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序章
0-03「約束のキャッチボール」
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「うわっ……!」
悪夢にうなされる形で、武山一星は目を覚ました。
クーラーが効いているはずなのに、全身が汗でびっしょり。ポリエステルの黒いシャツが、汗をかいた部分だけ色味が変わっている。
「今日はこんな時間か」
窓の外を見てみると、まだ薄暗い。チッ、チッと一定のリズムを刻む古時計を見てみると、うっすら午前五時を示していた。
「これで、四日連続……」
あの世界一をかけた試合の当日夜から、激闘の瞬間が悪夢となって一星を襲っていた。
場面は、なんてことのない投手が捕手に向かってボールを投げるシーン。
なんてことのない、ただのストレートが投げ込まれる。
捕手として何度も受け、すっかり慣れたはずの景色。
投手の手から放たれたボールが、近づくにつれ巨大化し、想像を絶するような威力の直球はミットをはじいて、自分を飲み込む――そんなくだらない悪夢。
――どんだけショックだったんだよ、僕は。
情けない自分に呆れながら、もう寝れないなと一星は携帯をいじり始めた。
通知という形で、アプリからニュースが飛んで来ている。
ピックアップされているのは、芸能、社会、国会などなど当たり障りのないジャンルで、誰かが不倫の謝罪会見を開いただの、内閣支持率が過去最低だの、自殺者過去最多だのと、とても気分が乗るような話題は一切なく。
「はぁ」ため息を零しながら、朝に読むにふさわしい話題を探そうと一星はスポーツの欄に移動した。
先日行われたプロ野球の結果や、OBのコラムなど人気案件を押しのけて、先日の世界野球のコラムや考察記事が上位に表示されていた。
プロ野球や高校野球などと比べると、普段なかなか注目されない中学野球だが、今回ばかりは別。
かつてのホームランキングを彷彿とさせる帝王と、それ退けた未知の怪物。
新しいスターの出現に世の野球ファンが燃えることは当然で、連日と言っていいほどニュースが組まれていた。
ネットを開けば、同じようなタイトルの記事がところ狭しと並んでいる。その記事の中から一つ選んで記事を開くと、一星は小声でタイトルを読み上げた。
「世代ナンバーワンプレイヤー、空野彗。怪物の秘密に迫る……か」
確かに、アレは怪物だ。
サインはストレート一本。
コースはど真ん中。
並の投手がそんなボールを投げたって、ただの失投でただのミス。打ち返されることがほとんどで、もし打ち取ったとしても〝不用意な一球〟と監督やコーチに叱られるような、そんな球。
ただ、それはあくまで常識内の話。
世界一を決めたあの三球は間違いなく常識外だった。
真ん中に来ると分かっていても、当てるどころか振ることすらできない。そんな冗談みたいな質のストレート。
それだけではなく、歴代のどんな投手よりも速い152キロを記録。
質も、速さも歴代でナンバーワン。
注目されるのは至極当然。
寧ろ、注目するなという方がおかしい、そんなレベルの怪物。
「ま、当たり前だよね」
自分が注目されないのはしょうがない。アイツが飛び抜けているから――自分の心に言い訳をしていると、部屋の外からガサゴソと誰かが動いている音が聞こえてきた。
ようやく、朝だ。
※
悪夢にうなされた当日。中学生として過ごせる最後の夏休みの日に、一星は青空の下にいた。
「やっぱ最高じゃんか! 夏たまらん!」
能天気な言葉を出しながらグローブを取り出したのは、一星の通う中学の同級生、沢井大哉。幼いころから同じクラブチームで切磋琢磨しあった、言わば戦友に「どこが」と愚痴と一緒にボールを投げつけた。
「おわっ、あぶねーじゃんか」と言いながらも易々とキャッチした大哉は「なんでなん? いいじゃんか、熱くて」と言いながら返球し、キャッチボールが始まった。
「熱いからだよ」
幼稚園から中学校に至るまで、ずっと同じクラスという腐れ縁ではあったが、それも今年で最後。というのも、大哉が青森の高校に進学予定というだけで根性の別れというわけではないが、年齢とほぼ同じ期間を過ごしてきた友人との別れを簡単に済ませるわけにもいかず。
二人で考え出したのが、この別れのキャッチボールだった。
だんだんと距離を広げ、ボールの強度も上がっていく。「お、文句言いながらテンション上がってきてるじゃん」と言いながら大哉はボールを投げ返す。
「そんなことないよ」
「いーや嘘だな。何年キャッチボールやってきたと思ってんだ。受けただけでわかるわい」
「……さすが幼馴染」
「あたぼうよ……しっかし、懐かしいなぁ。初めてキャッチボールしたのもこの河川敷じゃんな?」
「よく覚えてるね。忘れてるかと思った」
「忘れるかよ。お前が大暴投したおかげで夕方までずっとボール探ししたじゃんか」
「しょうがないだろ。あの時はボールを握るのも初めてだったんだよ?」
「ははっ……ところでさ、お前高校どうすんの? まだ決めてなかったよな?」
「あ、あぁ……まだ悩んでる」
「明日からもう二学期だぜ。そろそろ決めないとじゃんか。どこで悩んでんの?」
「うーん……」と、どう答えたらいいかわからず、一星が振りかぶった右手は空中で静止していたが「ま、いろいろとね」と、言葉を濁しながら無理矢理ボールを返す。
大哉は受け取ったボールを少し眺めながら「な、むかーしの話だけどさ」と、これまでとは違うまじめなトーンで話し始めた。
「あの約束、覚えてるか?」
「約束?」
「二人で甲子園行くってやつ」
「あぁ、そんな話もしたね」
「あれさ、まだ諦めてねぇから。別の高校でも、行けるだろ。敵味方って感じになるけどさ」
大哉はそう言うと、優しくボールを一星に投げ返した。
そこからは会話のないただのキャッチボール。
ただ、心配してくれているということは一星に伝わっていた。
言葉は交わさなくても、キャッチボールだけで充分だった。
悪夢にうなされる形で、武山一星は目を覚ました。
クーラーが効いているはずなのに、全身が汗でびっしょり。ポリエステルの黒いシャツが、汗をかいた部分だけ色味が変わっている。
「今日はこんな時間か」
窓の外を見てみると、まだ薄暗い。チッ、チッと一定のリズムを刻む古時計を見てみると、うっすら午前五時を示していた。
「これで、四日連続……」
あの世界一をかけた試合の当日夜から、激闘の瞬間が悪夢となって一星を襲っていた。
場面は、なんてことのない投手が捕手に向かってボールを投げるシーン。
なんてことのない、ただのストレートが投げ込まれる。
捕手として何度も受け、すっかり慣れたはずの景色。
投手の手から放たれたボールが、近づくにつれ巨大化し、想像を絶するような威力の直球はミットをはじいて、自分を飲み込む――そんなくだらない悪夢。
――どんだけショックだったんだよ、僕は。
情けない自分に呆れながら、もう寝れないなと一星は携帯をいじり始めた。
通知という形で、アプリからニュースが飛んで来ている。
ピックアップされているのは、芸能、社会、国会などなど当たり障りのないジャンルで、誰かが不倫の謝罪会見を開いただの、内閣支持率が過去最低だの、自殺者過去最多だのと、とても気分が乗るような話題は一切なく。
「はぁ」ため息を零しながら、朝に読むにふさわしい話題を探そうと一星はスポーツの欄に移動した。
先日行われたプロ野球の結果や、OBのコラムなど人気案件を押しのけて、先日の世界野球のコラムや考察記事が上位に表示されていた。
プロ野球や高校野球などと比べると、普段なかなか注目されない中学野球だが、今回ばかりは別。
かつてのホームランキングを彷彿とさせる帝王と、それ退けた未知の怪物。
新しいスターの出現に世の野球ファンが燃えることは当然で、連日と言っていいほどニュースが組まれていた。
ネットを開けば、同じようなタイトルの記事がところ狭しと並んでいる。その記事の中から一つ選んで記事を開くと、一星は小声でタイトルを読み上げた。
「世代ナンバーワンプレイヤー、空野彗。怪物の秘密に迫る……か」
確かに、アレは怪物だ。
サインはストレート一本。
コースはど真ん中。
並の投手がそんなボールを投げたって、ただの失投でただのミス。打ち返されることがほとんどで、もし打ち取ったとしても〝不用意な一球〟と監督やコーチに叱られるような、そんな球。
ただ、それはあくまで常識内の話。
世界一を決めたあの三球は間違いなく常識外だった。
真ん中に来ると分かっていても、当てるどころか振ることすらできない。そんな冗談みたいな質のストレート。
それだけではなく、歴代のどんな投手よりも速い152キロを記録。
質も、速さも歴代でナンバーワン。
注目されるのは至極当然。
寧ろ、注目するなという方がおかしい、そんなレベルの怪物。
「ま、当たり前だよね」
自分が注目されないのはしょうがない。アイツが飛び抜けているから――自分の心に言い訳をしていると、部屋の外からガサゴソと誰かが動いている音が聞こえてきた。
ようやく、朝だ。
※
悪夢にうなされた当日。中学生として過ごせる最後の夏休みの日に、一星は青空の下にいた。
「やっぱ最高じゃんか! 夏たまらん!」
能天気な言葉を出しながらグローブを取り出したのは、一星の通う中学の同級生、沢井大哉。幼いころから同じクラブチームで切磋琢磨しあった、言わば戦友に「どこが」と愚痴と一緒にボールを投げつけた。
「おわっ、あぶねーじゃんか」と言いながらも易々とキャッチした大哉は「なんでなん? いいじゃんか、熱くて」と言いながら返球し、キャッチボールが始まった。
「熱いからだよ」
幼稚園から中学校に至るまで、ずっと同じクラスという腐れ縁ではあったが、それも今年で最後。というのも、大哉が青森の高校に進学予定というだけで根性の別れというわけではないが、年齢とほぼ同じ期間を過ごしてきた友人との別れを簡単に済ませるわけにもいかず。
二人で考え出したのが、この別れのキャッチボールだった。
だんだんと距離を広げ、ボールの強度も上がっていく。「お、文句言いながらテンション上がってきてるじゃん」と言いながら大哉はボールを投げ返す。
「そんなことないよ」
「いーや嘘だな。何年キャッチボールやってきたと思ってんだ。受けただけでわかるわい」
「……さすが幼馴染」
「あたぼうよ……しっかし、懐かしいなぁ。初めてキャッチボールしたのもこの河川敷じゃんな?」
「よく覚えてるね。忘れてるかと思った」
「忘れるかよ。お前が大暴投したおかげで夕方までずっとボール探ししたじゃんか」
「しょうがないだろ。あの時はボールを握るのも初めてだったんだよ?」
「ははっ……ところでさ、お前高校どうすんの? まだ決めてなかったよな?」
「あ、あぁ……まだ悩んでる」
「明日からもう二学期だぜ。そろそろ決めないとじゃんか。どこで悩んでんの?」
「うーん……」と、どう答えたらいいかわからず、一星が振りかぶった右手は空中で静止していたが「ま、いろいろとね」と、言葉を濁しながら無理矢理ボールを返す。
大哉は受け取ったボールを少し眺めながら「な、むかーしの話だけどさ」と、これまでとは違うまじめなトーンで話し始めた。
「あの約束、覚えてるか?」
「約束?」
「二人で甲子園行くってやつ」
「あぁ、そんな話もしたね」
「あれさ、まだ諦めてねぇから。別の高校でも、行けるだろ。敵味方って感じになるけどさ」
大哉はそう言うと、優しくボールを一星に投げ返した。
そこからは会話のないただのキャッチボール。
ただ、心配してくれているということは一星に伝わっていた。
言葉は交わさなくても、キャッチボールだけで充分だった。
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