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番外編(宮迫一花)

2 答え合わせ

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 七緒の机に広げたノートを見ていると、真上から本郷圭太の呟きが聞こえた。

「あぁ、そういうことか」

 ノートを一緒に覗き込んでいた一花と七緒は、同時に頭をあげた。

「え? どういうこと?」

 尋ねたのは、七緒。
 二人が頭を突き合わせて見ていたのは、昨晩、発見した一花のノートの落書きだ。
 驚いた一花は、おそるおそる尋ねた。

「え? 本郷……まさか、この一瞬で解いちゃったの……?」

「うん。そんなに変化球な問題じゃないしね」

 圭太は、傑が書いたのであろう問題文を、人差し指でコツコツと叩いた。

・・・・・・・・・・・・ ・・・

 稲妻    ↔ まず無い
 エクレア  ↔ あれ食え
 軽い鰐   ↔ 庭いるか
 イカすダンス ↔ ①◯◯◯◯◯ 

・・・・・・・・・・・・・・・

「この文章。矢印を飛ばして、一行丸っと、口に出して読んでみなよ。上から順に」

「一行まるっと……?」

 七緒が言われたとおりに読みあげる。

「稲妻まず無い、イナズマまずない、いなずま……あぁ、そういうことね!」

 パッと目を見開いた七緒の顔を見て、圭太が嬉しそうに目を細めた。

 謎解き好きの本郷圭太は、人が閃き、驚く姿が好きらしい。まぁ、変わり者の類だよね。

 七緒がやや興奮した様子で、

「つまり、続けて読むと、回文になっているのね?」
「そう。右の言葉は、左の言葉を反対から読んだものだ」

 さすが本郷。
 昨夜、一花が20 分ほどウンウン唸って、ようやく閃いたものを、本郷ときたら、あっという間に解きやがる。

 七緒が一文字、一文字をなぞる様に、

「そうすると、『イカすダンス』の反対は………す、ん、だ、す、か、い?」

 口に出してから、首を捻る七緒。
 それで、一花も身を乗り出して、

「うん。そこまではね、私もわかったの」

 回文になっていること、だから、この丸が『すんだすかい』であることも、判読した。でも……

「これって、何だと思う?」

 一花が、ノートの余白にシャーペンでカリカリと書きつけた。

「昨日からずっと考えてたんだけど、結局、これが、一体何のことだか分からなくてさぁ……」

 ・すんだす会
 ・住んだすかい!
 ・寸だす貝

「私としては、『すんだす会』かなと思ったんだけど……でも、これって何って感じなんだよね」

 解き方は分かったけど、導き出した答えの意味が分からない。
 なんのために、傑がこんな物を書いたのかも。
 いや、物知りな傑のことだ。ひょっとしたら一花の知らない『すんだす会』が、あるのかもしれない。

「それに、この①っていうのも、よく分からなくて……」

 一花は、解答の一番頭の丸で囲った数字①を指した。

「普通、こういうときって、②とか③があるよね?」

 すると、七緒が「うーん」と、首を傾げた。

「これって、草間先輩が書いたって言ってたよね?」

 本郷を憚ってか、七緒が口元を手のひらで覆って、小声で尋ねた。一花が控えめに頷くと、

「それなら……『すんだすかい』は、こうじゃないかな?」

 一花の書いた『すんだす会』の横に、七緒がシャーペンで、サラサラと『澄んだSky』と書き足した。

「澄んだ……Sky?」
「うん。澄んだ空。詩的でしょ?」

 言われてみれば、確かにそうかも。

 あの涼やかな目元の草間に、清涼な空気を含んだ澄んだ空は、よく似合う。少なくとも、『すんだす会』よりは……

「あぁ、なるほど」

 そうかも、と呟いた一花に、七緒が、

「直接、聞いてみれば?」
「え……?」

 七緒は深い意図があったわけではないかもしれない。での提案に、つい一花は動揺した。
 一花の傑への想いは誰にもーーー七緒にさえ、話していないから。

「本、貸したんでしょ? 次は、いつ会うの?」
「う、うーんと……約束は特に……」

 いつも、次の約束はしていない。
 傑が本を読み終わった頃に、向こうから連絡が来る。

「じゃあ、連絡してみたら?」
「えッ?!」

 なんとなく、次に会う日は、傑から連絡が来るのが慣例のようになっていた。

「だって急に、こんなこと書かれたら、気になるに決まっているじゃない。それなら、本人に聞いてみるのが一番でしょ?」

「そっか……そう、だよね」

 七緒の言葉に、一花は少し励まされた。


◇  ◇  ◇

 翌週の週末、一花は、先日と同じショッピングモールのフードコートで、傑と待ち合わせをした。

 12月に入ったせいで、ショッピングモールは、クリスマス色が急速に濃くなった。立ち並ぶお店はどこも、赤や緑、金色の飾りつけばかりだし、建物中はクリスマスソングがループしている。

 2階のフードコートからも、吹き抜けに聳え立つ、大きなクリスマスツリーの頭が見えている。

 お昼にしては少し遅めの時間だから、モール内の人の多さの割に、フードコートには空席が目立っていた。

「ごめん、お待たせ」

 一花の待つ席に現れた傑は、ファーストフード店のロゴが入ったジュースのカップを机に置くと、マフラーとダッフルコートを脱いだ。
 いつものように、一花の向かいに腰掛ける。

「先輩、お昼はまだですか?」
「午前中、ちょっと用事があって学校に行っていたから、途中で友だちと食べてきた」
「え? 今日、学校ですか?」

 今日は、土曜日だ。一花から連絡して、この日を提案したのだけれど……

「あの……すみません。もしかして、この後、友だちと遊ぶ予定でした?」

 自分のために予定を切り上げたのだとしたら、申し訳ない。

「大丈夫。普通に解散の流れだったから。それと、これ返す」

 傑がリュックから取り出して、テーブルに置いたのは、先日、一花が貸したファッションブランドの紙袋。
 中には本が入っている。

「もう全部読んだんですか?!」
「うん。読んだ」

 今日は、一花の方から、会えないかと連絡をとった。
 いつも会うペースより少し早いから、きっと、貸した本は、まだ読み終わっていないたろうと思ったのに……

「それで?受験生さんは、勉強順調?」

 ジュースのカップを奥に避けると、腕を組んだ傑が、身を乗り出してきた。

「う………」

 一花は、わざとらしく目を逸らす。

「その質問は、ちょっと……答えづらいというか……」
「ちょっと……じゃないでしょ。年明けたら、あっという間に本番だよ」

 一年前は、同じ様に暗い顔をしていたはずの傑が、憎らしいほどに飄々と言う。

「先輩はいいですよね。受験のプレッシャーもなく、本だって読みたい放題で」
「僕も一年前は同じ状況だったよ。知ってるでしょ?」

 傑は、一花のノートに視線を落として、

「どれ? 躓いてる問題は。見せて?」

 傑が身を乗り出したせいで、突然縮んだ距離の近さに、嬉しくて、戸惑う。

 そんな一花の気など知る由もなく、傑は、いつもと変わらぬ様子で、テキストを見て、間違っているところを次々、指摘してくる。
 その数たるや……

「私……やっぱり無理かも。全然、受かりそうな気がしません……」

 暗澹たる気分で弱音を吐く一花に、傑は、人差し指で軽くメガネを押し上げて、呆れ声で励ました。

「しっかりしてよ。また、水無と一緒に僕の後輩になるんでしょ?」
「どうせナナちゃんは、大丈夫ですよぅ……」

 一花が唇を尖らせると、傑が、

「僕は、宮迫も大丈夫だって、信じてるけど?」

 本当に、なんの疑いも、躊躇いもなく告げる。悄気た目で見あげる一花に、

「だって宮迫って、こうと決めた時の馬力?踏ん張り?結構、すごいじゃん。図書委員のときも、先生たち捻じ伏せて、自分好みの本を入れてもらったし」

 何かを思い出したのか、眼鏡越しの瞳が微笑んだ。

「それに散々、嫌だの、向いてないだの、キャラじゃないだの文句言ってた図書委員長も、結局、ちゃんとやってるでしょ?」

「そ……れは、やらないと他の皆が困るから……」

「文句言ってたのは最初だけで、僕にあれこれ聞いてくるほど、熱心な委員長ぶりだったじゃん」

 表面的にはそう見えるかもしれないけれど、一花としては、単に傑と話す話題が欲しかっただけだ。必ずしも聞かなきゃいけないワケじゃなかったというか……
 でも、そんなことを言うわけにはいかないし。

「そもそも、女の子相手に『馬力』って、褒め言葉のつもりですか?」

 誤魔化すように反論すると、

「え?褒め言葉でしょ? 違うの?」

 傑が、不思議そうに小首を傾げた。
 そんな仕草一つまで、一花の心をキュッと掴むから、困ったものだ。

「……もういいです。さっさと続きを教えてください」

 そもそも、今日、会ったのは、勉強を教えてもらうためじゃない。
 例の謎の落書きについて聞くために、会う約束を取り付けた。

 この話題をさっさと終わらせようと、慌ててノートを捲ると、ちょうど、例の問題が書かれたページが顕になった。

 その瞬間ーーー

「くく……」

 驚いて顔を上げると、傑が手を口元に添えて、笑いを噛み殺している。

「……先輩?」

 一花が声を掛けると、傑は耐えきれない様子で、「アハハ」と声を上げた。

「いや、ごめん。だって、これ」

 傑の字で書かれた問題の脇。一花と七緒がアレコレ書いたのを指さして、

「答えは、この『澄んだSky』のつもりだったんだけどさ、それより、これ……ナニ?」

 傑の人差し指の先には、

「『すんだす会』って、どんな会なの?」
「あっ!?ちが……!コレはナナちゃんが……」
「いやいや、どう見ても宮迫の字でしょ」

 咄嗟に言い繕おうとしたが、間髪入れずに突っ込まれては、返す言葉もない。
 傑は、何かのツボに入ったみたいで、笑い続けている。

「そんなに笑わなくたっていいじゃないですか……」

 不貞腐れた一花は、

「そもそも、これ、何ですか? 本郷じゃあるまいし。草間先輩、こういう謎解きが好きだなんて、初耳ですよ。ミステリーを読むのは知ってましたけど……」

 すると、なぜか傑は笑うのをピタリとやめた。

「え、僕が? 何だって?」
「謎解きです。好きなんですよね? そんなに好きなら、他にも何か問題書いてみてくださいよ」

 あんまりにも傑が笑ったから、一花は悔しくなって、グイッと目の前にノートを押しやった。

 傑は、ノートと一花を交互に見ていたが、やがて、一花のシャープペンシルを手に取ると、あの独特の細く薄い筆圧で何かを書き始めた。

 一花が覗き込むと、ノートの罫線をなぞる様に、五本の線を引いている。そして、その五線の下二本の間に、黒い丸。
 それから、隣に英語で『thread !! 』と書いた。

「はい、どうぞ」

 傑が、ノートをくるりとひっくり返して、一花に向ける。

「本当に……書いたんですか……?」

 無茶振りのつもりで頼んだのに、傑がさっさと何かを書いたことに、一花は戸惑っていた。
 その様子を勘違いしたのか、傑は「ちょっと待って」と、再びノートを反転させた。

「これで、どう?」

 もう一度、一花に見せられたノートの五線は、左横にト音記号が書き出されている。ヒントのつもりらしい。
   
 おかけで問題自体は、アッサリ解けた。ト音記号があるなら、この黒丸はーーー

「音符……えぇっと、『ファ』ですか?それで、こっちの『Thread』は……」

 何だっけ?
 Thread、Thread……どこかで見た気はするけど、教科書に出ている単語だったかしらーーーなんて、考えているうちに、パッと閃いた。

「あ、『糸』ですね?『ファ』と『糸』で……『ファイト』。受験頑張れっ……てことですか?」

 顔を上げると、傑は、「正解」と頷いた。
 傑の顔は、いつも通りで、簡単に解かれたことに悔しがるでも、圭太のように無邪気に喜ぶでもない。

 そうなると、問題は解けたが、ますますスッキリしない。

 一体全体、傑はどうして突然、こんなことを初めたのだろう。
 なんていうか……キャラじゃない、とまではいかないけれど、物凄く唐突感が否めない。

 一花は改めて、傑の書いたモノを見つめる。

 黒い丸と英単語。
 記号みたいな組み合わせ。

『頑張れ!!』

 あぁ、でも、これはこれで、ちょっと嬉しいかもしれない。

 一花の無茶振りで咄嗟に書いてくれたのは、一花への応援だ。

 今、パッと作ったのか、前から考えていたのか分からないけれど、少なくとも、傑は一花のことを想って書いたのだ。

 そう思うと、ノートを眺めている一花の口元が、自然に綻んだ。
 その時だった。
 
「あれ?草間?」

 ホカホカとした気持ちに水を差す用に、不意に頭上から、女の人の声が降ってきた。
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