雨上がりに僕らは駆けていく Part2

平木明日香

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丘の坂道

第283話

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 「キーちゃんは今でも夢を見とる」

 「…夢?」

 「そうや。あの日キーちゃんは、海の向こうに行こうとした。誰も見たこともない景色を見ようとした。ずっと遠く、——水平線の向こうへ」

 「行くったって…、どうやって…?」

 「行き方は誰にもわからん。あんたもそうやろ?子供の頃の夢は、行き先なんて決めないもんや。ただ走れるだけ走って、行けるところまで行く。後ろなんて振り返らずに、…ただ、どこまでも」

 「お前は知っとんか?」

 「何をや?」

 「千冬が、あの日海に行った理由…」

 「理由なんてない。それは、あんたがいちばんわかっとるやろ」


 事故に遭ったあの日のことを、俺はよく覚えてない。

 確かおかんと買い物に行って、昼過ぎからダラダラしてた。

 たまたま野球の練習がなくて、部屋の中で漫画を読みながら、扇風機をガン回しにしてた。

 だけどそのあと俺が何をしてたのか、次の日に何をしてたのか、全く覚えてない。

 ただ、非常灯の赤い灯りと、廊下を歩く靴の音だけが、しきりに頭の中を泳いでいた。

 誰かが話し合っている声と、薄暗い空。

 砂粒が流れて擦れていく音が、波打ち際に響いていた。

 ゆったりと、それでいて風の懐を撫でるように鮮やかな音色が、気味が悪いほど丁寧に奏でられていた。


 ザザザァァという潮の流れ。

 夕暮れ時のサイレン。


 時間の経過がどこに続いてるのかもわからなくなるほど、空気が重く、冷たく、ひしめき合っていた。

 不均等なほどに揺らいでいる沿岸沿いの街並みが、どこか、知らない場所のようにさえ感じられた。


 蝉の声が、遠く掠めるように響く。

 須磨駅のホームに停車する電車と、線路上のランプ。


 静まり返った病室の片隅で、アイツが立っている姿を、夢の中で見た。

 海をずっと見ていた。

 呼びかけても、返事はなかった。

 ただ、風に触れる髪が、遠くを見据えるその横顔が、どこまでも静かな空間のそばで、僅かな変化さえ持っていなかった。

 彼女の足元にかかる波の動きが、ただ、静かに前後しているだけで。


 海に行くのに、理由はない。

 何かをしたいと思うとき、どこかに行きたいと思うとき、…そんな時はいつも、靴を履いて家を出た。

 ——俺も、千冬も。


 …どんなに日差しが強い日でも





 あの日に何が起こったのかを、今さら思い返すつもりはない。

 そこにどんな理由があったって、もう遅いんだ。

 もう、取り返せないんだ。

 過ぎてしまったことは。


 こうしてベットの上で眠る千冬の顔は、どこか穏やかにも見える。

 苦しそうな表情はどこにもなくて、まだ、どこか子供の頃の無邪気な顔つきが、酸素マスクの下にある。

 そんな彼女を見て、女は言う。

 「まだ、夢を見ている」

 俺はその言葉を、素直に受け止めることはできなかった。

 たとえ彼女の意識が、まだ、どこかに残っているとしても、こっちに戻ってくることはない。

 それを知っているからだ。

 今も、昔も。
 
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