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【2章】イベント未回収
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雨の季節。じめっとした空気がまとわりつく憂鬱な季節。
今日は朝から雨が降ったり止んだり。しかし、少し前からその雨足は途切れることなく降り始め、更には強さを増していた。
こんな日はお客さんがほぼ来ない。大通り沿いにあるのならまだしも、細い道に面して建つこの店は雨宿りの場所にすらならないのだから。
「父さんも母さんもいないし、あんまり雨が酷かったら早めに閉めても良いって言ってたし、今日はもう閉めちゃおうかな」
そう思い立ち上がった瞬間、店の扉が勢いよく開いて 1人のずぶ濡れの大柄な男性が飛び込んで来た。ビクリと身体が跳ねる。
悪い人ではないと何故か確信して、気付けば口を開いていた。
「今すぐタオルお持ちしますね!」
________
「助かった。嬢ちゃん、ありがとな」
手渡したタオルで豪快に髪を拭いた男性は、そのままタオルを首にかけてニカッと笑った。
その表情に、私は無意識のうちに尋ねる。
「…あの…どこかでお会いしたことありますか…?」
男性は片眉を器用に上げて斜め上に視線をやり、考える素振りを見せた後、髪と同じ深い紅色の髭をたくわえた顎に手を当てたまま、私の顔をじっと見つめて__
「…悪いが、嬢ちゃんの記憶違いだな」
と答えた。
(私の気のせい、か…)
何故か胸がチクリと痛んで、心臓の辺りを撫でながら首を傾げる。
「なあ、トロン、ってこの店で合ってるか?」
痛む理由を探そうと考え始めたことで浮上しかけた意識はその声で戻され、すぐに"合ってると思います"と返答する。
そしてずぶ濡れの彼の手にある紙が濡れていないことに驚いていると、男性はガハハと豪快に笑った。そして、彼は紙にかけられた魔法のことと この店に来た理由を話して…
「…マディは、弟は…1年ほど前に亡くなり、ました…すみません…ごめん、なさい…」
私の言葉で、店に沈黙が訪れる。また。
………また?
「…そうか。…花も何もねえが、手だけ…合わさせてもらっても良いか」
顔を上げると、切なげに微笑んだ彼の灰色の瞳と視線が重なる。
「…ありがとうございます。お墓は店から離れた場所にあるので…、そこに置いてある弟の写し絵でも良ければ、お願いします」
弟の約束を守って、わざわざ足を運んでくれたこと。弟が一生懸命書いたチラシを大事にしてくれていたこと。
それらがとても嬉しくて、目が熱くなった。それと同時に胸の底が暗く重く沈んでいくのも感じた、その時だった。
するり。
私の目元を拭ったのは彼の親指…で、おそらくだけど。
目線を上げると、すぐ近くに彼の顔があ…る…、…何これ。
「へ……っ!??」
「泣かせちまって悪い」
まず、自分が泣いていることに気が付かなかった。
次に、彼がこんな近付いていることに気が付かなかった。
「ひ、いえっ…、だだ、だいじょぶ、です、違うんです、弟との約束を覚えてくださっていたのが嬉しくてですね、ええ、そうなんです、…ありがとうございます…」
次に、次に…
「あと、近いです…!」
半ば叫ぶように付け加えると、"おっと、悪い"なんて、悪いと思ってなさそうな声色で言って離れた彼。
(び、びっくりした…、男の人とあんなに近付いたことないから…、かっこよかった…)
姉さんほど色恋には詳しくない私だけど、俗に言う"きゅん"を感じたことがあるのはいつも年上の男性、それも結構年の離れた男性に対してだった、と思う。
はっきり言おう。彼は多分、私の好みの男性なのだ。私よりもずっと年上なのは分かるし、相手にされないのも分かっているけれど、これを一目惚れと言うのだろうか、心臓がバクバクと音を立てて鳴っているのが聞こえる。
熱を持った頬をパタパタと煽っていると、ふ、と笑った彼が私の頭に手を置く。
「…あんた、優しい姉ちゃんなんだな。…ちと優しすぎる」
「いえ…、そんなこと、」
「いーや、ある」
「…っ、…はは、そうです、かね」
上がっていた熱や浮遊感が一気に引く。
好みだの、きゅんだの、色恋だの、ましてや一目惚れだのと、何を考えていたのだ私は。そういうことには手を出さないと、一生をこの店に尽くすのだと1年前に決めたのだから、それを曲げることなどあってはならない。そう。そうだった。
「…こちらです」
ただ、あの日_先月の私の誕生日に_両親に"店に弟の写し絵を飾ろう"と提案して良かったと、わざわざ来てくれた彼の気持ちを無下にすることにならなくて良かったと、ただ、そう思った。
雨は、相も変わらず降り続けている。
今日は朝から雨が降ったり止んだり。しかし、少し前からその雨足は途切れることなく降り始め、更には強さを増していた。
こんな日はお客さんがほぼ来ない。大通り沿いにあるのならまだしも、細い道に面して建つこの店は雨宿りの場所にすらならないのだから。
「父さんも母さんもいないし、あんまり雨が酷かったら早めに閉めても良いって言ってたし、今日はもう閉めちゃおうかな」
そう思い立ち上がった瞬間、店の扉が勢いよく開いて 1人のずぶ濡れの大柄な男性が飛び込んで来た。ビクリと身体が跳ねる。
悪い人ではないと何故か確信して、気付けば口を開いていた。
「今すぐタオルお持ちしますね!」
________
「助かった。嬢ちゃん、ありがとな」
手渡したタオルで豪快に髪を拭いた男性は、そのままタオルを首にかけてニカッと笑った。
その表情に、私は無意識のうちに尋ねる。
「…あの…どこかでお会いしたことありますか…?」
男性は片眉を器用に上げて斜め上に視線をやり、考える素振りを見せた後、髪と同じ深い紅色の髭をたくわえた顎に手を当てたまま、私の顔をじっと見つめて__
「…悪いが、嬢ちゃんの記憶違いだな」
と答えた。
(私の気のせい、か…)
何故か胸がチクリと痛んで、心臓の辺りを撫でながら首を傾げる。
「なあ、トロン、ってこの店で合ってるか?」
痛む理由を探そうと考え始めたことで浮上しかけた意識はその声で戻され、すぐに"合ってると思います"と返答する。
そしてずぶ濡れの彼の手にある紙が濡れていないことに驚いていると、男性はガハハと豪快に笑った。そして、彼は紙にかけられた魔法のことと この店に来た理由を話して…
「…マディは、弟は…1年ほど前に亡くなり、ました…すみません…ごめん、なさい…」
私の言葉で、店に沈黙が訪れる。また。
………また?
「…そうか。…花も何もねえが、手だけ…合わさせてもらっても良いか」
顔を上げると、切なげに微笑んだ彼の灰色の瞳と視線が重なる。
「…ありがとうございます。お墓は店から離れた場所にあるので…、そこに置いてある弟の写し絵でも良ければ、お願いします」
弟の約束を守って、わざわざ足を運んでくれたこと。弟が一生懸命書いたチラシを大事にしてくれていたこと。
それらがとても嬉しくて、目が熱くなった。それと同時に胸の底が暗く重く沈んでいくのも感じた、その時だった。
するり。
私の目元を拭ったのは彼の親指…で、おそらくだけど。
目線を上げると、すぐ近くに彼の顔があ…る…、…何これ。
「へ……っ!??」
「泣かせちまって悪い」
まず、自分が泣いていることに気が付かなかった。
次に、彼がこんな近付いていることに気が付かなかった。
「ひ、いえっ…、だだ、だいじょぶ、です、違うんです、弟との約束を覚えてくださっていたのが嬉しくてですね、ええ、そうなんです、…ありがとうございます…」
次に、次に…
「あと、近いです…!」
半ば叫ぶように付け加えると、"おっと、悪い"なんて、悪いと思ってなさそうな声色で言って離れた彼。
(び、びっくりした…、男の人とあんなに近付いたことないから…、かっこよかった…)
姉さんほど色恋には詳しくない私だけど、俗に言う"きゅん"を感じたことがあるのはいつも年上の男性、それも結構年の離れた男性に対してだった、と思う。
はっきり言おう。彼は多分、私の好みの男性なのだ。私よりもずっと年上なのは分かるし、相手にされないのも分かっているけれど、これを一目惚れと言うのだろうか、心臓がバクバクと音を立てて鳴っているのが聞こえる。
熱を持った頬をパタパタと煽っていると、ふ、と笑った彼が私の頭に手を置く。
「…あんた、優しい姉ちゃんなんだな。…ちと優しすぎる」
「いえ…、そんなこと、」
「いーや、ある」
「…っ、…はは、そうです、かね」
上がっていた熱や浮遊感が一気に引く。
好みだの、きゅんだの、色恋だの、ましてや一目惚れだのと、何を考えていたのだ私は。そういうことには手を出さないと、一生をこの店に尽くすのだと1年前に決めたのだから、それを曲げることなどあってはならない。そう。そうだった。
「…こちらです」
ただ、あの日_先月の私の誕生日に_両親に"店に弟の写し絵を飾ろう"と提案して良かったと、わざわざ来てくれた彼の気持ちを無下にすることにならなくて良かったと、ただ、そう思った。
雨は、相も変わらず降り続けている。
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