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昨日までの世界
第12話
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家に帰った後、進也はリビングのソファに座っていた。
目の前には、さやかの兄──高月 直哉(たかつき なおや)がいた。
直哉は大学生で、あまり多くを語らない性格。
だが、進也から母親のことを聞くなら、まず兄からだと思った。
「……なあ、直哉」
「ん?」
「お母さんのこと、覚えてる?」
その瞬間、兄の表情がわずかに変わる。
「……どうした、急に?」
「ちょっと、気になっただけ」
直哉は、じっと進也を見た。
「……お前、事故で頭打ったんだよな?」
「え?」
「いや…記憶が一部無くなってるって、父さんから聞いたけど」
「…ああ、うん」
進也は辻褄を合わせるため、「記憶を無くした」ことにしていた。
さやかの家族や友達と話していると、どうしてもわからないことが多かったからだ。
直哉は驚いていた。
それは多分“記憶が無くなっている”ということに対してなんだろうが、それ以上にどこか、進也(=さやか)のことを気遣うような素振りを見せていた。
「母さんのことを何よりも知ってたのは、お前だろ?」
…さやかが?
進也は返す言葉も見つからないまま、そっと俯く。
兄はしばらく黙っていたが、ため息をついて言った。
「……まあ、いいか。別に話せないことじゃないしな」
「お母さんが家を出たのは、お前が10歳の時だ」
10歳──さやかが歌を始めた頃。
「俺が中学に入るくらいだったな。気づいたら、いなくなってた」
「……いなくなったって……」
「ある日突然、いなくなったんだよ。置き手紙とか、そういうのもなかった」
進也は、喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。
──母親が、ある日突然姿を消した?
「お父さんは……何か言ってた?」
「さあな。俺が聞いても、"もう帰ってこない"としか言わなかった」
直哉の声は、どこか冷めていた。
「でも、"お前は"聞こうとしなかったんだよな」
進也は、息を呑んだ。
──聞こうとしなかった?
なぜ?
その日に何かあったのか?
というより、いなくなったことに驚かなかったのか?
兄との会話の後、進也は、もう一人の人物に話を聞くことにした。
父親──高月 雅弘(たかつき まさひろ)。
家のダイニングでコーヒーを飲んでいる父親に、進也は意を決して声をかけた。
「……お父さん、お母さんのこと、教えてくれない?」
父親は、コーヒーを飲む手を止めた。
「……どうした、急に?」
「ずっと、気になってた」
父親は、少しだけ考え込んだ後、静かに言った。
「……母さんは、お前を愛してたよ」
進也は、驚いた。
「……じゃあ、どうして……?」
「……俺には、わからない」
父親は、コーヒーを置く。
「ただ、母さんは"悩んでた"んだ。ずっとな」
「悩んでた……?」
「お前が小さい頃は、元気だった。歌が好きで、お前の歌をよく聞いてた。
でも、ある時から、ふと考え込むようになった。何かを思い詰めてるような……そんな顔をしていた」
進也は、拳を握った。
──母親は、何かを"抱えていた"?
「そして、ある日、いなくなった」
父親は、そう言い切った。
進也は、質問を続けようとした。
でも、父親は静かに首を振った。
「……母さんのことを、今さら思い出しても仕方ないだろう」
進也は、黙ってしまった。
──父親は、もう母親を"過去の存在"として片付けていた。
でも、進也にはそうは思えなかった。
母親は、さやかに"何か"を残していたはずだ。
それが、"歌"に関係しているのではないか。
──そうでなければ、さやかがあんなに「誰かに届けたい歌」を歌う理由が、説明できない。
「……お父さん」
進也は、ゆっくりと口を開いた。
「お母さんは、まだどこかにいると思う?」
父親は、一瞬だけ目を細めた。
そして、静かに言った。
「……わからない」
その言葉の裏には、「もう考えたくない」という気持ちが見え隠れしていた。
夜、進也は部屋に戻った。
母親は、"ある日突然"いなくなった。
父親も、兄も、それ以上のことは知らない。
──だが、本当にそうなのか?
進也は、机の上に置いた"古いノート"を見つめた。
「私は、歌で誰かを笑顔にしたい」
──それは、"母親のため"だったのか?
だとしたら、さやかは"母親がいなくなった理由"を知りたくなかったのか?
それとも──"知るのが怖かった"のか?
進也は、深く息を吐いた。
(……俺が、調べるしかない。)
母親は、本当にどこにもいないのか。
さやかが、本当に知ろうとしなかったのか。
進也は、机の引き出しに手を伸ばした。
──ノートの中に、"手がかり"があるかもしれない。
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