5 / 179
序章
0-04「夏の夕暮れ」
しおりを挟む
ふと見上げると、空は赤みを帯びていた。
昼食も忘れ、休憩しては投げ、休憩してはノックを打ち、休憩してはバットを振り。
最後の時間を味がしなくなるまで噛み続けた結果、息をすることがもうやっとという状態になっていた。翌日から二学期だというのに、くたくただ。
「楽しかったなぁ」
「うん」
ボールを通して話してはいたが、言葉の会話は実に六時間ぶりだということに気づいた大哉は「俺ら、ホント頭おかしいよな」と自分たちに呆れながらグローブを磨いていた。
「ホントにね」と一星も賛同し、大哉の隣に座って同じくグローブの手入れを始める。
ブラシで細かい土や埃を落とし、クリーナーから雑巾でローションを少量取りしつこい汚れを落とす。
「こうやって二人でできるのも最後かもね」
ふと、一星が呟く。
「……なんで?」
「いや、さ。なんとなく」
「いつでもできるじゃん。野球続けてたらさ」
グローブを磨く手は止めないまま、トマトのように赤く熟した太陽をずっと見つめるだけの一星は「そうだね」と生返事をした。
心ここにあらず、そんな表現がピッタリな幼馴染に業を煮やし、大哉は「もーらい!」と、一星が使用していたクリーナーを取り上げた。
「は? 何してんの?」
「そんな辛気臭い人間に使われたって、こいつがかわいそうだ」
「返してよ」
「いやだね。甲子園で会った時に返してやるよ。チャンスは三年間やるよ」
「意味わかんないよ」
「甲子園でまた会おうってことだよ!」
そう言い残すと、本当にそのままクリーナーを持ったまま大哉は走り去っていってしまった。「待て!」と立ち上がるも、靴の紐がほどけており追いかけることはできず。夕日の方へ走っていく大哉の後姿をただ見つめるだけ。
大哉の姿が見えなくなるまで立ち竦んでいた一星は「わかってたんだろうなぁ」と再びその場に座り込んだ。
厳しい練習が嫌なわけじゃない。寧ろ、上手くなれる実家があるから、練習は好きだ。
試合で結果が残せなかったわけでもない。あの世界一を決める大会でも、首位打者だった。
別に、認められていないわけではない。その証拠に、複数の強豪校から推薦の話がある。
ただ、敵わない存在と出会い、一番になることができないと知っただけ。
二番でいいじゃない、という人もいるだろう。試合に出られればいい、そんな意見だってあるだろう。
一星も、そういう考えがあること自体は理解できる。
ただ、一星は、一番になるために野球をやっていた。どんな大会でも優勝を目指し、一番優れた選手であろうとすることが一星のモチベーションであり、野球を続けている理由だった。
これまでは、練習すれば、経験をすれば追いつける。追い抜かせる。そんな確信があったから、どれだけ負けても次へと進むことができていた。
――それが、アレだもんなぁ。
自信と確信で培って実力で、世代を代表する選手になりかけていた一星だったが、たった一人の怪物に打ち砕かれた。
――空野彗、か。
決して勝てない。理屈のいらないその強さが、その存在がこれまで一星がもっていたこだわりを一蹴した。
もしかしたら、大哉の言葉が心に変化を与えてくれるかもしれない。そんな淡い期待をもってのキャッチボールでも、心の火は燃えてくれない。
「潮時だね」
シャツを着替え、道具もしまい、家へと戻る道すがら。
何の気なしに、今朝時間つぶしのために開いた記事をもう一度開いてみた。
内容は、怪物の分析記事。
よくよく見てみると、記者が興奮して語り足らなかったのだろう。記事には二ページ目が存在していた。
――同級生から見た怪物の姿。
恐る恐るに、一星はリンクを開いてみる。
おまけ程度に、世界を戦った選手たちのコメントが掲載されている。
あの球を打てなきゃ、次のステップに進めない、甲子園であの球を打ちたい、アイツを打つって目標ができました――皆が一様に、空野彗へ挑戦状とも言えるコメントを残している。
「すごいなぁ、みんな」
そんな熱いコメントが並ぶ中、自分のコメントを見つけた一星は、呆れてしまった。
「『最高の球を受けれて、いい思い出になりました』か……」
ライバルとしての言葉ではない。
冷え切った、第三者から見た感想みたいなコメント。
――この時、もうダメだったんだな。
そんなことを考えている自分が情けなくて。
こんな挑むことさえできない自分が、酷く惨めで。
涙を流しながら、一星は大哉にメッセージを送った。
――クリーナー、大切に使ってね。
メッセージを送ると、すぐに返信がくる。
『なんでだよ』
――中学で野球はおしまいだから、甲子園には行けない。
メッセージを送ると、今度は電話がかかってきた。けれど、受け取ることはできない。今の冷めきった自分では、大哉にとってマイナスになってしまう。
野球との決別とともに携帯の電源を落とし、涙をぬぐいながら振り返ると、もう日が沈みかけていた。
まるで、一星の情熱が消えていくように。
昼食も忘れ、休憩しては投げ、休憩してはノックを打ち、休憩してはバットを振り。
最後の時間を味がしなくなるまで噛み続けた結果、息をすることがもうやっとという状態になっていた。翌日から二学期だというのに、くたくただ。
「楽しかったなぁ」
「うん」
ボールを通して話してはいたが、言葉の会話は実に六時間ぶりだということに気づいた大哉は「俺ら、ホント頭おかしいよな」と自分たちに呆れながらグローブを磨いていた。
「ホントにね」と一星も賛同し、大哉の隣に座って同じくグローブの手入れを始める。
ブラシで細かい土や埃を落とし、クリーナーから雑巾でローションを少量取りしつこい汚れを落とす。
「こうやって二人でできるのも最後かもね」
ふと、一星が呟く。
「……なんで?」
「いや、さ。なんとなく」
「いつでもできるじゃん。野球続けてたらさ」
グローブを磨く手は止めないまま、トマトのように赤く熟した太陽をずっと見つめるだけの一星は「そうだね」と生返事をした。
心ここにあらず、そんな表現がピッタリな幼馴染に業を煮やし、大哉は「もーらい!」と、一星が使用していたクリーナーを取り上げた。
「は? 何してんの?」
「そんな辛気臭い人間に使われたって、こいつがかわいそうだ」
「返してよ」
「いやだね。甲子園で会った時に返してやるよ。チャンスは三年間やるよ」
「意味わかんないよ」
「甲子園でまた会おうってことだよ!」
そう言い残すと、本当にそのままクリーナーを持ったまま大哉は走り去っていってしまった。「待て!」と立ち上がるも、靴の紐がほどけており追いかけることはできず。夕日の方へ走っていく大哉の後姿をただ見つめるだけ。
大哉の姿が見えなくなるまで立ち竦んでいた一星は「わかってたんだろうなぁ」と再びその場に座り込んだ。
厳しい練習が嫌なわけじゃない。寧ろ、上手くなれる実家があるから、練習は好きだ。
試合で結果が残せなかったわけでもない。あの世界一を決める大会でも、首位打者だった。
別に、認められていないわけではない。その証拠に、複数の強豪校から推薦の話がある。
ただ、敵わない存在と出会い、一番になることができないと知っただけ。
二番でいいじゃない、という人もいるだろう。試合に出られればいい、そんな意見だってあるだろう。
一星も、そういう考えがあること自体は理解できる。
ただ、一星は、一番になるために野球をやっていた。どんな大会でも優勝を目指し、一番優れた選手であろうとすることが一星のモチベーションであり、野球を続けている理由だった。
これまでは、練習すれば、経験をすれば追いつける。追い抜かせる。そんな確信があったから、どれだけ負けても次へと進むことができていた。
――それが、アレだもんなぁ。
自信と確信で培って実力で、世代を代表する選手になりかけていた一星だったが、たった一人の怪物に打ち砕かれた。
――空野彗、か。
決して勝てない。理屈のいらないその強さが、その存在がこれまで一星がもっていたこだわりを一蹴した。
もしかしたら、大哉の言葉が心に変化を与えてくれるかもしれない。そんな淡い期待をもってのキャッチボールでも、心の火は燃えてくれない。
「潮時だね」
シャツを着替え、道具もしまい、家へと戻る道すがら。
何の気なしに、今朝時間つぶしのために開いた記事をもう一度開いてみた。
内容は、怪物の分析記事。
よくよく見てみると、記者が興奮して語り足らなかったのだろう。記事には二ページ目が存在していた。
――同級生から見た怪物の姿。
恐る恐るに、一星はリンクを開いてみる。
おまけ程度に、世界を戦った選手たちのコメントが掲載されている。
あの球を打てなきゃ、次のステップに進めない、甲子園であの球を打ちたい、アイツを打つって目標ができました――皆が一様に、空野彗へ挑戦状とも言えるコメントを残している。
「すごいなぁ、みんな」
そんな熱いコメントが並ぶ中、自分のコメントを見つけた一星は、呆れてしまった。
「『最高の球を受けれて、いい思い出になりました』か……」
ライバルとしての言葉ではない。
冷え切った、第三者から見た感想みたいなコメント。
――この時、もうダメだったんだな。
そんなことを考えている自分が情けなくて。
こんな挑むことさえできない自分が、酷く惨めで。
涙を流しながら、一星は大哉にメッセージを送った。
――クリーナー、大切に使ってね。
メッセージを送ると、すぐに返信がくる。
『なんでだよ』
――中学で野球はおしまいだから、甲子園には行けない。
メッセージを送ると、今度は電話がかかってきた。けれど、受け取ることはできない。今の冷めきった自分では、大哉にとってマイナスになってしまう。
野球との決別とともに携帯の電源を落とし、涙をぬぐいながら振り返ると、もう日が沈みかけていた。
まるで、一星の情熱が消えていくように。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

昔義妹だった女の子が通い妻になって矯正してくる件
マサタカ
青春
俺には昔、義妹がいた。仲が良くて、目に入れても痛くないくらいのかわいい女の子だった。
あれから数年経って大学生になった俺は友人・先輩と楽しく過ごし、それなりに充実した日々を送ってる。
そんなある日、偶然元義妹と再会してしまう。
「久しぶりですね、兄さん」
義妹は見た目や性格、何より俺への態度。全てが変わってしまっていた。そして、俺の生活が爛れてるって言って押しかけて来るようになってしまい・・・・・・。
ただでさえ再会したことと変わってしまったこと、そして過去にあったことで接し方に困っているのに成長した元義妹にドギマギさせられてるのに。
「矯正します」
「それがなにか関係あります? 今のあなたと」
冷たい視線は俺の過去を思い出させて、罪悪感を募らせていく。それでも、義妹とまた会えて嬉しくて。
今の俺たちの関係って義兄弟? それとも元家族? 赤の他人?
ノベルアッププラスでも公開。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。


幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる