溢れる雫

五嶋樒榴

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cocktail

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ある夜父親が帰宅早々、顕人は父親に声をかけた。気持ちが怖気付きそうだったが、顕人なりの勇気を振り絞った。
「お父さん、話があります」
顕人の真剣な眼差しに、父は厳しい目を向けた。
「また例の話か。私は聞きたくない。里香!」
妻であり顕人の母の名を呼んだが出てこない。父は面白くなさそうに階段を登った。
着替えるために寝室に入ったが、顕人も後をついて入って行った。
「待ってください!お願いです。俺はどうしても叔父さんのように、世界で人々を助けたいんです!」
父親は背広の上着を脱ぐと、ベッドに放り投げた。
夫に呼ばれても出て行かなかった母は、顕人に言われた通り、気になりながらも顕人の妹、絢子とリビングでじっと待っていた。
「お兄ちゃん、大丈夫かなぁ。なんか余計こじらせる気がする」
絢子が言うと、母親も心配そうに二階を見つめた。
「お前は甘い!紛争地域や衛生環境も悪い場所で、身の危険を考えてみろ!分かってないんだ、お前も晃教も!晃教など、結婚もせず、子供を作ることもなく、この家の不利益にしかなっていないというのに!あいつは私より外科技術も優れているのに!とにかく私は認めない」
国境なき医師団が、生易しいものではない事など顕人も充分承知している。両親がそれを心配して、父親がなおさら反対するのも。しかし話は叔父の晃教にまで飛び火して、顕人も黙っていられなかった。
「それはお父さんの嫉妬ですよね。長男と言うだけで、代々続くこの病院を継ぐしかなかった。自由な叔父さんが羨ましいんだ!」
言ってはいけないと思いながらも止められなかった。
父は無言で顕人を殴った。まさか手が出てくると思わず、眼鏡も吹っ飛び顕人もよろけてしまった。
「お前に何がわかる!そんな事は医者になって経験を積んでから言え!もう二度とこの話は無しだ!それでもお前がその道を行くならこの家から出ていけばいい!」
父の逆鱗に触れ、顕人は悔しくてなにもそれ以上言い返せなかった。
リビングに戻ると、あーあと言った顔を絢子がする。母親は救急箱を持ってきて手当をしてくれた。
「どうせ反発するような事言ったんでしょう」
絢子の言葉に顕人は無言。
「俺の言い方が悪かった。それだけだ」
顕人はリビングを出て自分の部屋に戻ると、焦った自分の言い方に後悔した。
次の日の朝には、殴られて切れた口元の傷は紫色に腫れていた。眼鏡も吹っ飛びよろけた拍子に踏んでしまい、眼鏡のツルも折れてしまった。
「どうしたの?その傷。眼鏡もかけてないし」
1限目が終ると心配した奈利子が飛んできた。二人は天気も良かったので、外の木陰のベンチで話を始めた。暑いものの、学生が休憩していて外もそこそこ賑わっていた。
顕人は国境なき医師団の話で揉めて父親に殴られた話をした。意外な話に奈利子は驚いた。
「そっか、お父さんにしたら心配よね。大事な息子が危険な場所に身を置くことを考えたら。でも、頑張ったね顕人。凄いよ顕人は。私ならきっと親の病院継ぐもん」
いつもと違う顕人に奈利子は驚いた。そんな夢があったとは知らなかったからだ。ただの大病院のおぼっちゃまだと思うことろもあったからだ。だから奈利子も、自分の顕人に対する淡い気持ちに対して素直になれない所もあった。
「俺は奈利子とずっとこうして一緒にいたいって思ってた。国境なき医師団も諦めて、奈利子と子供達のために医者になろうとも思った。でも奈利子がアメリカに行こうとしてる姿見て、俺もやっぱり夢を諦められない。俺の目を覚まさせてくれたのは奈利子だよ。ありがとう」
顕人が奈利子に頭を下げて顔を上げた時、奈利子が顕人の唇の傷にそっと素早くキスをした。もうほとんど唇だった。
「傷が早く治るおまじない」
照れながら奈利子は言う。突然のことで、顕人は呆然とした。
「おまじない、よく分からなかったから、もう一回」
顕人がそう言って周りも気にせず奈利子に顔を近づけたが、奈利子は真っ赤になって拒否をした。
「また今度!」
そう言って奈利子は赤面したままそっぽを向いた。対照的に、次回があるんだと顕人はウキウキした。
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