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見上げた青に涙して

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突然の悪夢からいったいどれだけの時間が流れただろうか。

ぼんやりとする意識の中、優しいメロディーが頭のなかを流れだした。

昔、よく近所の公民館のピアノで弾いていた〝愛の夢〟だ。

全身の血液が波打つのを感じ、穏やかな旋律に導かれるかのようにゆっくりと瞼を開けた。

「……んっ」

一定のリズムを刻む機械音が耳に届き、それからすぐに消毒液の匂いが鼻を掠めた。

「亜美! 聞こえる?」

誰かが私の名を呼んでいる。

だんだんと意識が鮮明になっていき、心配そうに私の顔を覗く母の顔が見えた。

ゆっくりと瞳を動かして辺りを見渡す。

ここは、どこだろう。

私、いったい……。

疑問がたくさん頭に浮かぶのに、言葉がうまく出てこない。

「ここは博晴はくせい病院よ。事故で頭を強く打ったみたいで、救急車でここに運ばれたの」

私の手を握りながら、母がゆっくり事情を説明してくれる。

ああ、そうだった。

あと少しで駅に着くはずだったんだ。

それなのに、突然、対向車線のトラックが線をはみ出してきて……。

倉長くんと過ごした幸せな時間がずいぶんと昔のように感じる。

「倉長……くんは……? ここに……いるの? 大丈夫……?」

自分の状況を理解すると同時に、込み上げてきたなんとも言えない不安と焦り。必死に声を絞り出し返答を待つ。


意識を失う寸前、倉長くんの声が聞こえた気がした。だけど、そこからどうなったのか思い出せない。

「彼も無事よ」

「そっか。よかった……」

安堵という感情が全身に広がっていく。

母の瞳を見つめていると、ドアをノックする音が部屋に響き意識がそちらに動く。そして扉が開いた瞬間、熱いものが込み上げてきて瞳を滲ませた。

「倉長くん!!」

左手と頭に包帯をした彼の姿が見え、反射的にベッドから身体を起こす。

「亜美……」

倉長くんが私のもとへと足を進めてきて包み込むように抱きしめてくれた。

「目が覚めてよかった……」

「倉長くんも無事で……本当によかった」

そっとたおやかな背中に手を回すと待ちわびていた温もりを深く感じられ、頬から大粒の涙が零れ落ちていった。
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