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【第5章】失われた時の中で

第287話

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 「楓」


 振り向いた先にいたのは、キーちゃんだった。

 優しい眼差しと、見慣れた顔。

 ショートヘアーの黒髪を靡かせながら、彼女は小さく微笑んでいた。

 彼女の呼びかけに応じた。


 「なに?」


 って、ありのままの声で。


 「楓は運命って信じる?」

 「え?」

 「運命だよ。世界の“決まり”」

 「運命…?…そんなの、…わかんない。…でも」

 「でも?」

 「思うときは時々あるよ?「これは運命なのかな?」って、時々ね」

 「世界は、元々1つだった。「運命」が存在したんだ。もうずっと、昔の話だけど…」

 「…昔?」

 「そう、昔。楓が存在する、——ずっと前」

 「おじさんが変なことを言ってたんだ。私は元々存在してなかったって。本当は存在してないんだって…」

 「楓はどう思うの?」

 「どう…って、…意味がわかんないよ…、そりゃ」

 「だよね」

 「キーちゃんもそう思う?」

 「そうだね…」

 
 太陽の位置は変わらない。

 海岸線沿いの海は僅かな波音を揺らしている。

 けれど、街のどこにも、人はいない。

 鳥もいない。

 嘘のように動きのない街の上を歩きながら、私たちがよく行く砂浜に出た。

 いつもに増して青青しい水平線。

 突き抜ける磯の香り。


 「ここだけの話だけどさ、正直、世界が嘘をついてるなんて、どうでもいいと思ってたんだ」

 「え?」

 「ウソをついていようがいまいが、目の前の景色は変わらないわけだし」

 「『ウソをついてる』って、結局なに?」

 「単純な話だよ。後出しジャンケンをしたんだ」

 「後出し…?」

 「誰かが死ぬっていうのは、——1つの出来事が起こるっていうのは、やり直しが効かない「時間」のはずだった。でも人が、「今」っていう時間の中にしかいないはずの人が、結果が決まったはずのジャンケンを、もう一度やり直してしまったとしたら?」

 「インチキじゃん」

 「そうなんだよ。だから、あんたはインチキなの」

 「私!?」

 「そ(笑)後出しジャンケンで生まれた、変数ってやつ」

 「そんなこと言われても…」

 「困るよね?私もそう思うよ」


 波が届くギリギリの水際まで歩き、つま先が海に触れた時、キーちゃんは空を見上げた。


 「あんたを失うくらいなら、世界はウソをついたままでもいいと思う。翼を無くした鳥も、飛べる空があるなら、いつかきっとまた飛べる時が来る。私は信じてたの。あんたが、運命を変えてくれるんじゃないか?って」

 「運命……?」

 「世界は元々滅ぶ運命だった。ウソがない、——最初の世界は」

 「…それって、…どういう…」

 「——楓、よく聞いて?あんたは希望なんだ。「明日」を連れてきてくれる風であり、翼。限りなく現在に近い”今“、信号を青に変えられる、——唯一の…」


 波音が次第に高くなった。

 ザザァァ…という飛沫が耳の中を覆い隠そうとする。

 時間は速く、それでいてゆったりと流れていく。

 水面に反射する光の粒子が、「刹那」に触れて煌めくように。


 夏の日差しに融けるセミ。

 立ち上がるアスファルトの熱気。

 涼やかな街の路地の裏側の風を、風鈴が攫う。

 回転する時計の針。

 加速する1秒。

 「今」がいつかもわからなくなるほど、圧縮された時間の先で、引き伸ばされていく「影」を見た。

 「自分」という存在そのものが消えてしまうかのような、歪んだ線と輪郭を。
 
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