PetrichoR

鏡 みら

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scene5 美結

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玖音が車を出ていって
既に2時間と30分が経過していた
雨は依然として強く降り注いでいて
勢いを弱める様子は無い
いつ連絡が来ても良いように
強く携帯を握り締めながら何度も何度も時間を確認しては膝の上に置きを繰り返している

1人きりの車内は耐え難いほど心細くて
こんなにも時間の流れが遅く感じるのは産まれて初めてだった

信じていても心がざわめいた
苦痛な時間が多ければ多いほど
思考がどんどんと嫌な方向へと傾いていく

不意に2度、窓がノックされる音がして
ぴくりと体が震え上がる
玖音が戻ってきたのかと思ったが
わざわざ窓を叩く必要はない
目を凝らすとそこに立っていたのは
初老と若者の2人組だった
透明なレインコートの下から警察官の制服が透けて見える
窓を閉め切っているのと豪雨のおかげで声がほとんどかき消されて聞こえないが窓を開けるようなジェスチャーをしている
絶対に怪しまれてはならない
協力的な市民を演じる為に素直に車窓を降ろした

「こんばんは~お嬢さん。雨、凄いなァ。こりゃあ参った」

初老の警官があっけらかんとした口調でとぼけてみせるが眼光の鋭さは衰えていない

「ははは、そうですね」
「突然お声掛けしてすみません。驚かせてしまったかもしれませんね。私は川瀬かわせと申します。後ろのは深見ふかみと言います」

川瀬と名乗った若い警官が警戒を解こうとするように優しい声色で続けるが、深見は後部座席に向かって手にした懐中電灯を照らしながら中の様子を伺おうとしている
ゆっくりと上がっていく心拍数を悟られないように心を静ませながら平常心を装っていく

「どうも」
「姉ちゃん、こんな大雨ん中で何してんだ?運転席には誰も居ねェみたいだが」
「ちょっと道に迷ってしまって。それで……彼氏が長時間運転してくれていたので休憩を。今はトイレに行ってます」
「ほう、迷ったと。そりゃあ大変なこったァ。じゃあもうすぐ帰ってくるか」
「一応、お兄さんとお姉さんの身分確認だけさせてもらって大丈夫ですか?何も無ければ街道まで先導しますので」
「ご親切にどうも」
「すみません。形式的なものですので。じゃあお姉さんのお名前と住所お聞きしても?あと身分証明出来るもの何かあります?」

「鉢川美結です。住所は和歌山県仙南せんなん大見おおみ町です。身分証明は保険証しかありません」

若い警官が軽く一礼し、保険証を受け取る
肩越しから覗く深見の視線がとても気味悪く感じた

「はい、ありがとうございます。これお返ししておきますね」

受け取った保険証を財布にしまうことなくダッシュボードの上へ置く

「彼氏、随分遠くまで行ったんだなァ」
「そこまではちょっと見てなくて」
「この雨ん中、街灯もない森だから心配だろ」
「まぁ…そうですね。でも、もうすぐ帰ってくると思います」
「……おい、川瀬!ちょっとその辺見て回ってこォい」
「分かりました」

川瀬は1度頷くと森の奥へと消えていった

「なァ、姉ちゃん。ほんとはこんな人気のないとこで何してんだ?」
「だからさっきも言った通り道に迷って……」
「県外ナンバー、真夜中、脇道の山奥、戻ってこないカレシ。オマケに何の荷物も積んでないと来た。怪しまねぇでくれって方がムリだよなァ」
「……」
「それとも何だ?お楽しみ後だったかァ?」
「……はい?」

予想だにしない言葉に一瞬不快感を覚えるも
上手くいけば疑いの目を逸らすことが出来るかもしれない

「こういうのは決まってンだよ」

窓から皺と血管の浮いた腕が伸びてきて
強い力で私の腕を掴む

「正直に吐けよ。何してようが構わねェが素直に話した方が身のためだぜ?」
「だから、本当に……」

「最近のポリ公は何しても許されんのか?」
「あァ?」
「離せよ、手」

聞き慣れた声がして掴んでいた手が離れる
深見と対峙するように玖音が険しい表情を浮かべ
そこに立っていた

「おうおう。なっがい便所だったなァ。傘も差さずに風邪引くぜ?」
「そりゃどうも。生まれてこの方風邪なんざ引いたことなくてな。耄碌もうろくジジイに心配されなくても結構なんだわ」
「テメェ。ガキ、口の利き方には気を付けろよ」
「とっとと好きなとこ見て帰れよ。何もねぇぞ」

チッと舌打ちをして深見は無線を取り出し
私達に背を向け何かを話し始めた

ずぶ濡れになった玖音がさっと私の方に近付いて耳打ちする

「大丈夫?」
「うん……玖音こそ」
「もう何も話さなくていいから。僕に任せて」

彼の微笑みに安心感を覚えると共に
薄ら寒い狂気が滲み出しているような気がして
一瞬、彼が知らない人のように見えた

深見が呼び出したのかすぐに川瀬が戻ってきた

「ああ、彼氏さん。戻ってこられたんですね」
「どうも。お騒がせしてしまったようで」
「テメェもさっさと身分証出せ」

相変わらず毅然とした態度で玖音は免許証を取り出すと、奪い取るようにひったくり一通り目を通した後、川瀬に渡し
深見自身は車をくまなく調べ始めた

正直、気が気でなく、助けを求めるように
玖音に視線を移すと、大丈夫と彼は目配せした

「な?何もねーだろ。もういいか?早く帰りたいんだ」
「ええ。御協力ありがとうございました」
「待て、川瀬。テメェ、その汚れはなんだ?」

深見が玖音の爪を指さす
何の事を指しているのか車内からは良く見えない
また不安が湧き上がってくる

「どれだけ突っかかってくるんだ」
「質問に答えろ」
「埋めたんだよ」

心臓が凍りつく

「言わせんなよ。分かってんだろ」
と玖音が続ける

また深見は舌打ちをし、バツの悪そうな顔で車へと戻って行った

「すみませんねぇ。あの人今日非番だったんですよ。それでちょっと気が立ってて」
「別に。誤解が解けたなら良かったです」
「改めて御協力感謝致します。では我々が先導しますので、後を着いてきて下さい」

赤い警告灯を頼りに私達は山を降りた
帰り際、深見にまた何かを言われたが
正直、私の耳には何も届かなかった
少し冷静さを欠いてしまったが
恐らく大丈夫だろう
疑われなければなんてことはない

車内には激しく叩き付ける雨音とワイパーが忙しなく動く音だけが響く

「遅くなってごめん」
「ううん。助けてくれてありがとう」
「当然の事をしただけだよ」

上手く言葉に言い表す事が出来ないが
戻ってきてからの玖音に何処か違和感を覚えた
声も表情も全て玖音なのに
私の知っている人じゃない気がする
魂だけが抜け落ちて入れ物だけが動いている
そんな感覚に近いものを感じていた

ふと、窓から見送った時の玖音の後ろ姿が蘇る
何を考え、何を想い、どんな気持ちで
あれを埋めたのだろう

彼は言った。あなたがただ幸せでいてくれれば
それで良いと
罪悪感で庇っているのなら迷惑だと
そう言われたとしても
どうする事が正解なのか分からなかった

「玖音は後悔してる?」
「もし、こうなることがなかったとしても、僕にはしみったれたクソみたいな人生を送るしか選択肢なんてなかった」
「……」
「ずっと昔から思ってた。どうせ同じ人生なら本気で好きになれた人の為に使って、そして死にたい。それが幸せ。今でもそう思う。だから後悔はしてないよ」
「玖音は死ぬの?」
「……」
「どうして何も言ってくれないの」
「大丈夫だよ」
「大丈夫って何?」
「美結も僕も、自分の気持ちに従って選択した。どれだけ言い訳をしたってそういう事だろ。後悔なんてただ無駄でしかない」
「……玖音はいつもそう」
「僕はこれまでも、これからも僕だ」

「ねぇ、玖音はこれまでどんな人生を歩んできたの?出会って随分経つのに玖音のこと何も知らない」
「そんなもの、聞いてどうするの」
「分からないけど、なんとなく聞きたくなった」
「平凡な人生」
「平凡って?」
「貧乏でも、金持ちでもなく、不自由のない家庭。兄弟が流れてしまったせいで母は少しおかしくなってしまったけど、愛情深く育てて貰ったとは思ってる」
「......そう」
「やっぱりやめましょう。この話」

苦しそうに前を見つめる玖音を見て
それ以上言葉をかけることは出来なかった
車のヘッドライトが照らす道の先はどこまでも続く終わりのようで
いつまでも不安が心の中に闇を落としていた
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