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第一部
1-67「vs春日部共平(12)」
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マウンドに辿り着いた彗は、投球練習をそこそこに済ませているのだろう。少し息を切らし、微かに汗ばんでいる。
「すまん、ピンチになっちった」
申し訳なさを含んだ声を絞り出すと、彗は「問題ないです、この方が燃えます」と、新太のボールを受け取った。
チャンスをつぶした後に訪れた、一点も取られたくないピンチの場面。
しかも相手はクリーンナップ。
――……どうしてそんな顔できるんだ?
そんな場面なのにも関わらず、彗はこの瞬間を待っていたと言わんばかりに晴れやかな表情をしていた。
どうしてだよ、なんてこれからマウンドに上がる後輩に言えるわけもなく。
「頑張れよ」とありきたりな言葉をかけながら、手元のボールを力強く彗のミットに押し込むようにして手渡した。
※
ボールを渡され、彗は「はい」とだけ力強く応える。
そこで会話は終わり。新太は顔を少しうつむかせながら、ベンチへ帰っていった。
その姿を見送っていると「おい、集中しろよ」と宗次郎に声をかけられて我に返る。
「あ、すみません」
元気がなかったように見えたのは、投げ続けたことによる疲労だろうか。
この間のブルペンでキャッチボールをしてくれた時に見せた優しさも、昔一緒にゲームをした時の楽しさも感じられない、物悲しい背中――気のせいだ、と無理矢理に切り替えると同時に、宗次郎は「変化球はカーブだけで行く」とだけ短く言い放った。
「へ?」
「そのカーブも一割くらいで、ストライクはいらない。大きく外れてもいい。カウントはストレートで稼いで、決め球もストレートだ。多少甘くなってもいいから、球威重視で――」と宗次郎が言いかけたところで「ほぼストレートって……危なくないですか?」と彗は思わず横やりを入れた。
「……いや、むしろ今に関しては、一番安全なボールだ」
「安全?」
意図を汲み取れず、頭にハテナマークを浮かべる彗に「はぁ」と宗次郎がため息をつくと、サードにいた嵐が苦笑いをしながら近寄ってきて「さっきまで誰が投げてた?」と彗に問いかけた。
新太の方を見ながら「……そりゃもちろん」というと「そう。投げてたのは、新太さんだったんだよ」と、ロジンバッドを触りながら嵐が答えた。
「新太は、サイドスローに近い投げ方の変則の左腕。球速は120キロ台……しかも、変化球の割合も六割以上だ。連中は、そんな遅い球を一時間近くアイツらは見てきた」
「そんな中、速球派で上から放るタイプのお前が投げたら、どうなると思う?」
そこまで言われて、ようやく彗は意図を理解した彗は「なるほど」と呟く。
単純な話、目が慣れていないということだ。
もちろん、春日部共平レベルの強豪ならば、速い球を打つ練習はしているだろう。ピッチングマシンや、風雅のようなピッチャーが練習で投げることだってあるだろう。
しかし、一〇〇球以上をじっくりと攻め込んだおかげで、共平の選手たちは遅い球を打つために、タイミングも遅い球仕様にしている。
そんな中、急に速い球が来れば――彗が一球も投げない間に、既に緩急と言う状況が成り立っていた。
――先輩たち、ここまで考えてたのか……。
交代することも考えてじっくり作戦を練っていた先輩バッテリーに舌を巻いていると「わかったんならいい」と嵐は守備位置に戻り「投球練習は全部カーブ要求するからな」と宗次郎も定位置に戻っていった。
このカーブ要求もなるべく早い球を見せたくないため――徹底してるな、と口の中で呟いてから、一人マウンドに残った彗は新太から受け継いだボールを手に取る。
この間の試合は、大差がついた中でのピッチングだった。言わば調整のような、経験を積むような登板。
しかし、今回は僅差でピンチで、強豪校のクリーンナップ相手の登板。
間違いなく、戦力としてここに立っている。
あの、ぼこぼこに打たれた先輩たちの一員となって、戦っている。
背番号を貰った時も、コールド勝ちを決めた時も感じなかった、認めてもらったという実感。
一軍が決まった時、一星と昼食時に話した〝認められたんだろ〟という言葉が、巡り巡って彗の脳裏を駆け巡っていた。
漠然とした予感が、確信に変わる……そんな瞬間。
――アイツ、ずりーな。
今日、スタメンで出場している一星は、恐らくとうに味わっている感情なのだろう。
出遅れたな、なんて事を考えながら、宗次郎に言われたまま、準備投球としてカーブを五球だけ投げ込むと、試合が再開される。
バッターボックスに入った三番を睨みつけながら、彗は宗次郎のサインを確認してから投げ込んだ。
要求してきたのは、宣言通りストレート。
ここに投げ込んで来い、と言わんばかりに、黒いキャッチャーミットをインコース低めにドンと構える。
一星よりも一回り大きい、ミットを構える姿。妙な安心感があるな、と感じながら彗は振りかぶった。
ともかく、最高のストレートを投げるだけ。
「すまん、ピンチになっちった」
申し訳なさを含んだ声を絞り出すと、彗は「問題ないです、この方が燃えます」と、新太のボールを受け取った。
チャンスをつぶした後に訪れた、一点も取られたくないピンチの場面。
しかも相手はクリーンナップ。
――……どうしてそんな顔できるんだ?
そんな場面なのにも関わらず、彗はこの瞬間を待っていたと言わんばかりに晴れやかな表情をしていた。
どうしてだよ、なんてこれからマウンドに上がる後輩に言えるわけもなく。
「頑張れよ」とありきたりな言葉をかけながら、手元のボールを力強く彗のミットに押し込むようにして手渡した。
※
ボールを渡され、彗は「はい」とだけ力強く応える。
そこで会話は終わり。新太は顔を少しうつむかせながら、ベンチへ帰っていった。
その姿を見送っていると「おい、集中しろよ」と宗次郎に声をかけられて我に返る。
「あ、すみません」
元気がなかったように見えたのは、投げ続けたことによる疲労だろうか。
この間のブルペンでキャッチボールをしてくれた時に見せた優しさも、昔一緒にゲームをした時の楽しさも感じられない、物悲しい背中――気のせいだ、と無理矢理に切り替えると同時に、宗次郎は「変化球はカーブだけで行く」とだけ短く言い放った。
「へ?」
「そのカーブも一割くらいで、ストライクはいらない。大きく外れてもいい。カウントはストレートで稼いで、決め球もストレートだ。多少甘くなってもいいから、球威重視で――」と宗次郎が言いかけたところで「ほぼストレートって……危なくないですか?」と彗は思わず横やりを入れた。
「……いや、むしろ今に関しては、一番安全なボールだ」
「安全?」
意図を汲み取れず、頭にハテナマークを浮かべる彗に「はぁ」と宗次郎がため息をつくと、サードにいた嵐が苦笑いをしながら近寄ってきて「さっきまで誰が投げてた?」と彗に問いかけた。
新太の方を見ながら「……そりゃもちろん」というと「そう。投げてたのは、新太さんだったんだよ」と、ロジンバッドを触りながら嵐が答えた。
「新太は、サイドスローに近い投げ方の変則の左腕。球速は120キロ台……しかも、変化球の割合も六割以上だ。連中は、そんな遅い球を一時間近くアイツらは見てきた」
「そんな中、速球派で上から放るタイプのお前が投げたら、どうなると思う?」
そこまで言われて、ようやく彗は意図を理解した彗は「なるほど」と呟く。
単純な話、目が慣れていないということだ。
もちろん、春日部共平レベルの強豪ならば、速い球を打つ練習はしているだろう。ピッチングマシンや、風雅のようなピッチャーが練習で投げることだってあるだろう。
しかし、一〇〇球以上をじっくりと攻め込んだおかげで、共平の選手たちは遅い球を打つために、タイミングも遅い球仕様にしている。
そんな中、急に速い球が来れば――彗が一球も投げない間に、既に緩急と言う状況が成り立っていた。
――先輩たち、ここまで考えてたのか……。
交代することも考えてじっくり作戦を練っていた先輩バッテリーに舌を巻いていると「わかったんならいい」と嵐は守備位置に戻り「投球練習は全部カーブ要求するからな」と宗次郎も定位置に戻っていった。
このカーブ要求もなるべく早い球を見せたくないため――徹底してるな、と口の中で呟いてから、一人マウンドに残った彗は新太から受け継いだボールを手に取る。
この間の試合は、大差がついた中でのピッチングだった。言わば調整のような、経験を積むような登板。
しかし、今回は僅差でピンチで、強豪校のクリーンナップ相手の登板。
間違いなく、戦力としてここに立っている。
あの、ぼこぼこに打たれた先輩たちの一員となって、戦っている。
背番号を貰った時も、コールド勝ちを決めた時も感じなかった、認めてもらったという実感。
一軍が決まった時、一星と昼食時に話した〝認められたんだろ〟という言葉が、巡り巡って彗の脳裏を駆け巡っていた。
漠然とした予感が、確信に変わる……そんな瞬間。
――アイツ、ずりーな。
今日、スタメンで出場している一星は、恐らくとうに味わっている感情なのだろう。
出遅れたな、なんて事を考えながら、宗次郎に言われたまま、準備投球としてカーブを五球だけ投げ込むと、試合が再開される。
バッターボックスに入った三番を睨みつけながら、彗は宗次郎のサインを確認してから投げ込んだ。
要求してきたのは、宣言通りストレート。
ここに投げ込んで来い、と言わんばかりに、黒いキャッチャーミットをインコース低めにドンと構える。
一星よりも一回り大きい、ミットを構える姿。妙な安心感があるな、と感じながら彗は振りかぶった。
ともかく、最高のストレートを投げるだけ。
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