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番外編(宮迫一花)

4 一花の葛藤

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 七緒が半ば無理やり開いた、一花のノート。
 そこには、白い罫線に沿って、七つのアルファベットが並んでいた。

・・・・・・・・・・・・・・・

 M F W ② M S D

・・・・・・・・・・・・・・・

 この落書きに気がついたのは、半月前。フードコートで傑と別れ、家に帰ってノートを開いた時だった。

「これ、解いたの?」

 七緒に問われ、一花は首を横にふった。

 あの日、傑は「自分には好きな子がいる」と言った。好きだと告げて、返事を待っているのだ、と。

 そのことを思い出すたび、一花は何も考える気力がなくなった。傑が書いたのであろう問題なんてこんなもの、解きたくもなかった。

 本郷圭太の影響か、七緒は一花のノートを自分の方に引き寄せて、「うーん」と唸りながら、じっと見つめている。

「圭太に聞いてみようか?」

 七緒が周囲を憚って、小声で尋ねてきたが、一花は、それを断った。

「別に、いい」

 多分、本郷に聞けば、あっという間に解くだろう。でもーーー

 七緒が何か言いたげに、こちらを見ていたけど、一花は、その視線に気付かないふりをした。

 すると、折り悪く、本郷がやって来た。

「水無、今日、一緒に帰れる?」 

「この後、図書室に寄るつもり。遅くなるかもしれないなら、先に帰ってていいけど……」 
「いや、待ってる」

 七緒が、「えっ?!悪いよ……」と、顔を曇らせた。 

「どうせ明日、会うんだから、無理しなくても……寒いし、風引いちゃうよ?明日は、おばさん、ケーキ用意してくれてるんでしょ?」

 そういえば、明日はクリスマス・イブ。
 二人は、もともと家族ぐるみの付き合いだったというから、七緒が圭太の家に遊びにでも行くのだろう。 

 クリスマス・イブーーー 傑のことを思い出して、一花の心がチクンと傷んだ。

「明日会うからって、今日一緒に帰っちゃダメってわけじゃないだろ?」

 本郷は、少し拗ねているみたいだ。

 七緒の愛情が薄いわけではないと思うけど、彼女は、あまりそういう気持ちを人前で前面に出したりはしない。
 一方で、本郷から七緒への気持ちは、いつも素直で率直だった。

 でも二人は、ちゃんと仲が良くて、噛み合っている。

 友人の幸せは嬉しいけれど、今の一花には、少しだけ目に毒だ。

 すると、本郷が七緒の手にしたノートに気づいた。

「………T?」
「え?何?」
「いや……だから、この答えが」

 七緒がノートを大きく開く。そこに書かれた問題を本郷が指さした。

「圭太、解けたの?」
「まぁ……多分?」

 本郷が、「ちょっと貸して」と、七緒の手からノートを取って、パラパラと捲る。

 すると、突然、眉根を寄せて、

「これ、誰から誰に?」
「え?」

 唇をへの字に曲げ、やや不機嫌そうな低い声で、七緒に尋ねた。

「もしかして、七緒に向けたものじゃないよな?」
「あ、違う、違う。一花!書いたのは、草間先輩」
「……へ?」

 七緒は、思わず口を滑らせたとばかりに、一花に向けて首を竦めた。
 一方で、本郷は、鳩が豆鉄砲くらったような間抜けな顔をしている。
 かと思えば、すぐに、にやりと笑った。

「なに?どうしたの?」

 怪訝な目を向ける七緒に、圭太は

「なんでもない」

 ノートを七緒に返しすと、ぽんと肩を叩いて、

「やっぱり、今日、一緒に帰ろう?いつもの公園で待ってるわ」

 そう言うと、七緒の返事も聞かずに、離れていった。


 その日の午後、帰宅した一花は、母とともにショッピングモールを訪れた。

 いつも傑と会うフードコートで、うどんを食べた後、輸入食品のお店を見たいという母に着いて、一階にやって来た一花は、大きなクリスマスツリーの麓に、見慣れた顔を見つけた。

 紺色の学ランの上にダッフルコートを羽織った草間傑。
 高校の終業式は明日だったはず。この時間に、ここにいるということは、今日は学校が早く終わったのだろう。

 傑は、右手にピンク色のエコバッグ、左手に文庫本を広げて、立ったまま読んでいた。

 どうしよう。声をかけようか。
 でも、お母さんもいるし、待ち合わせをしているようだし。
 いや、中学の先輩なんだから、別に声をかけても変じゃないかな………?

 一花が迷っていると、傑が突然、何かに気づいたように、本から顔を上げた。気安い挨拶を交わすみたいに片手を挙げる。

 残念ながら、視線の先は、一花じゃない。

 一花の立っている位置より、やや左手。
 傑の送った挨拶の先には、茶色がった髪に、くるんと毛先をカールさせて左右に垂らした女の子が歩いてきていた。
 見覚えのある制服。一花が来年の春に着たいと思っていた服。随分とスカートが短くアレンジされているけれど。
 女の子の首周りには、茶色いチェック柄のマフラー。

 傑は本を鞄にしまい、その女の子に近づくと、さっと手を伸ばした。女の子の持っていた派手なオレンジ色の紙袋を、ごく自然に手から受け取る。

 片手が空いた女の子が、戯れたように小さなパンチを繰り出した。それを傑がやや面倒くさそうに交わして、歩いていく。

 一花はその背を見ながら、やるせない気持ちになった。

 華やかな見た目。
 キラキラしていて、派手で……傑には合わない。なんて思ってるのは、嫉妬だって自覚している。

 違う世界を見せてくれる人かなーーーそう言って、少しだけ目の下を赤くした傑の顔が浮かぶ。

 確かに、傑とは全然違うタイプ。
 一花とも。

 明日は、クリスマス・イブだ。
 傑は告白の返事を待っているって言ってたけど、こんな日に2人で買い物に来ているってことは、きっと、うまくいったんだ。

「うまく……いったんだね………」

 一花は、くるりと踵を返すと、コートの袖でグッと瞳の下を拭った。二人が歩いて行ったのとは、反対方向へと足を踏み出した。


 それから年末までの数日は、落ち込んでいる暇もないくらい、あっという間に過ぎた。

 塾の冬期講習が始まり、それが終わったと思えば、世間はすでに年末モード。

 本心をいうと、一花は、あの日以来、第一志望へのモチベーションが下がっていた。

 別に、それだけで選んだワケじゃない。でも、傑の存在が、自分の実力に比べて、ちょっとだけ挑戦的な学校を選んだ一花のヤル気を引き出す大きな要因だったことには、違いないのだ。

 傑からは、二度程、携帯にメッセージが届いた。勉強は順調か問うような、当たり障りのない内容で、だから一花も、「頑張ってます」と、短い答えを返した。

 そんなふうに過ごしているうちに、いよいよ、今年最後の日になった。

 傑からメッセージが届いたのは、昼ご飯を食べ終えて、何かのドラマの再放送を見ていたときだった。

 送信者を確認せずに、何気なくタップした一花は、ドクンと胸が掴まれた。

『もし明日か明後日、空いている時間があれば、初詣に行かないか?難しければ、3日でも』

 頭に浮かぶのは、「どうして?」という疑問。
 だって先輩は、好きな女の子とうまくいったはずじゃない。

 一花は、一緒にテレビを見ている家族に、動揺を悟られないようにしながら、膝下でススっと返事を打った。

『すみません。元旦は親戚と集まります。2日は、七緒と会います』

 3日は……何もないけど、あえて言及しないで返した。

 送ったのメッセージは、すぐに既読がついた。

 けれど、返事が返ってきたのは、夜になってからだった。

『分かった』

 紅白歌合戦も中盤に差し掛かる頃の短い返事。
 後を追うように、立て続けにもう一通やってきた。

『良いお年を』

 先輩は、どうして自分を初詣に誘ったのだろう。
 受験を控えた後輩を激励するつもりなのか、それとも何か大事な話があるのか。

 もし、何か話があったのならーーーでも、もう傑からの返事は来ている。今更、聞き返すことなんて………

『良いお年を』

 画面に浮かぶ電子的な5 文字をしばらく見つめていたが、やがて、一花は、画面上に置いた指を滑らせた。

『はい。草間先輩も、良いお年を』

 深呼吸を一つすると、携帯を自分の部屋に置きに行くために席を立った。

 こんなにもモヤモヤとした年越しは初めてだ。
 こんな気持は、今年のうちに断ち切らないと。

 年末らしい賑やかな番組に盛り上がる家族たちを見つめながら、一花は、密やかに心に言い聞かせた。


 翌日の元日は、傑に返事をした通り、親族の集まりがあった。

 そして2日は、七緒と一緒に近所の神社に初詣。毎年の恒例行事だ。

 別に気合の入った着物なんて、着やしない。いつものコートに身を包み、マフラーを巻いた一花は、鳥居の近くで、似たような格好をした七緒と待ち合わせした。

 目が合うなり、頭を下げた。

「あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」

 重なり合う声。顔を上げて、フフと笑う。

「行こっか」
「うん」

 鳥居の前で一礼して潜る。
 昨日ほどではないのだろうが、2日の神社も十分混んでいる。

 年末年始のテレビのことや、冬休みの宿題の進捗状況、冬期講習の話をしながら、参拝の列に並んだ。順番が来たら、二礼二拍手一礼。

 一花は、心の中で、受験の成功を祈り、次の人に譲った。

「おみくじ、ひいてく?」

 どちらともなくそう言うと、甘酒を振る舞っている横を通り抜け、おみくじ売り場に向かった。

 小さな木箱に100円玉をカシャンと落とすと、隣の箱に手を突っ込んだ。
 この神社のおみくじは、くじ引き方式なのだ。
 手をぐるぐると搔き回し、慎重に吟味して、一枚取った。

「あ、大吉だわ!」

 先に開いた七緒が、嬉しそうに言った。

「ほら」

 こちらに見せてくれたので、七緒の手元を覗き込む。

「ホントだ!幸先いいね」

 おみくじには、大きな文字で『大吉』。「学問」も「恋愛」も良いことばかりが並んでる。

「いいなぁ。全部、順調ってことじゃん!」
「うん。これに胡座をかかないで、ちゃんと精進しないとね」

 本郷は、私立の男子校が第一志望だと言っていたから、希望が叶えば、二人は春から離れることになる。
 寂しくないはずはないけれど、不安はないみたいだ。

「相変わらず、真面目だなぁ。本郷もナナちゃんの、そういうとこが好きなんでしょうネ」

 冷やかすように言うと、照れた七緒が言い返した。

「何言ってるのよ。そういう一花こそ……」

 一花は、自分のおみくじを開きながら、「ん?」と、首を傾げる。

「私が、なに?」
「返事したの?」
「返事って……?」

 目に『末吉』という文字が飛び込むのと、耳に「草間先輩」という固有名詞が届いたのは、ほぼ同時だった。

「え?」

 反射的に顔を上げた視線の先には、いつもと同じダッフルコートを纏った草間傑。

「先輩も初詣かな?」

 傑は皆がおみくじを結んでいるところから少し離れた場所で、仏頂面のまま腕を組んで立っていた。

「一花、声かけてみる?」

 七緒に聞かれたが、一花は躊躇った。
 ちょうどその時、傑の元に、女の子が近寄ってきた。

 セミロングの黒い髪。傑に向かって、微笑みながら手を挙げる。
 この前、フードコートで会った人。名は確か………三井サン。

 三井の頬が、少し赤らんでいるのは、寒さのせいだけじゃないだろう。

「なんで?この前の人と違うじゃん……」

 終業式の日に同じショッピングセンターで見た女性は、もっと明るい髪色で、派手だった。
 クリスマスツリーの下で会って、荷物を持ってあげていたじゃない。

 ううん。
 一花にとっては、どっちの人だって関係ない。
 もう、関係ないの。

「一花?」

「あ、ごめん。なんでもないの」

 その瞬間、傑がグルンと、こちらを振り向いた。
 ひょっとしたら、七緒が一花を呼ぶ声が聞こえたのかもしれない。

 傑がこちらに向かってくる。
 反射的に、一花は、反対方向へと駆け出した。

「一花?」
「宮迫、待って!」

 呼び止める七緒と傑の声。
 一花は、振り返らずに足を早めた。
 しかし、すぐに追いついてきた傑に、腕を掴まれた。

「待ってってば!!」

 ハァハァという荒い息遣いに、口から漏れる白い蒸気。

「なんで逃げるの?」
「別に逃げてなんて……先輩こそ、何か用ですか?」
「会って、話がしたかった」

 ちょうど七緒が追いついてきて、

「一花! どうしたの?急に走って……」

 傑がため息をついて、頭をくしゃりとかいた。

「話がしたい。先に神社の……鳥居の外で待っててくれる?出店の出てるところ。友だちに一言断ってから、すぐに追いかけるから」

「なんで?別に、話なんて……」
「僕がある」

 傑はピシャリと言うと、今度は七緒に頼んだ。

「悪いけど、宮迫が帰らないように、一緒に待っていてほしい」

 七緒が、「分かりました」と頷いて、一花のコートの袖を掴んだ。

「ね、行こう?」

 七緒に引っ張られるようにして歩き出した。

 鳥居の外は、たこ焼きやりんご飴の屋台が並んでいて、参拝に来た人たちで賑わっていた。

 ちょうど近くのベンチが空いたから座ると、すぐに傑が来た。

「ごめん。待たせた」
「話って何ですか?」

 可愛くない言い方だった、という自覚はある。
 でも、気持ちをうまくコントロールできない。

「私なんか、追いかけて来ていいんですか?一緒にいた人、彼女じゃ……」
「彼女じゃないけど?」

 いつも物静かな傑に不似合いの、尖った口調。

「高校の友だちで、家が近い人間で集まって初詣に来ただけ。っていうか、僕、宮迫に言ったよね?好きな子いるって」

 メガネの奥の瞳が冷たい。
 その瞳に囚われた一花の肺が、冷えた空気で満たされる。身体が重たく感じた。

「知って……ますよ……」

 口から出る言葉が錘をつけたみたいに重たく感じられた。

 その重い空気を打ち払うように、七緒が声を上げた。

「あ……あの……」

 七緒が二人の間に立って、一花と傑の顔を交互に並べた。

「口を挟んでスミマセン。でも、草間先輩……一花に全然伝わってませんよ?あの、ちゃんと説明しないと……」

 傑は、七緒の言葉にため息をついて、頷いた。

「分かってる。さすがに僕も気づいた」

 いつもみたいに、メガネの両端を右手でくいっと押し上げる。

 傑には、何度も勉強を教えてもらった。
 一花は決して出来がいい生徒ではなかったけれど、何度同じことを尋ねても、傑が嫌な顔をしたことはない。
 
 傑のこんな物わかりの悪い人間にするような不機嫌な表情は、知らない。見たことがない。

 一花は、怖かった。
 何か自分が恐ろしい失敗をしてしまったみたいで。

「あのさ、宮迫?」

 傑が、重々しく口を開いた。
 一花がキュッと肩を竦める。

「僕、告白したんだけど?」
「………………………え?」

 突然、何の話を始めたのか。

 傑が好きな子に告白したというのは、前にも聞いた。にも関わらず、一花にしたい話とは一体……ーー?

「あ……あの、なんの話を……?」

 続く一言が、あまりにも衝撃的だったので、一花の頭の中は真っ白になった。

「だから僕、宮迫に好きだって伝えたんだけど?」

「………………はい?」
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