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21 この謎が解けたから

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 いつもの横断歩道を渡ったところで、圭太が待っていた。

「ごめん。図書室混んでいて、思ったより時間かかって……。」
「いや、大丈夫。俺も今、来たところ。」

 七緒が渡りきったところで、圭太が並んで歩きだした。

 文化祭が終わって、一週間が経つ。
 大きな行事がすべて終わったことで、3年生の教室は、俄に受験めいてきた。

「っていうか、こんなところで待ち合わせしなくても、一緒に教室出れば早いと思うんだけど。」

「それは駄目っ!!」

 七緒は、顔の前で大きくバッテンをつくる。

「付き合ってるとか噂されるの、嫌だもん。」
「でも、付き合ってるのに?」

 不満げに唇を突きだす圭太。

「付き合ってるのに、です。」

 七緒が、ピシャリと言い返す。

 圭太の言うとおり、七緒と圭太は、付き合っている。俗に言う、彼氏と彼女。
 だけど、そのことは、一花いちか以外には誰にも言ってない。まぁ、ひょっとしたら、堺屋 湊さかいやみ なとは知っているかもしれないけれど。

「本郷、女子に人気あるから、言いたくない。」

 圭太は、背が高く、バスケ部で、帰国子女。見た目も、それなりにカッコいい。ただでさえ目立つ要素に、体育祭で応援団をやったから、下の学年の子たちまで、きゃあきゃあ騒いでいるとか、いないとか。

 基本的に地味な生活を望む七緒からすると、そんな騒動には、絶対に巻き込まれたくないわけだが……

「え?」

 七緒の言葉を聞き返す圭太は、明らかに嬉しがっている。

「なに? なんて言った? もう一回。」

 ニヤニヤと問い返す圭太に、

「知らない。」

 フイッとそっぽを向くと、圭太が、慌てて、「ごめん、ごめん」と謝ってきた。

「人気あるとか、ホントに、よく分かんないんだけど、七緒に言われると嬉しいから、つい調子に乗りました。」

 こういうことをサラリと言えるのは、アメリカ仕込みなのか。今や、圭太のほうが七緒なんかよりも余程、気持ちをバンバン言語化してくるから、どう反応していいのか分からなくて、困る。

「………やっぱり知らない。」
「なんでっ!?」

 ふざけ合っているうちに、目当ての公園に着いた。
 かつて圭太と二人で話した公園は、前より季節が進んで肌寒いせいか、ほとんど人気がない。

 本来、圭太の家とは反対方向なのだけれど、七緒が「話をしたい」とお願いしたから、遠回りして、公園まで来てくれたのだ。

 二人は、この前と同じベンチに並んで腰掛ける。

「あのさ、今日は、本郷に……じゃなくて、えぇーっと、圭太………に、言いたいことがあって。」

「えッ?!」

 突然、「圭太」と呼んだことに、圭太が驚いた顔をしている。

「あっ……ごめん。えっと………」

 やっぱり、いきなり名前を呼ぶのはおかしかっただろうか。

「圭ちゃんってのも、子どもっぽいかなって、圭太って言ったんだけど、やっぱり本郷のほうが……」
「いやッ!!圭太でイイ。名前で呼ばれたい。」

 圭太がすごい勢いで肯定してきた。かと思うと、少し懐かしそうに笑った。

「っていうか、圭ちゃんって……懐かしいな。七緒の口から、また、その名前を聞く日が来るがあるって思わなかった。」

 文化祭での出来事のあと、卒園アルバムをみて、お母さんと話をして、思い出した。

 確かに、七緒と一緒に、よく絵本をみていた男の子がいた。
 今の、背の高い圭太からは想像もできないが、七緒よりも一回りくらい身体の小さな子だった。引っ込み思案な彼は、パズルや迷路、間違い探しのような絵本が好きで、七緒とは、よく一緒に、園の図書館に行った。

 当時は母親同士の仲が良かったこともあって、お母さんは、本郷圭太のことを、よく覚えていた。
 それどころか、呑気に、「毎年、運動会にいたわねぇ。そういえば、今年はナナちゃんと一緒のクラスだったのね。」などと言っている。
 
 思わず、「気づいていたなら、教えてくれればよかったのに」と言ったら、「気づいてないとは思わなかったわ。」と言い返された。

 あの懐かしい男の子が、9年の時を経て、七緒の隣に座っているのだと思うと、少し不思議な気がする。

 そんなことを思い出していると、

「それで、俺に話って、何?」
「うん。あのね……進路のことなんだけど。」

 文化祭の当日、一花が偶然、耳にした話では、圭太は、今月末にアメリカに行くということだった。
 もちろん、今月末という、急な話が本当かどうかわからないけれど、担任とアメリカ行きについて話していたというのは事実だろう。

「あの時に、ちゃんと聞けてなかったんだけど、圭太って、もうすぐアメリカ……行くの?」
「えっ?!」
「文化祭で先生と話しているのを、一花が偶然、聞いたって……。」
「あっ……あぁー。」

 圭太は思い当たることがあるようで、「あのときか……」と呟いた。

 否定しないということは、やっぱり本当のことなんだ。

「アメリカ行き、決まったの?」
「今月末ね。」

 あぁ、やっぱりそうなんだ。
 今月末というのは、流石に急だから、何かの間違いかと思ったけど、本当のことだった。

 てっきり、アメリカ行きは卒業後の進路のことだと思っていた。まだ3ヶ月は先だと思っていたのに、予定が早まったのだろうか。


 でも七緒は、動揺はしない。

 しない、と決めていた。


 圭太のほうに向き直る。
 心に決めた決意を、圭太に伝えるために。

「私、圭太が、アメリカ行っても、大丈夫だから。」
「えっ?!」
「平気……ではないけれど、でも、大丈夫だから。」

 ちゃんと伝えないと。
 自分の気持ちをしっかり言葉にするために、何度も何度も、自問自答を繰り返して、考えてきた。

「前に話してくれた圭太は夢の話、すごくカッコ良かった。だから、圭太が9年間想ってくれたように、これから先、何年になるかは分からないけど………離れていても、私もずっと圭太のことを想っているから。」

 言えた。
 でも恥ずかしい。

「七緒……」

 じっと見つめる圭太の視線に耐えられず、パッとベンチから立ち上がった。
 頬が熱い。

「ねぇ、七緒。」

 圭太が、手を引いた。

「こっち向いて。」

 ホラホラと、茶化しながら、その手を優しい力で手を引っ張ってきた。

「七緒が俺のこと、めっちゃ好きってのは、伝わったからさ。」
「ちょっと、ヤメてよ! 本郷!!」

 七緒が振り向いた瞬間、

「また、本郷に戻ってる……よ……」

 強い力で引き寄せられ、気づいたときには、抱きしめられていた。

「ごめんッ!!」
「えっ?」

 圭太の腕の中、何が起こったか分からず、混乱したいた。

「ごめん。七緒、泣いてると思わなかった。」
「え? え? 泣いてなんか……」

 いない、と言おうとして、自分の頬に触れ、涙が伝っていたのだと気づく。

 大丈夫だと、心配ないからと伝えるつもりが、これでは、全然大丈夫じゃないって言っているみたいだ。

 応援しているし、離れていても大丈夫という、その気持ちは、嘘じゃない。

 でもーーー
 
 寂しくないわけじゃない。

 あれだけ沢山、考えてきたのに、いざ目の前に現実を突きつけられると、やっぱり嫌だ、と思ってしまう。


「からかって、ごめん。」
「ちがっ……これは……」

 慌てて否定しようとする七緒に、圭太が、

「俺、アメリカ行かないからッ!!」
「………………へっ?」

 思わず、気の抜けた、間抜けな声で返事をしてしまった。

「な……んで? 私のせい……」
「違う。」
「え? でも……私が今、泣いたりしたから……」

「じゃなくてッ! 最初っから、決めてた。」
「決めてた……?」


◆  ◆  ◆

 圭太の腕の中、七緒の小さな身体が、驚きのあまり、震えていた。

「あっ!! ご……ごめんッ!!」

 圭太は、慌てて身体を離す。

「ごめん。つい……」

 思わず抱きしめてしまったことに、今更ながら、恥ずかしくなって謝った。

「あっ……うん。それは、大丈夫……。」

 七緒も少し冷静になったのか、乱れた髪を整えている。

「それより、アメリカに行かないって、どういうこと?」
「う……うん。」

 アメリカには行かない。少なくとも、高校の間は。

「今月末に行くのは、俺じゃなくて親父の話。っていうか、そもそも、今回は、父さんだけで行くことになった。」

 向こうの大学に行くことが正式に決まったあと、母親がいった。「私はついていかないわよ。」と。

 決して不仲なわけではない。
 ただ、こちらに戻って、仕事を始めて、ようやく軌道に乗ったところだから、今は辞めたくないと主張したのだ。

「9年前は諦めたのだから、今回こそ、私の好きなようにさせてもらいますよ。」

 9年前、父についていくために、泣く泣く仕事を辞めた母が言った。

 もともと、アクティブで、じっとしていられない性格の母だから、アメリカにいた間も、あれやこれやと働いていた。それを、日本に戻るために、また、すべて辞めたのだ。

「私は当分、日本に残ります。今度こそ、自分のやりたいことを納得いくまでやりたいの。」

 話し合いの末、母は日本に残ることが決まり、二人は圭太に、選んでいいと言った。父についてアメリカに行っても、母とともに、日本に残っても、自分のやりたいほうを選べばいい、と言われたのだ。


「で、俺は母さんと日本に残ることにした。」
「なんで!? それで……いいの?」
「うん。せっかく帰ってきたから、やっぱり、もう少し日本にいたいし、こっちで行きたい高校もあるし。」

 まぁ、そこに落ちたらどうするのかって話だけど。

「大学は、どうするか分からないけど、とりあえず、3年間は日本で過ごすつもり。」

 七緒が目をまん丸にして、こちらを見ていたかと思うと、力が抜けたように、ベンチにヘタッと座りこんだ。

「私、めちゃめちゃ決意して伝えたのに……」
「うん。普通に、嬉しかったけど。」

 本当に嬉しかった。

 9年間の片思いがようやく実ったと思った矢先に、ここまで言ってもらえたんだから。


 すると、七緒は、パッと顔をあげて、

「あ、でも、高校は、とりあえず日本にいるって分かったけど、その先は分からない……んだよね?」
「まぁ、そうだね。」
「うん。じゃあ、やっぱり伝えるね。」

 七緒が再び立ち上がり、側に寄ってきて、控えめに学ランの袖を摑んだ。ゆっくりと深呼吸をしたあと、七緒は、真っ直ぐに圭太を見て、言った。

「この先、大人になって、二人の居る場所の距離がどんなに離れることがあっても、私の気持ちは、圭太の側にいたい。それだけはホントだから。」

 キッチリ縛った黒い髪。凛とした黒い瞳。
 圭太のずっと好きだった子が、じっと自分をみつめている。

「ちょっ………待ってッ!!」

 圭太は思わず、両手で顔を覆った。
 友だちとして側にいたときには見たことがない表情に、心臓が煩いくらいにドキドキ鳴ってる。

「………圭太?」
「ごめん。俺、今、めっちゃ幸せかも。」

 七緒がカワイイ。
 大好きだ。

 おまけに、七緒が言ったことは、圭太も丸ごと全部同じ気持ちだ。

 圭太は、意を決して、再び七緒を見ると、その頬にそっと手を伸ばした。柔らかい頬は少し熱い。

「あのさ……俺も……この先、ずっと七緒の側に……」

 ゆっくり、ゆっくり、顔を近付けようとした、その瞬間。

「あッ!!」
「えっ?! なにっ?? ごめん!」

 七緒が声を上げたので、焦って、手をす。疚しいことは何もありませんよと、ばかりに手を上げてみせたが、七緒は、何が起ころうとしていのか、全く気づいていないようで、

「ねぇ。あともう1つ、圭太に、聞きたいことがあったんだった。」
「俺に聞きたいこと?」

 七緒が、9年前、圭太がアメリカに出立した日のことを話し始めた。

 濃紺色のワンボックスカーに舞い落ちる桜の花びら。

 圭太のことは、よく覚えてないと言ったのに、その絵画のような描写の美しさは、七緒の心に残っていたんだなと思うと、どこかしんみりとした気持ちが込み上げてくる。


「それで、圭太、あの日、ノートを渡すときに言ったよね?」


 ーーーこの謎が、解けたら……


「あの後、なんて言ったの?」

「えッ?」

「実は、その先の言葉が、ずっと思い出せなくて…」

 モヤモヤしてたんだよねと、顔をしかめたかと思うと、今度は、圭太に向かって身を乗り出す。

「だから、絶対、確かめたいと思っていたの!!」

 七緒が黒目がちな瞳をキラキラさせて、じっとこちらを見つめてくる。
 その綺麗な瞳に追及されて、目をそらしたいような、そらしたくないような。

 おまけに、キュッと結ばれた形の良い唇に、さっきの少し良い雰囲気を、思い出して、また、思わず手を伸ばしたくなる。

「ねぇ? 圭太! 聞いてる?」

 ズイッと詰め寄る七緒に、

「あ……あぁ、うん。」

 圭太は躱すように、ぱっと身を翻して、ベンチから立ち上がった。

「引っ越しのときの話だろ?」
「そう。あのときの最後の言葉、覚えてるでしょ?」
「えーっと………」

 そろそろと後ずさり、距離を取りながら、

「…………うん、忘れた。」
「え?」
「忘れた。覚えてない。」
「覚えてない? ホントにぃ??」

 七緒も立ち上がって、背後から疑りの目を向けてくる。

 覚えてないという圭太の言葉を、全然信用していないらしい。


 その勘は、あたってる。


 でも、今更、言えるわけがないだろう?
 もう保育園児じゃないんだ。

 改めて、思春期の自分に追及されたって、口に出せないことだってある。

 ノートの最後の謎の答え『僕のオヨメさんになって』っていうだけでも、すでに、中学生の自分からすると、死ぬほど痛いのに、そこにワザワザ追い打ちをかけることなんて、マジで言えない。


 それに、もう、十分思いは通じている。


「だから、今更、ワザワザ言う必要ないんだよなぁ。」

 ボソッと呟く圭太に七緒が耳聡く、

「あー、やっぱり覚えてるでしょー?」
「覚えてない、覚えていない。」

 また、逃げるように一歩を踏み出す。

「なぁ、そろそろ、帰ろうぜ? 受験勉強もあるんだし。」

「えっ? なんか誤魔化した?!」

 圭太が歩きだすと、七緒が横に追いついてきた。二人は肩を並べて、じゃれ合いながら、公園の出口を目指す。


 これから先、どこにいても、どんなときもーーー
 例え二人の距離が物理的に離れてしまったとしても、ずっと、こんなふうに肩を並べて歩いていけたらいいな、と思う。


 七緒となら、大丈夫だ。
 不思議と、そんな根拠のない確信に満ちていた。



 濃紺色のワンボックスカーの隣、桜舞い散る空の下。

 9年前に一方的に告げた約束は、結び直して、これからも、ずっと続いていく。



   この謎が解けたら、

   その時は、必ずナナちゃんに

   会いに行くね。

   たとえ、世界中のどこにいても。 





   完


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