雨上がりに僕らは駆けていく Part1

平木明日香

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第601話

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 「はい、110番。警察本部です。何がありましたか?」


 電話先から届く「何が」の発声は、日常の穏やかさを切り裂くように響いた。

 聞き慣れるはずもないその声の音程に、息を呑んだ。

 正直、その先のことは考えていなかった。

 何があったのか。

 何を伝えればいいのか、


 「…あの、すいません。男が、…ナイフを持った男が歩いてまして」


 犯人の情報を断片的に繋げて、1つの文章を形作った。

 これから起こる出来事。

 その「流れ」を、想像の中で補完しながら。


 「あなたのお名前は?」

 「大坂楓、…と言います」

 「楓さんですね。その男というのは、今どこに?」

 「すぐ…ほんとにすぐ近くにいます」

 「その人との接触は?なにもされていませんか?」

 「今は大丈夫です。まだ、なにも」

 「…いいですか。よく聞いてください。絶対に近づかないでください。それからすぐに安全な場所に移動してください。あなたがいる場所はどこですか?」


 慌てて現在地を調べ、住所を伝えた。

 犯人の特徴についても聞かれたが、とりあえず「男」とだけ答えた。

 それ以外はわからないと伝えた。

 なぜ「男」なのかというと、早川さんが殺された刺し傷や殺害に至るまでの関連性として、予想される犯人像が90%以上「男性」だという情報が、端末に載っていたからだ。

 まだ起こってもいない事件に、やさしく応じてくれる警官。

 その声に寄り添いながら、「早くきてほしい」と訴えかける。

 キーちゃんは5分後と言ったけど、悠長に時間を計算していられるほど落ち着いてはいられなかった。


 バンッ。

 その音がした方を向くと、停車していた車のドアを開けて、フード姿の男がこっちに向かって歩いてきていた。

 手はポケットに入れ、顔にはマスクをしている。


 うわ、まじかよ。

 驚いた表情を見せるのは、私だけではなかった。

 アキラも綺音も、男を見ながら身を寄せ合い、いかにも怪しいその人物に、怖がった顔を見せていた。


 足取りはそこまで早くはなく、かと言ってゆっくりでもない。

 その人が「犯人」であるという根拠はないが、事実、早川さんにまっすぐ向かって歩いている。

 道が一本しか無いせいもあるが、犯行に至るには十分な「距離」と「タイミング」にいた。

 キーちゃんが言うように、もし早川さんを襲うとすれば、この人気の無い暗い通りは絶好の機会でもある。

 本来なら身近に私たちはいないわけだし、実質、“目撃者が居ない状況”が、目の前にあったからだ。


 「…今バス停に向かって歩いてます」


 今すぐそこを離れてくださいという警官の声を聞きながら、その男の姿を目で追った。

 背はそこまで高くなく、どこにでもいそうな身なりをしている。

 しかしその男を確認できるのは街灯の薄い光だけで、はっきりとその姿を見ることができない。

 歩いてきているその人が、本当に犯人なのかどうかはわからないが、ハッキリ言って、もうそんなことはどうでも良かった。

 歩いてきてるその人が「犯人でない」ことを、心の中で願っている自分もいた。


 (頼むから違っていてくれ…!)


 その胸のざわめきが抑えられないほど、切迫した緊張が駆け巡り、なにも考えられない状態になる。


 「犯人を捕まえる」


 みんなでそう話し合ったが、もうこの時には怖くてたまらなかった。

 足がすくんで動かなかった。

 今、私たちの目の前にいるフードの男が犯人であろうがなかろうが、今までの人生で感じ得なかった1つの感情が、全身を覆うように渦巻いていた。

 実際に起こるかもしれないと言う未来に怯えながら、足は、前に動いていかない。

 今動いたら、計画が全部台無しになるとか、そんなことはただの言い訳だ。

 どうでもいいじゃないか。

 早川さんを助けるためにここまで来たんだ。

 それならそれで、ちゃんと筋を通さないと。

 事件が起こるという可能性を0にできるなら、今すぐに駆けつけるべきなのに、塀の中から出ていける気がしない。

 “未来を変えられる瞬間“がすぐそこに続いているはずなのに、足元が震え、恐怖が全身を覆う。

 まるで崖の先に立たされたかのように。
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