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セカンド・キッド
第378話
しおりを挟む【Z2056-08-12 18:02:36】
彼女と私は、元々出会う運命になかった。
世界の「時間」は元々一つであり、複数の時間軸が、同時に存在してはいなかったからだ。
しかし、そのために、世界には「明日」があった。
絶えず変化する空模様のように、たったひとつの「現実」と、その地平面上に連続する時間が。
1995年に世界が分岐して以降、世界に起こり得る「出来事」の確率は、「確率」として、複数の世界線上に分散してしまった。
元々1つだった選択肢は、「複数の現在」の中に離散し、いくらでも後出しジャンケンができる状態になってしまった。
「世界」は嘘をついた。
『クロノクロスネットワーク』とは、言い換えれば、すでに結果が決まった後で、『後出しジャンケンができるネットワーク』だ。
彼女は、そのネットワークの延長線上に生まれた変数、——いわば世界のエラーコードの1つであり、元々1つしかなかったサイコロが、2つになった、「ランダムビット列の破れ」だった。
クロノクロスが稼働して以来、世界は数えきれないほどの世界線を抱えてしまった。
タイムクラッシュの衝撃波によって、「初期世界」の状態ベクトルが破壊され、複数の確率変数となった現実への距離が、曇り空のように空を覆ってしまった。
量子の雲、と表現されたそれは、球状に枝分かれした「拡張現実」となり、
『世界に1つしかなかった確率』
が、ある時点から2つ以上になってしまう「特異点」を生んでしまったのだ。
つまり、タイムクラッシュが発生して以降、「何度でもジャンケンをやり直せる現在への距離」が、ハニカム状に拡大⇄拡張してしまった「時空」こそ、彼女の存在の“根幹“に寄与する量子学的なメカニズムであり、構造だった。
何度でもジャンケンをやり直せる、——つまり1つではなくなった世界=結果は、いくつもの並行世界を持つようになった。
現実は「現在」ではなくなり、過去も、未来も、ましてや「今」という時間でさえも、常に1つの形を持てない不安定な状態に、姿を変えてしまった。
“明日の世界が消えた”
その意味は、今日という時間が、過去と未来の間ではなく、「過去」の中に、滞留してしまうようになったからだ。
人々は自らの脳をモデムとして、未来から過去へのルートを開拓した。
「情報」を存続させることで、時間の中に生き残るひとつの方法を見出した。
それは同時に、未来を捨てるということでもあった。
未来を捨て、過去の中に生きる。
「小惑星が降って来る前の世界」に。
『世界にはもう、“絶対的な”ものは存在しない』
未来の科学者の多くはこう言葉にして、その実情を嘆いていた。
そしてそのほとんどの人たちが、もう取り戻せない「現実」があるということを知り、なす術もなく途方に暮れていた。
本来では存在するはずがない「ストップウォッチのボタン」を押してしまった状態が、世界に蔓延してしまっていたからだ。
『世界は嘘をついた』
こう語られる背景には、クロノクロスネットワークの根本的な構造理念が、その理論的なデジタルネットワークの量子学的体系として、まるでいつでも消しゴムで文字を消せるような「量子性」に、非局所的な場を構成していたからである。
「クロノクロス」とは、「人間の脳を情報ストレージとして拡張し、データを管理するシステム」のことである。
そのシステムを稼働する量子コンピュータは、「人間の脳」を媒介として、世界に保存された量子情報を読み込み、1つの情報回線として通信可能な量子ネットワーク層をコンピュータ上に構築することで、個人の脳の中の「記録」を編集できるインターネットプロトコルを、編成することに成功したのだった。
それは個人間の波動関数を4次元的に通信⇄オンライン化できる「個人情報」と「量子状態」の通信回路のようなものでもあり、量子力学的な観測問題に於ける「A」の固有状態と固有状態のリンクを部分的に切り離し、波動関数の崩壊前の状態をユニタリ行列上に閲覧することに成功した事例でもあった。
「人間の脳」は、私たちが想像している以上に大容量の情報ストレージ領域を持っていた。
その領域は個人の記録を保存しているだけでなく、Aという事象の波動収縮前の「確率の海⇄量子ネットワーク」をも保持していたため、シュレーディンガーの箱の中の猫を箱を開けずに観測することができるように、コンピュータを通じて、人間の脳の中に絶えず重なり合っている事象の量子状態⇄サイコロの目が1にも6にもなれる距離を、現在に対してシームレスに連続できる「通信量(通信領域)⇄データリンク層」として多次元的に展開することができた。
これによって「波動収縮が起こる前の時間」と「起こったあとの時間」を相互接続できる距離を量子レベルにまで引き伸ばし、波動関数に従った空間的広がりを人間の脳の中に同期=リンクすることが可能になったことで、個人レベルでの時間ネットワーク(データ通信領域)を、コンピュータ上で検索⇄アクセスすることができるようになった。
ここで言う「データ通信領域」とは、個人の脳の中にストレージされているデータのことである。
この「データ」は、「個人ファイル」と呼ばれ、個人が記録した全ての時間や距離を1つの複素ベクトル空間上の「量子情報」として読み込むことができたため、脳の中に保存された様々な記録(情報量)に対して、各個人のデータベース上に自由に行き来することができる情報通信回線を繋ぐことができた。
この回線によって接続することができる回路、及び通信圏は、接続した個人元の情報からなる確率的に等価な「オブザーバブル」であり、過去を経由した全ての時間、すなわち個人ファイル(データバンク)上の累積した情報プロセス率、——及びその「範囲」を、1つの確率の中に検索することができるという「通信アクセス網」でもあった。
それは反転可能な量子ネットワークとして局所的に通信することができるという位相領域上の相互互換性を持つ、個人(A)と個人(A)の波動関数上の「時間微分点」、という側面も含んでいる。
『「脳」は人の過去、すなわち自分の「記録」をコンピュータ上にアップロードし、それを1つのデータとしてデジタル的に通信⇄接続することができる「時間」であり、1つの「確率」として、ヒルベルト空間上と連結可能なリーマン面的量子ネットワークを構築するための、メインフレームである』
その言葉の真理にあるものは、人間の脳に保存された「情報」が、永久に静止した時間⇄空間を持たない連続的な確率の臨界点を現在に対して繋げているという部分に対して、持続的に保存可能な線型変換の状態ベクトルがある、ということだった。
この「意味」は、つまり人間が、その1つの情報としての量子状態が、現在に対して連続的に途切れることがない「確率」を維持していることを教えており、1つの確率とその量子回線に於いて複数の事象面を同時に重ね合わせることが、現在と現在の臨界面上に距離を問わず連結し、潜在的に空間を広げ続けることができるとした。
『私たちは現在に対して独立的に存在していない』
父がそう言ったように、「現在」という時間に対して連続できる「過去」や「未来」は常に1つではなく、複数の確率の中に絶えず動き続けている「今」の重ね合わせの中に、99%になり続けている「A」という事象が、「現在」とその「地点」の流動的⇄連続的な前後を生み出し続けていた。
だから、
「枝分かれし、分岐した1つ1つの世界⇄時間」
は、それぞれがそれぞれの独立した方向へとバラバラに進み、およそ99.999999…%という近似値で、並行した多世界線を現在という時点から生み出し続けているのだった。
この「現在」というのは、つまり、クロノクロスネットワークが作動した「時間」、——その実行したシステム上の、限りなく「結果=未来」に近い距離である「現在進行形の時間」が、直線的に連続できる位置を指している。
そしてこの意味で、
「クロノクロスネットワークが作動した現在⇄時間」
に近づく上での情報量プロセス率に際限はなく、時間が進行するにつれて加速度的に膨張している「確率」が、Aという世界とBという世界で互いに並存し、別々の「結果」を生み出し続けている距離を、相対的に広げていた。
広がり、分岐した世界と世界、——つまりAという世界とBという世界は、それがどれだけ似通っていたとしても、全くの別の状態として「並行時間=距離」の中にランダムに分散することになる。
例えば、Aの世界の「私」は、Bの世界の「私」とどれだけ類似した情報=状態を持っていたとしても、それぞれは全くの別の座標点と現在量を持つことになり、「現在」という1つの向きに対して同時に動ける範囲を、「複数の確率」の中にシームレスに連続している相対的な「時間⇄距離」になる。
イメージとしては、同じ写真をコピー機で何枚も複製した場合、それぞれは全く同じように見えても、物質的なユニタリー性は全く異なるものになる(ミクロ単位での紙の材質やインクの物理情報が、時間発展的にも量子的にも100%一致しない)ことと似ている。
「A」と「B」のお互いには「現在」という「時点」からの別々の確率が互いに相関し合い、それぞれがそれぞれの「時間」に於いてサイコロを振れる「距離」が変わることが、現在進行形で変化し続けていた。
その「変動率」は、現在に対して加速度的に膨張していた。
「別の世界の『私』は、“別の人間”であり、互いに干渉し合うことがない時間である」、といったように。
しかし彼女は、——セカンド・キッドとしての特異な性質を持つ彼女は、複数の世界線に干渉することができる特別な“力“を持っていた。
例えるなら、信号機で言うところの青であり、赤であり、黄色。
そのそれぞれの時間と距離を、常に内包している“点”であり、“波“だった。
言い換えれば、本来交わることがないAの世界とBの世界を、“同時に”アクセスすることができた。
まだ、1つの事象に確定していない状態、——つまり、”タイムクラッシュ後に生まれた[時空の歪み=変数]“だったからこそ、分岐した世界線上を自由に行き来することができる、「時間」と「確率」を繋ぐトンネルだった。
複数の世界線を同時に行き来できるというのは、つまり、“特定の時間軸を持たないまま、好きな時間に「確率」を変える⇄サイコロを振り直す”ことができる、という意味だ。
だから、彼女は「世界」を変えることができた。
それはより、”純粋な“意味で。
一度混ざってしまったコーヒー牛乳を、元のコーヒーと牛乳の状態に戻すことができる。
運命を失った世界に生まれた彼女だけが、それを「可能」にできた。
タイムクラッシュ前の、たったひとつの「現実」に存在できない彼女(セカンド・キッド)だけが、事象と事象の壁をすり抜けることができた。
もし、どこかの世界のキミがこのブログを目にしたのなら、心に留めておいてほしい。
キミは光の速度を越えて、99%の向こう側にたどり着ける。
壊れた運命の糸を、結び直すことができるんだ。
かといってこの「言葉」が、キミへの贖罪の言葉になるとは思えないが…
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