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風の岬
第62話
しおりを挟む「母さんがおらんからって、「おらん」言うのはどうかと思うで」
「なにがや」
「なにがって、そりゃ、あんたはよぉわかっとるやろ」
大事なものは、心の中にあるってこと。
いつも言ってたじゃないか。
相手の太刀筋は、目で追うものじゃないって。
足の捌き方、呼吸、目線の高さ、竹刀の位置、そういうものが全部合わさって、剣が“生きるか死ぬか”のラインが決まるって。
決して、目に追えるものが、剣の「スピード」よりも先に動くことはできないって。
だから亮平の母さんが死ぬ間際、あんたの手を握り、「しっかり生きんさい」って、目を見て言ってくれたんじゃないのか?
「あんた言ってたやん。人が生きれるんは、その「タイミング」は、剣道と同じやって。だから母さんの「命」を繋ぐために、剣を握り、相手が動くよりも先に、一歩前に足を踏み出さなあかんのやって」
亮平は、黙ったままだった。
亮平の辛さは私にはわからない。
わからないけど、黙って見てるわけにはいかなかった。
なんときゃしなきゃって思えたのは、亮平が、私よりもずっと大きな目標に向かって、頑張っていたからだ。
日常の中をのうのうと生きてる私なんかには、到底及びもしないほどの巨大な力というか、魂の“鋭さ”みたいなものを、竹刀を振ってきたその姿の中に持っていたから。
次第に亮平は剣道をサボるようになってしまった。
そのせいで、家に帰って父親に厳しいことを言われる日が、しばらく続いたのかもしれない。
あの“クソ親父”は、今ではあの家にはいないが、自分の息子に振るっていた「暴力」について、後悔していると言っていた。
婆ちゃんから話を聞いた事がある。
亮平に暴力を振るうのは、愛情の裏返しなんかじゃない。
かといって、ただの「暴力」でもない。
酒に溺れ、ギャンブルにそそのかされながらも、最愛の妻を亡くすかもしれないという恐怖から逃げていた、ある種の自己コントロールの欠落が招いた「事故」だったって。
いつか、精神科の医者から診断されたそうだ。
「亮平を強くしなきゃあかん」という思いばかりが募り、それが暴力にまでエスカレートしていったのは、そうすることで、自分の弱さを隠そうとしていたのだと。
亮平が父親の暴力を受け始めたのは、小学4年生の後半頃からだ。
この頃、亮平ママに癌が見つかり、少しずつ平和な日々が崩壊していった。
最初は、「家族全員で力を合わせて頑張ろう!」というような団結力が、父親を介してあったそうだが、亮平ママが入院して、抗がん剤治療が始まった頃から、亮平へのスパルタ的な教育が始まった。
亮平は、自分が父親から暴力を受けているなど、母親には言わなかった。
父親の方は、亮平を強くすることで、妻を安心させてあげたいという思いがあったのかもしれない。
息子に加えている「暴力」がダメなことくらいは本人もわかっていたはずだった。
だから、酒に走って逃げたり、禁制にしていたギャンブルにまた手を出したりと、精神的に不安定になっていったのだと推測されてる。
負のスパイラルが日に日に広がる中、それでも、亮平が結果を出し続けたことで、「自分がやっている事が正しい」と錯覚に陥り、手がつけられなくなってしまっていた。
それに見かねた婆ちゃんが、ある夜に警察を呼び、一時はその周辺が騒然となる日があった。
警察を呼んだ後、すぐに家庭内裁判を起こすことになった。
裁判は難航したそうだが、父親側が全てを認めたため、亮平の親権を婆ちゃんが獲得して今に至ることになった。
婆ちゃんからすれば、亮平の父親は自分の「息子」だったのだから、きつい言葉を使うのは心苦しい部分が絶対にあったはずだった。
それでも亮平のために、息子にハッキリと「私が面倒を見る」と言い、「精神科に通って療養しんさい」と、反省を促したのだそうだ。
それから亮平の父親は病院に通い詰めることになった。
今はどこかで、一人で暮らしているのだそうだ。
一応まだ、神戸の市内にはいるらしい。
時々会うこともあると、亮平から聞いていた。
会うと言っても、以前のようにとはいかないみたいだったけど。
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