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世界と楔
第492話
しおりを挟む「過去」は、及び「時間」とは、「流動性を持つゼリー」のようであると父が諭したのは、こういう意味である。
接着剤が固まっている状態こそが、「現在」であり、時間発展的な固定値=過去までの距離であるという常識が、時間研究を掘り下げていく上で次第に瓦解していくようになった。
そして、それと同時に「時間」を1つの情報ネットワーク上に転移し、1つの確率を永久に静止させようという試みは、神に唾する行為と等しくなっていった。
なぜなら、「時間」は常に流動的であり、その時点ですでに「情報を単一化するという物質的な距離」を、永久に失っていたからである。
人の記憶や意識は、電子プログラム上にデータ化⇄変換し、情報ネットワーク上にアップロードすることが計算上可能であることが示唆される上で、その情報の保存が現在進行形に於いてでのみ可能である点を、父は嫌悪した。
現在進行形でのみ情報が保存される体系など、人間がその肉体を持って生涯を生きていく過程と同次元のものであると蔑み、研究の成果に対する試みの失敗とその限界を、ひどく悲観するようになっていった。
人間の脳に対する研究も同時に並行して行われていったが、その主要な研究室や研究プロセスは、アメリカにある大学の拠点で密かに行われていくようになっていった。
そんな中『ITN』という政府機関が立ち上がり、人間の脳とコンピュータを接続するという「人間の脳のデジタル化」への実験と活動が、水面下で行われていくこととなった。
私はずっと、父の背中を見てきたつもりだ。
だから父の夢が閉ざされそうになったことも知っている。
脳のデジタル化、——すなわち人間の肉体を物質的な世界から切り離すことで、「永遠の命」を彼は手に入れようとした。
なぜ、そのようなことを目指していたのかは、いまだにわからない。
が、この夢を実現する上で、「時間」という1つの要素は、情報と世界を切り離す上での1番の障壁に他ならなかった。
何年にも渡り、父は研究に没頭した。
脳とコンピュータを接続することは実現できる。
しかしそれを時間の外側にまで拡張して、情報を電子化することはできない。
しかしそれでは、人間の生命をデジタルネットワーク上に変換することは部分的にしか行えず、完全な状態で情報を固定することはできない。
固定できないならば、「情報」は時間の中に漂流する物質的な流れにしかなり得ず、絶えずエネルギーを必要とする継続的な「確率流動値=運動方向」を外部から得続けなければならない。
この場合で言う「外部」とは、時間の流れに沿って生まれ続ける世界全体での情報量プロセスとそのエネルギー状態の距離や「総量」であり、現在進行形での「最大情報量プロセス率」そのもののことを指していた。
すなわち外部からの発生エネルギー(日常的に言えば、コンセントから得られるエネルギー)を利用しなければ、情報ネットワーク=量子運動を持続的に活動させることはできず、それに伴う巨大なサーバー管理システムと基幹情報システム(汎用コンピュータ)が物理的に必要なことで、コスト的にも技術的にも「現実世界」に於ける「日常環境=生命活動」の脆弱性に対する産業的な差別化が、ほとんど計れない状況にあった。
『情報には寿命がない』
しかしそれを時間変動率=運動プロセスの外側に出して考えることができなかったために、情報を保存し続けるための持続的なエネルギー問題が、物理的な障壁として立ちはだかるのだった。
「もし仮に、コンピュータ上にて構成されるネットワークが「時間」をも電子化し、エネルギーへと解体できるのならば、人間は宇宙規模にまで拡張したクラウドネットワークに、永久に浮遊し続けることができるのではないか?」
父のノートにはこう記されてあった。
人間の意識や記憶をコンピュータを通じて「世界」に書き込むことで、それをエンコード化し、ホログラフィック的に「情報」と「世界」を統合する。
それはまるで「宇宙」という巨大なデバイスを用いて、1つの電子プログラムを量子的に作成するのとよく似ていて、外部からのエネルギーを必要としない記録化された固有情報を、世界に植え付けようとする試みにも近かった。
ところがその試みをクリアにするためには、ほとんど無限に近いエネルギーを必要としたため、「人間」が「情報」へと変換されるためのリソースは、実質的に存在しないことが明らかになった。
コンピュータ接続を通じて人間の意識を電子ネットワーク上にアップロードすることは可能であったが、そのために必要な外部からのエネルギー(この場合で言えば電力や熱量)は、決して無限ではない。
結局は資源を必要とする環境でしか人間の生命は存続することができず、その寿命が100年から1000年、あるいは10000年に伸びたとしても、「寿命がある」ということに変わりはない。
それは父が目指した理想とは遠くかけ離れており、元々探し求めていた「生命のデジタル化」への理念とは、大きく異なるものであった。
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