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墓標のない土地
第549話
しおりを挟むシュレーディンガーの猫、ねえ。
そんなに大それたことなんだろうか。
猫の1匹が箱の中で生きるか死ぬか、それが一体なにを意味していることになるのかを私は知らない。
だけど彼女は必死になってこれがこれで、こうなってと段階を踏んで話を進めてくる。
あんまり一生懸命なもんだからこっちもついムキになって「それがどうした」と無愛想に対応しても、その次には「だから」と突っぱねるように韻を踏んで軽快なステップを踏んでくる。
真剣に訴えるその姿勢は確かに心の中に響きそう。
だけど届きそうで届かない。
ついには休憩時間も終わって国語の時間がやってきた。
はいじゃあもうこれでこの話はおしまい!と促しながら席に戻っても、まだまだと話足らなさそうに私のシャツの裾を掴んで「行かないで」と訴えてくる。
「私はどこにもいかないよ」とその手をほどいてあっちに行けと催促しても、瞳孔の奥に隠れたツヤツヤな眼差しは諦めることを知らず私の背中を追って来る。
チャイムが鳴って国語の先生が入ってきてもお構いなしにノートを広げて、話を再開しようと奮闘している姿は思いのほか涙ぐましい。
だからといってこれ以上話を聞いても仕方ないと思い、ノートを払う。
あんたのノートはあんたの机に。
私のノートは私の机に。
この教室の午後の時間に、2つもノートを広げていられるかってんだ。
どんよりし始めた気持ちの中で彼女の顎をグイッと掴んで、無理矢理私の傍から引きはがそうと躍起になった。
彼女はそれにも関わらず今度は世界史の教科書を取り出して、その本に取り付けられた世界地図を強引に広げて見せるのだった。
おいおい勘弁してくれよ。
先生に怒られるでしょーが。
松村先生は優しい性格だから、少しくらい騒がしくしていても、ある程度までは許してくれるんだろうけどさ。
だからといってこの机いっぱいの世界地図が国語の授業に関係ないことは明白なんだ。
先生はさっそく「今日はP36を開いてください」と促しながら私たちの様子を見ている。
おい、いい加減席に戻れって。
「でさ、この地図に書かれてる北極と南極を見てみて」
だめだこいつ。
完全にスイッチが入っている。
適当にそうですねとうなずいて私の方はP36を開く。
ちゃんと開いてますよ先生って机の上で大げさにジェスチャーしながら「この子のことは気にしないでください」とわざとらしく注意を促す。
そんなことは関係ないと言わんばかりに彼女は地図の上の北極と南極を指差してきた。
「もし、この北極と南極に「同じ」時間に、2つの箱をそれぞれ1つずつ置いてみたとしよう。北極に1個、南極に1個といった具合でね」
うんうん
「それで、そのどちらかの箱の中に、1枚のハガキを入れてみるんや。北極の箱か、南極の箱か、そのどっちでもええんやけど、「いずれか」の箱にだけ、ハガキを入れる」
それでそれで
「あたしたちの常識やと、どちらかの箱にハガキが入っていると仮定した時点で、どっちの箱にハガキが入っているかは、箱を開けてみるか、開けてみないかに関わらず、答えは決まってると思うやろ?」
そうだね。
「だけど、シュレーディンガーの猫の思考実験でもあるように、北極と南極の中身を開けて、その中を確認して見るまでは、どっちにハガキが入っているかは最後まで"わからない=決定されていない"んやって」
そりゃあ、すごいね。
それで、その話と、さっきから握りしめてるサイコロの間には、一体どんな関係性が?
「サイコロが1と出たとき、「サイコロが6と出る未来」は、連続的に途切れることなく今の現実に続いてるっていうこと。つまり運命なんてものは、この世界にはないそうや」
「運命…か…」
そんなものは最初からどこにもないのかもしれない。
サイコロの目がもし6と出ると決まっているとしたら、明日の天気が晴れか雨かなんて、何の意味もない。
この授業だってそうだ。
隣で賑やかな彼女の声色は、いつだって明るい。
昨日だってそう。
今日も。
それから明日だって。
それが運命によるものだとしたら、つまらないよね、絶対。
私はつまらないと思う。
キーちゃんが元気な日は、元気だ。
それが何百年も前から決まっているとしたら、無理矢理でも彼女のほっぺたをつねって顔を歪めてやりたい。
思いっきりつねって痛がるキーちゃんの辛そうな顔を見たら、運命なんてものは尻尾を撒いてどこかへ消え失せるだろう。
今日の出来事が何もなかったみたいに。
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