英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

坂合奏

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Episode01:You should marry with him

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 静まり返ったオフィスに、一人の男が入ってきた。

 とっくに帰ったと思っていたはずの、ジャン・ブラウンが険しい表情を浮かべて席についている。

 あの冷酷上司も終わらない仕事があるのだろうか。

 チラチラと盗み見ていると「こちらを見ている暇があったら、さっさと手を動かしたらどうですか?」と辛辣な言葉が投げかけられる。

「す、すみません」

「私もこの後、あなたと同じ用事が入っています。あなたの終了時間によって、私のスケジュールも大きく変わることを認識していただきたいですね。先方には遅れると伝えておきますが」

 そう言って、ジャンはスマートフォンを片手にオフィスを出て行ってしまった。

「うう……。嫌味なやつめ。国へ帰れ……」
 
 キーボードを動かす手を速めながら、萌衣は小さな声で毒づいた。

 そもそも、用事があるなら先に帰ればいいものを、わざわざ萌衣が帰るまで待っているなどプレッシャーでしかない。

 一分一秒でも早く仕事を終えないと、冷酷上司に何を言われるか分かったものではないと行動した結果、普段だったら一時間はかかる書類を、二十分そこそこで仕上ることができた。

「お待たせしまして大変申し訳ありません。お先に失礼いたします!」

 荷物をまとめて、慌ててオフィスを出ようとすると「ミス、シミズ」と背後から声をかけられた。
 
 何かミスでもしていたのだろうかと、慌てて振り返るとジャンも帰る支度を始めていた。

「私も一緒にここを出た方がいいだろう」

 一緒に帰ったことなど、一度もないのだが、気でも触れたのだろうか。

 急に訳の分からないことを言い始めた上司に困惑したまま、萌衣は一緒に職場を出る。

「君のお祖母様には、先に店に入っていただいている」

 まさか、いや、まさかのまさかだ。

 胸騒ぎがする。

 嘘だと言ってくれ。

 困惑している表情を隠しきれていなかったらしい。

「何も聞いていないのか?」

 怪訝そうな表情を隠そうともせず、ジャンは萌衣に尋ねた。

「何もとは……」

「何も聞いていないんだな」

 まさか、この氷のような上司が、婚約者候補というやつなのだろうか。

 恐る恐るジャンの顔を見るが、萌衣は自分が横にいるイギリス人と夫婦生活を営むことなど不可能な気がした。

 萌衣の中では、ジャンとの相性に関して夫婦、上司部下に限らず、人間としての相性も最低の位置にいると自覚している。

 きっとジャンは、見合いの相手の知り合いか何かなのかもしれない。

 知り合いでも充分厄介な状況なのだけれども。


 
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