彗星と遭う

皆川大輔

文字の大きさ
上 下
4 / 179
序章

0-03「約束のキャッチボール」

しおりを挟む
「うわっ……!」

 悪夢にうなされる形で、武山一星は目を覚ました。
 クーラーが効いているはずなのに、全身が汗でびっしょり。ポリエステルの黒いシャツが、汗をかいた部分だけ色味が変わっている。

「今日はこんな時間か」

 窓の外を見てみると、まだ薄暗い。チッ、チッと一定のリズムを刻む古時計を見てみると、うっすら午前五時を示していた。

「これで、四日連続……」

 あの世界一をかけた試合の当日夜から、激闘の瞬間が悪夢となって一星を襲っていた。
 場面は、なんてことのない投手が捕手に向かってボールを投げるシーン。
 なんてことのない、ただのストレートが投げ込まれる。
 捕手として何度も受け、すっかり慣れたはずの景色。

 投手の手から放たれたボールが、近づくにつれ巨大化し、想像を絶するような威力の直球はミットをはじいて、自分を飲み込む――そんなくだらない悪夢。

 ――どんだけショックだったんだよ、僕は。

 情けない自分に呆れながら、もう寝れないなと一星は携帯をいじり始めた。
 通知という形で、アプリからニュースが飛んで来ている。
 ピックアップされているのは、芸能、社会、国会などなど当たり障りのないジャンルで、誰かが不倫の謝罪会見を開いただの、内閣支持率が過去最低だの、自殺者過去最多だのと、とても気分が乗るような話題は一切なく。

「はぁ」ため息を零しながら、朝に読むにふさわしい話題を探そうと一星はスポーツの欄に移動した。

 先日行われたプロ野球の結果や、OBのコラムなど人気案件を押しのけて、先日の世界野球のコラムや考察記事が上位に表示されていた。
 プロ野球や高校野球などと比べると、普段なかなか注目されない中学野球だが、今回ばかりは別。
 かつてのホームランキングを彷彿とさせる帝王と、それ退けた未知の怪物。
 新しいスターの出現に世の野球ファンが燃えることは当然で、連日と言っていいほどニュースが組まれていた。
 ネットを開けば、同じようなタイトルの記事がところ狭しと並んでいる。その記事の中から一つ選んで記事を開くと、一星は小声でタイトルを読み上げた。

「世代ナンバーワンプレイヤー、空野彗。怪物の秘密に迫る……か」

 確かに、アレは怪物だ。
 サインはストレート一本。
 コースはど真ん中。
 並の投手がそんなボールを投げたって、ただの失投でただのミス。打ち返されることがほとんどで、もし打ち取ったとしても〝不用意な一球〟と監督やコーチに叱られるような、そんな球。
 ただ、それはあくまで常識内の話。
 世界一を決めたあの三球は間違いなく常識外だった。
 真ん中に来ると分かっていても、当てるどころか振ることすらできない。そんな冗談みたいな質のストレート。
 それだけではなく、歴代のどんな投手よりも速い152キロを記録。
 質も、速さも歴代でナンバーワン。
 注目されるのは至極当然。
 寧ろ、注目するなという方がおかしい、そんなレベルの怪物。

「ま、当たり前だよね」

 自分が注目されないのはしょうがない。アイツが飛び抜けているから――自分の心に言い訳をしていると、部屋の外からガサゴソと誰かが動いている音が聞こえてきた。
 ようやく、朝だ。


        ※


 悪夢にうなされた当日。中学生として過ごせる最後の夏休みの日に、一星は青空の下にいた。

「やっぱ最高じゃんか! 夏たまらん!」

 能天気な言葉を出しながらグローブを取り出したのは、一星の通う中学の同級生、沢井大哉さわいだいや。幼いころから同じクラブチームで切磋琢磨しあった、言わば戦友に「どこが」と愚痴と一緒にボールを投げつけた。

「おわっ、あぶねーじゃんか」と言いながらも易々とキャッチした大哉は「なんでなん? いいじゃんか、熱くて」と言いながら返球し、キャッチボールが始まった。

「熱いからだよ」

 幼稚園から中学校に至るまで、ずっと同じクラスという腐れ縁ではあったが、それも今年で最後。というのも、大哉が青森の高校に進学予定というだけで根性の別れというわけではないが、年齢とほぼ同じ期間を過ごしてきた友人との別れを簡単に済ませるわけにもいかず。
 二人で考え出したのが、この別れのキャッチボールだった。

 だんだんと距離を広げ、ボールの強度も上がっていく。「お、文句言いながらテンション上がってきてるじゃん」と言いながら大哉はボールを投げ返す。

「そんなことないよ」

「いーや嘘だな。何年キャッチボールやってきたと思ってんだ。受けただけでわかるわい」

「……さすが幼馴染」

「あたぼうよ……しっかし、懐かしいなぁ。初めてキャッチボールしたのもこの河川敷じゃんな?」

「よく覚えてるね。忘れてるかと思った」

「忘れるかよ。お前が大暴投したおかげで夕方までずっとボール探ししたじゃんか」

「しょうがないだろ。あの時はボールを握るのも初めてだったんだよ?」

「ははっ……ところでさ、お前高校どうすんの? まだ決めてなかったよな?」

「あ、あぁ……まだ悩んでる」

「明日からもう二学期だぜ。そろそろ決めないとじゃんか。どこで悩んでんの?」

「うーん……」と、どう答えたらいいかわからず、一星が振りかぶった右手は空中で静止していたが「ま、いろいろとね」と、言葉を濁しながら無理矢理ボールを返す。

 大哉は受け取ったボールを少し眺めながら「な、むかーしの話だけどさ」と、これまでとは違うまじめなトーンで話し始めた。

「あの約束、覚えてるか?」

「約束?」

「二人で甲子園行くってやつ」

「あぁ、そんな話もしたね」

「あれさ、まだ諦めてねぇから。別の高校でも、行けるだろ。敵味方って感じになるけどさ」

 大哉はそう言うと、優しくボールを一星に投げ返した。
 そこからは会話のないただのキャッチボール。
 ただ、心配してくれているということは一星に伝わっていた。
 言葉は交わさなくても、キャッチボールだけで充分だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

全体的にどうしようもない高校生日記

天平 楓
青春
ある年の春、高校生になった僕、金沢籘華(かなざわとうか)は念願の玉津高校に入学することができた。そこで出会ったのは中学時代からの友人北見奏輝と喜多方楓の二人。喜多方のどうしようもない性格に奔放されつつも、北見の秘められた性格、そして自身では気づくことのなかった能力に気づいていき…。  ブラックジョーク要素が含まれていますが、決して特定の民族並びに集団を侮蔑、攻撃、または礼賛する意図はありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

プレッシャァー 〜農高校球児の成り上がり〜

三日月コウヤ
青春
父親の異常な教育によって一人野球同然でマウンドに登り続けた主人公赤坂輝明(あかさかてるあき)。 父の他界後母親と暮らすようになり一年。母親の母校である農業高校で個性の強いチームメイトと生活を共にしながらありきたりでありながらかけがえのないモノを取り戻しながら一緒に苦難を乗り越えて甲子園目指す。そんなお話です *進行速度遅めですがご了承ください *この作品はカクヨムでも投稿しております

真夏の温泉物語

矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...