お前の唇に触れていたい

五嶋樒榴

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礼央

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久遠礼央は、父親が入院している帝應大学附属病院の脳神経外科病棟に着替えを届けに来た。
脳ドックでこの病院に訪れた時に、くも膜下出血の原因になる未破裂脳動脈瘤が見つかり経過観察を続けていた。しかし、そろそろ手術をした方がいいと話し合いの結果手術をしたのだった。
その執刀医は、若き天才脳外科医、橋元総司だった。
「どう?来週には退院出来るって聞いてるけど」
礼央は父1人子1人だった。
母は礼央が5歳の時に家を出て男と駆け落ちした。
「ああ。経過は良好だって言っていたよ。橋元先生に、良くお礼を言ってくれよ」
礼央の父親はにっこり笑って言う。

あの先生、苦手なんだよね。
天才だとか言う話だけど、いつもボサボサの頭で無精髭で。
腕は良いんだろうけど、だらしなさそうで。

礼央の橋元の印象は、正直最悪だった。
礼央はアパレルのブランドショップで働いていて、スタイルにもこだわりを持っていた。
橋元はその真逆の存在であり、とてもじゃないが、恋愛には疎そうだと正直馬鹿にもしていた。
礼央はナースステーションの前を通り帰ろうとすると、その前で、看護師に指示を出している橋元とバッタリ会ってしまった。
礼央はビクッとして橋元に会釈をする。
そのまま通り過ぎようとした時だった。
橋元の手が礼央の肩にポンと置かれ、礼央はヒッと思いながら橋元を見た。
「お父さん、この後も普段の生活に戻ると思うけど、ひとまず退院が決まって良かったね」
橋元の顔を見て、礼央はドキンとした。
大勢の患者、その中の1家族の事もちゃんと把握しているんだと思った。
「はい。橋元先生には、本当にお世話になりました」
礼央がそう言うと、橋元はフッと笑った。
「‥………………君、いつ見ても良い唇の形してるね。色も健康そうだ」
橋元はそう言うと、礼央を置いて歩いて行った。
礼央は突然何を言い出したのかとポカンとした。
「橋元先生、唇フェチなのよ。久遠さん、確かにセクシーな唇だねー」
看護師達が礼央を囲んでキャイキャイ話を弾ませる。
礼央は引きつった顔で看護師達の圧に耐える。
自分が看護師達に良く思われているのは分かっているが、正直その圧に礼央は耐えられない。
「いくら唇フェチだからって、男の唇褒めますかね」
後退りしながら礼央は言う。
父親が入院中なので、看護師を“敵”に回したくはない。
「だよねぇ。でも橋元先生は変わり者だから」
看護師の言葉に礼央も思い切り頷く。看護師達は笑う。
「でも橋元先生人気もあるのよー。偉ぶる事もなくて。我関せずで自分の事には無頓着だけど、ああ見えるけど顔面偏差値も高いしー」
話に盛り上がる看護師達。
確かにちゃんとすれば、顔はかなりレベル高いと礼央も内心思ってはいた。
だが、それをも覆すだらしなさが際立ってしまう。
「じゃあ、僕はこれで!」
礼央は走るようにナースステーションから逃げた。

疲れたー。
群がられるの苦手だっての。

礼央は女性が苦手だった。
男と駆け落ちした母親の影響と言うより、生まれつきのものだった。
礼央は幼い頃から、恋愛対象は男だった。
礼央は確かに綺麗な顔をしているが、だからと言って女になりたいとは思っていない。
今の仕事に就いたのも、ただお洒落が好きなだけが理由で、それ以上何も無かった。
男が好き。
特にそれに悩んだ事もなかった。
多感な頃にはもう母親はいなかったので、父親に相談も出来ずに自分の中で処理していた。

男が好きなんだ。
それは仕方ない。
僕はそう言う恋愛しかできないんだから。

特に悩む事なくすんなり自分を受け入れられた。
初恋の相手は、幼稚園の時の男の先生。
小学生の時は、勉強が良くできた優しい同級生。
中学の時は、部活の先輩。
そして初めての相手でもある、高校の同級生。
相手が男だっただけで、同性も異性も関係ないと思っていた。
そして専門学校からの恋人とは、つい最近、恋人の浮気が原因で別れたばかりだった。
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