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死線
第520話
しおりを挟む「じいちゃん、剣道の先生やったんや」
「…先生?」
「町の小学校のな。昔の話やけど。じいちゃんは、剣道連盟でも有名な人やったんや。全日本日選手権で前人未到の6連覇。自慢のじいちゃんやった」
そうなんだ。
よく見ると、何十畳もある畳の一部が擦り減っている。
なにかが強く擦らないと、こうはならない。
縫い目が禿げて、中の素材が見えるほどだった。
「ここは昔じいちゃんの練習場やった。時々畳を干すために、広間にはなんも置いてないんや。家具とかは全部蔵に閉まっとる。誰も住んどらんと、カビが生えるんや。せやから、月にいっぺんくらいは空気を入れ替えてやらんと」
なるほど、それでなにも置かれてないのか。
だけど、それにしても広くないか?
修学旅行で、クラスの全員の子が寝泊まりできそうなくらい広い。
入る前に、宴会場の貸切部屋みたいだと思ったけど、本当にそうじゃないか。
びっくりした。
大窓は外の光の全部を吸い込んでくるようで、雪が降っている薄暗い空にも関わらず、家の中が急に明るくなった。
縁側からは、町の向こうまで見渡せた。
天気が良い日は、ここから海が見えるそうだった。
「おかんが海が好きやったのは、ここで育ったからや。岬町は、見ての通り長閑な町やし。なにより、海が綺麗や。神戸に住むようになってから、悩みとか不安があったら、よく海岸線を歩いてた。お前もよく知ってると思うが」
知ってる。
そりゃもう、亮ママは天使みたいな人だったからね。
別の世界の亮ママのことを話そうかと思った。
この世界の亮ママは、もういない。
私にとっては、亮ママはもう「過去」の人だった。
言い方が悪いかもしれないけど、他に表現しようがないし…
タイムリープした先の世界で、まさか、また会えると思わなかったんだ。
男勝りな口調に、変わった雰囲気。
通い慣れた玄関先の扉の奥で、見覚えのあるその顔が、不意に飛び込んできた。
さっと街の中を通り過ぎる、風のように。
「ここで育ったってこと…?」
そんなことはわざわざ聞かなくてもわかる。
そう聞いたのはその答えを知るためじゃない。
初めて来たこの場所で、私が知らない時間が、ここにあるということ。
その中心に亮ママがいたという事実が、なぜか、言いようのない寂しさというか、追いつきそうで追いつかない距離に対するやりきれない気持ちの揺れを、どこかに感じた。
この場所にはもう無いもの、手を伸ばしても触れない距離。
その感覚がどうして心の中に芽生えたのかを、具体的に確かめることはできない。
確かなのは、亮ママが“いない”ということだけ。
この家にも、この世界の、どこにも。
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