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獄炎蝶

第250話

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 「退(の)け」


 低いトーン。

 声の質は軽やかだ。

 ナイフのように鋭い切先を持っている。

 糸を切る程度の刃音。

 しかし、その“音波(おと)”は、確かな実体を運ぶだけの質量を帯びていた。

 “黒い炎”が、空気の色そのものを変えながら近づいて来た。


 「ぐ…ッ」


 キョウカは苦悶の表情を浮かべながら、首元を掴む腕を引き剥がそうとする。

 腕の先にいたのは、“堕天使”の紋様のついたスーツを身に纏う、赤髪の悪魔だった。

 瞳は冷たく、紅い。

 瞳孔は細く尖っており、どこかとめどない殺気を帯びていた。

 “殺気”といえど、はっきりとした輪郭の中にそれが犇めいているわけではない。

 むしろ、落ち着いている。

 冷え切った氷のようでもある。

 ゆったりとした息遣いの中に、緩やかな動作が流れている。

 不気味なほどに穏やかな足取りから、少しずつ膨れ上がっていく熱気。


 少女。


 揺れる赤い髪の下に見える肌の色は白く、透き通っていた。

 伸び切った腕の先には、細長い指。

 キョウカの首に食い込んだ爪は鋭い。

 華奢な腕からは想像もできないほどの力強さが、微動だにしない動作の傍で感じられた。

 対峙する悪魔が只者ではないことは、遠目からでもわかった。

 しかしその“風貌”は、殺気に満ちた禍々しさからは程遠い“幼さ”を秘めていた。

 キョウカや真琴たちと変わらない年代の女の子だった。

 見た目の点だけで言えば。


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