雨上がりに僕らは駆けていく Part2

平木明日香

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夢が覚めないうちに

第263話

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 ザァァァァァァ…



 「…え?」


 一瞬、耳を疑った。

 ここは街の中だ。

 それなのに、まるで砂浜にいる時のような音が聴こえた。
 
 ——そう、瀬戸内海の海岸。

 あの海の岸辺で流れ着く波の破音が、交差点の中央で響き渡る。

 泡が弾けていく質感が鼓膜を揺さぶって、何重にも重なった分厚い層のような厚みが、空気の切れ間の中を凄まじい勢いで駆け抜けていった。

 空気が押し潰されていくような重低音。

 それから、波線。


 ビルというビルのコンクリートが崩れ、中の鉄筋が剥き出しになろうかとしていたその時、その“消失”は、地面にも及び始めていた。

 アスファルトの表面が剥がれ、その下にある地面の土が浮き上がる。

 道路に敷かれた白線は、浮き上がる土と一緒に、消失する街の中に呑まれていった。

 空間の内側へと沈んでいこうとしていた。

 空間のずっと奥、——深いところに。



 全てが、“ほどけて”いく。



 みるみるうちに形が失われて、まるで水に流れていくような滑らかさが、目まぐるしい変化の渦中に広がっていた。

 遠ざかっていく何か——

 気配はすぐそばにあった。

 何かが消えていこうとする気配が。

 …だけど、それを視覚の中に捉えられるほど、はっきりとした感触をすぐに見つけることはできなかった。

 世界が透けていく。

 「線」の外側へと何かが逃げていこうとしている。

 風も、街の音も消えた空間のそばで、次第に空が暗くなり始めた。

 そして、揺れが続いている地面の、——上には。


 眼球の表面。

 その水晶体の真上を泳いでいく1つの影が、光の屈折の中に届いた。

 入ってくる光の量は、世界を見渡すには十分すぎた。

 網膜の内側で形成される像。

 鮮やかな色調と、——実体。


 ピントは合っていた。

 空とその色を、直視できるほどには。


 巨大な影が、瞳の中を通りすぎる。

 ガラスに反射する街の景色のように、それは確かな線を持っていた。

 だけどそれを“影”と呼ぶには、あまりにも大きな存在感を放っていた。

 見渡す限りの青い空に、“それ”はやってきたんだ。

 時間の猶予も感じないほど、速く。

 空からやってきたとは感じないほど、近く。



 …隕………石………?



 不意に女の言葉を思い出した。

 鼓膜の内側に触れる雑音。

 ノイズがかかったような声色。


 …でも、そんなバカな…



 “それ”は成層圏を抜け、地球の重力に引っ張られるように、強烈な空気抵抗を携えながら近づいてきた。


 あり得ない速度で。

 陽射しのトーンを変えてしまうほどの、大きさで。


 まさかと思いながら、瞳のレンズに映るその巨大な物体を、——追った。

 空に浮かんだ2つの星。

 月じゃない、もう一つの、「星」を。

 



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……



 落下してくるその星の下で、世界の端が、ドミノを倒したように傾き始めた。

 轟音を立てて沈んでいくビルと、地面。

 アスファルトには亀裂が入り、倒壊する建物の向こうに、雪崩のように膨らんでいく巨大な放物線が見えた。


 津波だ。


 ビルよりも高い波が、世界の端から迫ってきてた。

 濁流に持ち上げられる水飛沫と、形容し難い音。

 何もかもが破壊されていくような音が、削岩機のように鳴り響いた。

 爆発的に伸び上がる放物線。

 水の躍動。


 街が飲まれていく。

 ものすごいスピードでぶつかってくる白波が、高く飛び散って宙に舞い上がり、ザザザザと蠢きながら千切れていく。

 コンクリートの壁に波が砕け、うねりがまくれ込みながら、白く崩れ落ちる。

 目も眩むほどの速さで走り上がってくる。

 阪神高速線の高架下をくぐり、かたやセンタービルの頭上を乗り越え、空にも達するほどの勢いで。
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