしている。
あふれ出てくる全能感に浸りながら、彗はゆったりとバットを構えた。
景色が、遅くなって見える。
サインに頷いて、ゆっくりと足を振り上げた風雅。振り抜かれた腕から、びゅんと風を切る音と共にボールが放たれた。
まだ試合に入ったばっかり。
様子見だ、とあらかじめ見送る予定だった彗の目の前を突っ切って、アウトローにビシッと決まる。
ストライクゾーンいっぱいの、強烈な球だ。
「ストライク!」
球審の甲高いコールを背に、彗はバックスクリーンの球速表示を見た。
流石は暴君と言うべきだろうか。試合の途中から投げている彗とは違って、もうそろそろ球数が一〇〇球を越えてくるころ。疲れもピークに達しているはずなのに、バックスクリーンには150キロと表示されている。
しかし、それだけ。
打てないとは感じない。
おぼろげに抱いていた自信が、実際に間近で見たことによって確信に変わり、彗はバットのグリップエンドを、目一杯長めに握った。
これからフルスイングして、長打を狙いますよという予告。
マウンドにいる風雅も、このメッセージに気づいてくれたのだろう。
にやりと笑って、大きく振りかぶった。
放たれたのは、先ほどよりも速いけれど、同じストレートだ。
――来た!
狙い通りに来たボールの、軌道が見えた。恐らくここに来るだろう、という箇所に、今度はバットの軌跡を乗っける。
ボールの軌道とバットの軌跡の重なる一点。
そこに向けて、彗はバットを振り抜いた。
きぃん――と、小気味良い金属音が、球場内に木霊した。
完璧にとらえた打球は、左中間を真っ二つ。
「よっしゃー!」
右手を突き上げながら、彗はダイヤモンドを駆ける。
久しぶりに響く快音に、球場は沸いた。
彗がそのことに気づいたのは、二塁ベースに到達した時だった。
※
難しくなっちまった、と監督がベンチで言っている声が聞こえた。
彗がツーベースで出たことで、リズムが狂わないようにという配慮は一切消え失せたこの状況。
今後、彗が楽に投げるためにも絶対に一点が欲しい状況で、回ってきた打席。
「やべぇ」と、七番に座る文哉は無意識の内に呟いていた。
先ほど、五回のビッグチャンスを呼び寄せたのは、確かに自分のヒットであることは間違いない。
しかし、そのヒットは真田に来る球種を予言してもらっていたおかげで振り抜くことができて、打球がちょうど三遊間が追い付けないコースに進んでくれたおかげで生まれたラッキーヒット。もう一度ヒットを打てと言われれば、自信はない。
そんな状況で回ってきた、ノーアウト二塁の場面。
試合は終盤。
間違いなく送りバント。責任重大だけど、まだ決めなくちゃいけない人に比べればマシか――なんてことを思いながら、文哉はサインを確認した。
「……へ?」
思わず声が漏れる。
本気ですか、と言わんばかりの視線をベンチの監督に向けてから、もう一度サインを要求するも、内容は変わらず。
二回出されたのは、打っていけのサインだった。
――マジかよ……。
送りバントが嫌いなことは知っていたが、試合終盤のこの大事な場面でもその姿勢を貫くなんて……若干呆れながら、文哉はバッターボックスに入る。
二塁にランナーがいるからなんてことは関係ない。投げ込まれるストレートは、むしろ勢いを増してストライクゾーンに飛び込んできた。
ストレートを投げてくるだろうな、とわかって振りに行っても、空を切ってしまう。
――どういう神経してたらこのボール打てんだよ。
たった二球見ただけで完ぺきに打ち返した彗の才能に呆れながら、文哉は二球目を待った。
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