水辺のリフレイン

平木明日香

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海に浮かぶ町

第2話

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 この肌の横でいつも感じているのは、ただの海かそうでないのかのぼんやりとした境界線が、水彩画のように陸続きになって一つの光景を形作っているということで、海が青色なのではなく、それを取り巻くすべての景色が、海に近づくに連れて流れるように青色に彩られているということだ。

 海の音が、生活の音になるように、海と、家と、私の下に聳える地面は、パレットの上の多彩な青色のように、自由に場所を変えることができる。


 唄が私の家に遊びに来たときは、終始感動しきりに「ここに住みたい」とか「写真を撮りたい」とかはしゃぎ回り、その横で私はその良さがわからずに、何を見てそんなに嬉しくはしゃいでいるのか不思議に思う感情に苛まれた。

 だって海っていうのは、私にとっては日常なんだ。

 食卓のテーブルのようにすぐ横にある。

 だから特別なものはなにもない。

 だけどそれこそが特別なのだと思えるくらいの、横つけになって届いて来る聞き慣れた波の音が、さざ波になって私の生活の音を揺らす。

 唄は、それには気付かない。

 唄は、山の子だから。

 海には少し遠いその育ちの土地と山々からは、私がいつも聞き慣れている音とは違う波の音が、聞こえているはずだった。

 唄の日常の中にある景色の向こう側には、私の知らない日常があるんだ。

 私は逆に、山に登るのが好きで、その時に感じる普段の日常の風景や色とは違うギャップが、森の緑の横で視界の中を泳いでいる。

 それはきっとまだ触れ合い慣れていない視界の中にある記憶が、新しい情景を切り取っていく真新しさとなって、鼻の先に感じる自分たちの日常の「外」の匂いを、敏感に敏感に拾い取っているからなんだろう。

 ——きっと。


 私の生活の横にある「青」は、唄が感じているよりもずっと濃い。

 それだけに、時々嫌気が指すほど、海の中に緑を求める時がある。


 私は家に帰ってきて、町の村の人たちに挨拶をした。

 ここは、この舟屋という民家の密集地域は、海が目の前に隣接しているように、海岸の縁(ふち)を横一列に並びながら、隣合わせになったたくさんの家が、狭い空間の中で集まっている。

 庭なんてものはないし、玄関を出れば、すぐ隣の人たちの生活音や人の気配が感じられる。


 ここにいる人たちは、家族も同然だった。

 古い民家だから、私と同い年の子や、近い年齢の子なんかは今のところいないけど、少ない民家の集落の中で、話したことのない人は一人もいなかった。

 隣もその隣も、目の前の今井田さんだって、私が家に帰ってくるなり、お帰りと言って挨拶を交わしてくれる。

 今日はカマスやカワハギが採れたよと言ってバケツ一杯の魚をバシャバシャと扱いながら、その奥の家の方では一匹のイワシが小さなバケツからはみ出ちゃって、地面の上でバタバタ過呼吸になりながら暴れている。

 ジタバタと。


 潮風になびかれて、魚の匂いがする。

 だってここは漁村だし。

 皆が皆、漁師を夫に抱えているのが普通で、食卓に魚が並ばない日なんてほとんどない。

 ここは観光名所でもあるから、民家の中には宿泊施設を商売にしている人たちもいる。

 ま、何にしても出てくる料理は色とりどりの海の生き物たちであって、山菜なんかはテーブルの端の端の方に追いやられて見る影もない。

 スーパーに買い出しに出かけても、買うものはいつもパンとかバターとか洋食ものばかり。

 魚なんて見る必要ないし、野菜なんかも集落の裏の山の麓を耕して、皆この時期には作っているから、それが集落全体に出回って潤う。

 だからほぼほぼカゴの中に収まることはない。

 芋も、キャベツも、にんじんも。


 なんにせよ、私の体は魚で出来ている。

 今日の夜はカレーライスだけど、魚介の出汁(ダシ)だ。

 バーモンドカレーでいいじゃないか。

 なんでわざわざ魚を鍋にぶっこむんだ!と食卓で料理を手伝うお姉ちゃんに言ってやったら、「もったいないでしょ」、とかなんとか。

 もったいないとか言ってる暇があったら、その魚を海に離して、元気に泳いで帰って行ったのを見届けてやればいいじゃないか。

 うちのフライパンで焼かれている姿を見るのは辛い。

 だって毎日だよ?

 魚には魚の事情があるんだから、一匹も残さず競売に出すとか皆で腹の足しにするとか、そんな強欲に接してあげなくても、たまにはもう一度海に返す時間があっていいじゃない。

 たまにバケツで泳いでいる名前も知らない可愛い小魚をひょいっと摘んで海に返してやったら、怒られる怒られる。

 それはもう怒涛の勢いで。

 あんなに小さいんだから大きくなってまた取ればいいじゃないと言ってやったら、一度逃がした魚はもう二度と帰ってこないんだから離しちゃだめ、だってさ。

 そいつが命からがら逃げ延びても、この海にはたくさんの魚がいるんだから、別にいいじゃないかとも思う。

 漁師の皆はそれを許さないんだけど。


 私は家に着くなり、脱ぐもの脱いで、2階に上がった。

 部屋の窓を開けて、そのガラス戸のレールの下に腰を下ろしながら、窓辺に座った。

 ハヤブサが、何羽か海の向こうで泳いでいる。

 水面(みなも)の上で小魚を捕ろうとクチバチを下に向けながら、ヒラリと舞って、伊根湾のたくさんの舟達や水の音の中に飛んでいく。

 青色の原色が、夏の景色の向こうに漂っている。

 空から零(こぼ)れてくる雲の模様が、風を受けて流れていく白い斑点になって、微かに揺らめきながらどこかへ消える。
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