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19 本郷圭太の告白

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ーーー俺たち、友だちなんだから。


 あの日、公園で告げた言葉を、ようやく否定できたのは、文化祭が、あと10日後に迫ろうかというときだった。


 その日の放課後、圭太は、担任と進路について面談をしていた。
 父のアメリカ行きが現実味を帯びてきたため、今後の受験について、担任と意思をすり合わせておく必要があったからだ。

 その面談の後、教室に荷物を取りに戻ったとき。薄暗い教室で、七緒が一人で勉強していた。聞けば、文化祭のスタンプラリーの問題を後輩が描いて、持ってきてくれるのを待っているのだという。


「先生との面談って……受験のこと?」


 七緒の質問に、どう答えるべきか少し迷った圭太は、結局、七緒の前の椅子に腰をおろした。

 中学を卒業したら、日本の高校ではなく、アメリカに行くかもしれない。そういう話は、前にも話したことある。


「本郷は、アメリカに戻りたくないの?」
「……難しいな。」

 圭太には夢がある。

 この広い宇宙の謎を解き明かしたいという夢。数年前、惑星探査機が戻ってきたとき、圭太の心は深く揺さぶられた。
 何年もかけて、たった一握りの土を持ち帰る。そこから紐解けるのは、宇宙の何億分の1に過ぎなきかもしれない。けれど、それだけ、解き明かすべき謎が壮大なのだ。

 七緒に、そう話したことは、嘘じゃない。


 でも、はもっと前。


 保育園のときに遠足で行ったプラネタリウム。
 美しい星の河。すぐ隣には、大好きな女の子。

 ロマンチック、などという言葉を知らなかったけれど、今思えば、あれが産まれて初めて味わった『ロマンチック』なのだろう。


 夕暮れの教室で、七緒は、勉強する手を止めて、圭太の話を熱心に聞いてくれた。
 時に頷きながら、真っ直ぐな眼差しを圭太に向ける。


 その間、幾度となく、七緒が髪をかきあげた。
 傾きかけた秋の日が、教室の窓から斜めに二人を照らす。

 七緒の顔立ちは、決して、城崎杏奈しろさき あんなみたいに派手ではない。
 目は切れ長で、形の良い鼻は小さく、唇も控えめ。艷やかな黒髪は、いつも、後ろで綺麗に一つにまとめられていて、真面目な七緒によく似合う。


 透明で、凛としている。


 夕日でオレンジ色に染められた七緒は、何度も目をそらしてしまいたくなるほど、美しかった。

 ふと、会話の途中、七緒が、ぼんやりとこちらを見つめているのに気がついた。


「水無? どうした?」
「あっ……うん。ごめん。ちょっと、ぼんやりしていた。」


 七緒が、軽く首を振って、小さく笑った。

 その姿を見ていた圭太の中で、何かが弾けた。


 あぁ、ダメだ。

 もう、これ以上黙っていることなんて、出来ない。



 七緒がふわりと髪をかきあげる手を、咄嗟に掴んだ。


「水無。」


 七緒の手が、小さく震えた。
 今にも引っ込めてしまいそうな、その手を、圭太は逃げられたくなくて、ギュッと力をこめて握った。

 もう、止めることは出来なかった。


「前に公園で、お前のこと友だちって言っけど、本当は………俺、本当は、お前のことが好きだ。」


 七緒が大きく目を見開いた。


 驚いているよね。
 ごめん。

 でも、この言葉を、ずっと、ずっと……言いたかったんだ。


「水無の、巻き込まれたのに、投げ出せない責任感の強さが好きだ。俺のこと怒っていたくせに、困っているからと頼まれたら、助けずにはいられない、お人好しな優しさが好きだ。」 


 公園のベンチで話した、あのときも。
 二人で市立図書館に行った、あのときも。

 文化祭委員に巻き込んでしまった、あのときも、図書委員で二人、何度も顔を合わせた、あのときも。


 中学1年のときに、あの図書室のカウンターで、死ぬほどどうでもいい質問をした、あのときも。


 違う。

 もっと、もっと、ずっと前から。



 保育園を卒園したとき、引っ越して離れ離れになるって知ったときから、ずっと、この言葉を七緒に伝えたかった。



「俺はずっと、水無が好きだった。」


 七緒の口が、何かを呟くように動いた。


 しかし、結局は何も言わず、それっきり、時が、止まったように静かになった。


 その静寂をノックの音が破る。

 振り返ると、ドアのところで、宮迫一花みやさこ いちかが、「ごめん。」と、詫ていた。

 宮迫が指先で何かを合図し、七緒が出ていく。

 しばらくすると、紙を持って戻ってきて、「これ」と圭太の胸倉に押し付け、足早に教室を飛び出して行った。

 押し付けられた紙には、一年生の男の子に頼んでいたスタンプラリーの絵。


「あぁ……えっと………本郷、ごめん。」

 宮迫が、こめかみをカリコリかきながら入室してきた。

「本当は邪魔したくなかったんだけど、二人とも、固まってて、このまま夜までいきそうだっからさ。」

 冗談めかして明るい言い方をしたのは、わざとだろう。


「いや、こっちこそ、気を使わせて悪い。」
「あぁ……まぁ。」


 宮迫は、肩をすくめて、

「告白くらい、するでしょ。夕暮れの教室に、二人っきりなんだもん。」
「は?」
「言ってよかったと思うよー。言わなきゃ、ナナちゃん、一生気づかないと思う。」


 宮迫が、グッと親指を立てて、「頑張って。」と力強く言って、去っていった。

「何だよ、もうッ……」

 圭太は、一人残された教室で呟いた。ついに告げてしまったという、ほんの少しの後悔と、ようやく伝えられたことでスッキリしたような、妙な満足感に包まれていた。



◇  ◇  ◇
 

 それから、早10日。

 七緒と圭太の間には………何の進展もなかった。


 そもそも圭太は、あくまで、七緒に「好きだ」と伝えただけだ。具体的にどうしてほしいという要求は、何一つない。

 でも、それでいい。

 今はまだ、答えをもらうタイミングじゃない。圭太が長年溜め込んできた気持ちを初めて知ってもらった。ここがスタート。


「いよいよだな。」


 文化祭当日の朝、いつもの信号の前で、圭太は言った。

「うん。」

 少し緊張したような、引き締まった顔で、七緒が頷く。
 あの日以降も、圭太が普通に話しかけているおかげか、七緒は少しぎこちないが、いつもの通りに接してくれていた。

「どこ見るか、決めてる?」
「一花が演劇部の公演を見たいっていうから、それは行くつもり。それと手芸部。」
「そっか……」
「本郷は?」
「俺は………」

 本当は七緒と一緒に見て回りたいけれど、それはあまりにも、あからさまだ。周りから変に誂われたりしたら、七緒も嫌だろう。

「友だちが体育館でバンド演奏するから、それは見るけど、結局、スタンプラリーが気になっちゃうかなぁ。」
「確かに!!」

 七緒が笑った。
 最初は、強引に誘ったけれど、今は同じ気持ちを共有しているんだ、ということが嬉しい。


 文化祭が始まると、委員の担当の時間まで、各教室の展示を見たり、体育館に友だちの演奏を聞きに行ったりした。

「お前の企画、なかなか好評みたいだな。」

 ブラブラしているときに、偶然、出くわした担任に、声をかけられた。

「ありがとうございます。」
「あぁ、それと、この前、相談された件だが……」

 会ったついでに、進路のことを立ち話して別れた。


 叫び声が聞こえたのは、1階でしていたスタンプラリーの受付当番が終わる頃だった。

「きゃぁぁぁぁっ!」

 すぐ近くの階段から、聞き覚えのある声。

 何事かと驚いた圭太が、階段を駆け上がると、踊り場で、城崎杏奈が腰を抜かしたように、ヘタリと座り込んでいた。

「み………水無さんが……」

 指さした先には、窓。その窓のハンドルを掴む手。手とハンドルが、紐のような物で繫がっている。腕につけた何かが、引っかかっているらしい。

 圭太は、近くの椅子に飛び乗った。


 引っかかった腕輪の先に、だらんと七緒が垂れ下がっている。


「水無ィッッッーー!!」


 圭太は、窓から乗り出して、その腕を掴んだ。


◆  ◆  ◆


 あぁ、しまったーーーと、後悔したときには、遅かった。

 七緒は、窓の取手に片手で、ぶらんとぶら下がっていた。しかも、運が良いのか悪いのか、手芸部の展示に寄ったときに作ったブレスレットが窓のハンドルに引っかかっている。

 そして、左手には黄色いチェック柄のノート。

 ここから自分の力だけで、窓内側によじ登るのは無理だ。


 七緒はチラッと下を見た。


 夏目漱石の『坊っちゃん』で、小さい頃から無鉄砲だった坊っちゃんは、小学校の2階から飛び降りたんだっけ? それで、えぇーっと、腰を抜かしたんだったかな?

 ここは、1階と2階の間だから、坊っちゃんよりは低い。腰は抜かさなくて済みそうだ。せいぜい、擦り傷か捻挫か……ちゃんと着地できればいいけど。

 真下は花壇とその向こうはアスファルト。
 花壇には、背の低い木が植わっている。あの上に降りれたら、大怪我はしないけれど、相当な擦り傷や切り傷ができるだろう。

 その向こうのアスファルトなら、傷の数は少ないが骨や身体への負担が大きい。
 花壇とアスファルトの間の小さな柵の上だったら、最悪だ。


 どちらにしろ、この右手のブレスレットが引っかかっている限り、飛び降りることも登ることも出来なきないから……八方塞がりなワケだけど。


 七緒は、ぶら下がりながら、引くも進むも出来ない状況に、どうしようか思案していた。

 
 せめて、左手のノートを手放せれば、ブレスレットをハンドルから抜けるかもしれない。
 そう思って、もう一度下を見る。そこには、昨夜降った雨で泥濘んだ花壇の土と、泥まみれでまだ湿ったアスファルト。

 ここには落とせない。
 だって、ノートが、グチャグチャになってしまう。

 9年前に、6歳の本郷圭太が書いてくれた、大事な大事な気持ちが消えてしまうかもしれない。

 それだけは嫌だ。


 あぁ、でも……そんなことを考えているうちに、手がもう限界……


 指先の力が抜け、ブレスレットが腕に食い込む。締め付けられた腕の血が止まりそう……と、思った瞬間、ハシッと誰かが腕を掴んだ。



◆  ◆  ◆



「掴まれ!!」

 圭太は窓のハンドルと繋がっている七緒の手の手首を掴んで、窓から身を乗り出すと、反対の腕に向かって手を差し出した。

「早く!! 反対の手を寄越せ! 俺の手を握れッ!」 
 
 その瞬間、ダランと垂れた左手の先に、見覚えのある黄色いチェックのノートが握られているのが見えた。

「なんだ、そのノート?! 離せ!! 投げ捨てろ!!!」

 七緒が、ふるふると顔を横に降った。

「……ヤダ………」

「バッ……カか、お前!!」

 この期に及んで、そんなノート気にしてる場合じゃないだろ!

「そんなノート、俺が何回でも書いてやる!! 」

 七緒は、真っ赤な顔で歯を食いしばったまま、また、首を横に振った。
 口で答える余裕がないのかもしれない。

「あぁっ!もう、ちくしょう!! 一瞬だけ、こっちの手、離すぞ!! 我慢しろよ。」

 言うと、手首を掴んでいた手を離して、七緒の手の上から、包み込むように窓のハンドルを握る。
 反対の手を七緒の肘のあたりまで伸ばすと、身体を乗り出して、七緒の左脇を掴んだ。

 そのまま、一気に引き上げる。

 七緒はどちらかというと小柄なほうだ。なんとか圭太の力で持ち上がった。

 ズリズリと引きずるように窓の内側まで引き上げる。七緒の上半身が、手すりを超えた。身体を抱きかかえながら、引っかかっていたブレスレットを外し、引き上げると、そのまま圭太のほうに体重がかかる。

 圭太は、七緒を抱きしめたまま、後ろに倒れた。
 勢いで、乗っていた椅子から落ち、七緒を抱きしめたまま、尻を強打した。

「いっ………てぇ……!!」
「ごめん。」

 圭太の腕の中で、七緒がゆっくりと頭を起こす。

「お尻打ったよね? 大丈夫?」

 圭太は、痛みに顔をしかめたが、すぐに、七緒の頬を両手で挟んだ。心持ち強く挟んだせいで、パチンと軽い音がした。

「大丈夫? じゃねぇ………俺は……死ぬかと思った。お前が……心配過ぎて。」

 手のひらの感触と体温に安堵する。「はぁ」と深いため息をついた。

「なんで、ノートを離さなかった? ブレスレットが、いつ切れるかも分からないのに!!」

「もし切れても、大丈夫かな……って。飛び降りれば。だって、1階と2階の間だから、落ちても死ぬことはないかな、って……」

 圭太は、じろりと七緒を睨んだ。

「無傷じゃすまないだろ。」

「擦り傷と……打撲か、捻挫くらい?」

「打ちどころが悪かったら、どうする? 一生消えない傷が残ったら? もし、大怪我をしたらって考えただけで……正直、震える。」

 すると、七緒がノートをそろそろと顔の前に翳した。七緒の少し不安げな、でも何かを確かめるような目。含んだ意図を察して、ハッとする。

「もしかして、解けた………のか?」

 七緒がこっくりと頷く。

「あ……」
 
 突然のカミングアウトに、さっきまでとは別の意味で、心臓がカッとした。

 七緒が、ずっと解けないと言っていたノートの最後の問題。

 問題文に付した記号の中の白い星の下の文字だけを集めて、順番に読むだけ。
 さらに、黒い星の下の文字を繋げると、圭太の名前になる。


 手順通りに読んだ答えは、

・・・・・・・・・・・・・・・

  ぼくのおよめ3になって

          けいた

・・・・・・・・・・・・・・・




 『ボクの オヨメさんに なって』

            けいた  



 それが、6歳の圭太がノートに閉じ込めた気持ち。


 七緒が、黒目がちの瞳で、じっとこちらを見上げている。


「ゴメンナサイ。あと、助けてくれて、ありがとう。」


 チクショウ。
 かわいいな。そんな目で見るな。


「あぁッ! ………もうっっっ!!」


 そうだよ。
 そのとおりだよ。


 9年経っても、一生残る傷ができたって、俺の気持ちは、そのノートと少しも変わらねぇよ。

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