雨上がりに僕らは駆けていく Part1

平木明日香

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風の岬

第59話

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 病室のドアを開けると、白いベットに覆い被さるように、亮平が膝をついて泣いていた。

 私たちが来たことには気が付いていないみたいだった。

 ベットの上には、人工呼吸器を繋がれて仰向けになっている亮平のお母さんがいた。

 いや、それを認識するまでには少し時間がかかった。

 亮平がそこにいなければ、部屋を間違えてしまったかと思うほど、顔が痩せこけていたからだ。


 「…亮平?」


 その声に反応して振り向いた亮平の顔は、真っ赤に染まっていた。

 目は充血して涙の跡は乾いていない。

 私たちに気づいて急いで手で顔を拭いていたけど、いつからそこにいて、いつから泣いていたのかはわからない。


 「どしたん、お前ら」


 私は何も言えなかった。

 それはもちろん、アキラもだった。

 振り向いた亮平に対してなんの声もかけられなかったのは、きっと、私が子供だったからだとも思う。

 亮平がどうして泣いているのか、その理由を目の当たりにしても、足がすくんで進まない。

 ずっとそばにいて、癌になった母親に寄り添ってきた亮平だからこそわかる、涙の理由ワケ

 私が到底踏み入れてはいけない領域だった。

 いや、踏み入れてはいけない「領域」なんて、本当は存在しないかもしれない。

 ただ、ここに来る身として、あまりにも場違いだったってこと。

 決して軽はずみな気持ちで来てはいけないこと、それを思い知った。

 小6の春に見た亮平のお母さんの面影は、もうそこには無かった。

 意識はなく、昏睡状態が続いていた。

 チョコレートなんて食べれるわけないじゃないか。

 胃癌が人に与える影響が、どういうものか。

 頬の骨がくっきり見えるほど痩せるってことが、どういうことか。

 想像することさえできてなかった。


 「学校に来てなかったから、ちょっと様子を見に来たんよ。綺音も来る予定だったんやけど、塾があったから私たちだけ」


 喋れないでいる私の横でアキラが返答した。

 アキラはアキラで動揺している様子だったが、なにか喋らなければと思ったんだろう。

 亮平は、やっぱり男の子だから、泣いている姿を誰かに見られるのは恥ずかしいみたいだった。


 「用がないなら帰れ」


 そりゃそうだ。

 その言葉は真っ当すぎる。

 少なくとも今の私にはピッタリの言葉だ。

 この空間は、亮平と、お母さんの空間であって…


 「皆心配してるよ?」


 アキラは亮平のことを心配してた。

 だからあえて「皆」という言葉を使ってでも、亮平の心をおもんばかった。

 亮平はそんな言葉に対してなにか返事をするわけでもなく、ベットにうずくまったままになってしまった。


 中学一年生の年頃でもわかる。

 目の前で横たわっている現実が、どんな「状況」か。

 元気になれなんて言うのは不可能だし、泣くなとも言えない。

 私たちは亮平に対してどんな言葉も使えない状況にいた。

 そもそも、ここに来ること自体間違いだった。

 顔を出せば、「楓ちゃん」って呼んでくれる亮平ママの声が聞こえる気がしてた。

 でもそんなのは、思い違いでしかなかった。


 ベットに飾られた一枚の写真。

 亮平が大会で優勝した時のトロフィー。

 亮平はいつも、お母さんのために頑張ってた。

 お母さんは、亮平のために元気になろうとしてた。

 当たり前の日常が当たり前のように来ること。

 そんな軽やかな足取りがこの「716」の部屋の中にあることを、私は想像するべきじゃなかった。


 これは、あとから聞いた話だが、亮平が読んでいた「ねこパンチ」は、亮平ママが猫好きな亮平のために買っていたものだ。

 病院の一階にある売店に、不定期で入荷する単行本や雑誌たち。

 表紙が日焼けしてボロボロになるほど、愛読していた「16巻」は、私には不可解な数字だった。

 なんで最初から読まないんだろうって思っていたが、それはその単行本が、売店で売られていた最初の「巻」だったからだ。
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