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18 友だち宣言
しおりを挟む昔、渡したノートを、今も七緒が大事に持っていると聞いたとき、圭太は素直に嬉しかった。
そのノートを書いた人間のことを忘れていたとしても。
あれを作ろうと思ったのは、アメリカに引っ越すことを告げられた翌日だった。
それまでは、ずっと、一緒の小学校に行くのだと思っていたのだ。それなのに、離れ離れにーーーそれも、すごく遠くに行かなければならないのだと知って、圭太は部屋から出てこられないほどに泣いた。
涙が止んだ頃、せめて自分のことを覚えていてもらえるように、自分の気持ちを伝えるために、なぞなぞや迷路を作ろうと決めたのだ。
小さい時の圭太は、自分の気持ちを相手に伝えたり、反論したりするのが苦手だった。だが、代わりに、この手のことは得意だった。
よく、パズルや迷路、なぞなぞを解いていた圭太に、七緒が言った。
「けいちゃん、スゴイっ!!」
七緒の目が、あのプラネタリウムの星みたいにキラキラと輝いた。
「お友達の中で、こんなの解けるの、けいちゃんくらいだよ!!カッコいい!!」
その純粋な称賛が自分に向けられているのだと思うと、くすぐったいような、でも、とても誇らしいような気持ちになった。
だから、これは圭太にとって、とても特別なことだった。
誰よりも特別な子。
圭太は七緒に渡したノートの最後の問題で、自分の気持ちを伝えることにした。
考えに考え、練りに練って作った問題。
渡すときに、思い切って、口にした。
「この謎が、解けたら……」
恥ずかしくて、最後のほうは、ほとんどちゃんと言えていなかったかもしれない。
でも、確かに圭太は、自分の気持ちと、ノートを渡した。
そのノートの謎が、未だ解けていないと知ったのは、夏休みのことだった。
少し残念ではあるけれど、それでも未だにノートを捨てずに持っていてくれていることが、彼女の想い出のなかに、ちゃんと、あのときの自分がいるようで嬉しかった。
「解いて……やれよ?」
思わず口にした。
「そのノートを書いた子は、水無に解いて欲しくて、解いてもらうために、その謎を作ったんだ。だから、最後まで諦めずに、水無が解いてやってよ。」
解いてほしい。
あのときの圭太の気持ちは、今も少しも褪せていない。
だから、七緒が今の圭太のことをどう思っていようが、小さな圭太の気持ちは知ってほしい。
企画書の作成や夏休みの図書館での問題づくり(俺は、これを、デートだと思っているのだが)を通じて、ゆっくりではあるが、七緒と打ち解けられているという手応えがあった。
以前より自然な笑顔が増えたし、自分の意見や気持ちをしっかりと話してくれるようになった。七緒の性格からすると、関心のない人にそんな態度は取らないだろうから、これは良い兆候だ。
そう思っていたのに……。
急に、よそよそしくなったのは、2学期が始まってすぐのこと。始業式の日の帰り際に、城崎杏奈が七緒を呼び止めているのを見た時からだった。
接点がないはずなのに、と気にはなったが、深入りして尋ねる権利はない。
圭太が城崎杏奈と話したのは、夏休み前だった。教室を出たところで、城崎から、相談があると、久しぶりに声をかけられた。
相談というのは、進路のこと。聞けば、従姉妹がアメリカに住んでいて、自分もアメリカの高校に進学しようか悩んでいるのだという。
城崎は、お祖父さんがイギリス人だから、毎年、夏休みは、イギリスで過ごしているらしく、圭太と同じく英語は堪能だ。
「日本の高校から留学するんじゃなくって、最初っからアメリカの高校に入っちゃってもいいかなぁと思ってるんだ。」
杏奈が「どう思う?」と人形みたいな丸っこい目で聞いてきた。
「まぁ……城崎なら、言葉に苦労することはないし、いいんじゃない?」
「でもアメリカは、クイーンズ・イングリッシュとは、少し違うでしょ? もし、向こうでも近くで相談にのってくれる人がいたら、安心なんだけど。」
「従姉妹の姉さんがいるんだろ?」
「……」
城崎が進路のとこを話したいというのはわかったが、具体的になんの相談をしたいのか、さっぱり分からない。
圭太の言葉に、何故か頬を膨らませた杏奈は、しかし、すぐにいつもの顔に戻って、
「でも、圭太も高校はアメリカに戻るつもりなんでしょ?」
そういえば、昔、そんな話をしたかもしれない。高校に入る前には、またアメリカに転校するかもしれない、とか。
実際に、父には、再びあちらの大学に呼び戻される話が出ている。
ただ、圭太がそれに付いていくのかは、決まっていなかった。もし行くとしたら、卒業後に渡米して、来年の9月に入学することになるだろうか。選択肢の一つではあるが、圭太は、このまま日本に残って高校に進学する道も検討していた。
今住んでいる家から小一時間ばかりのところに、私立の男子高がある。
難関だが、自主性を重んじる自由な校風で、海外の大学とも連携して、留学や交流を行うプログラムもあるという。そこなら、寮があるので、もし両親がアメリカに行っても、日本に残ることができる。
圭太には、宇宙に関わる仕事がしたいという夢がある。研究者として、この宇宙の謎をほんの一握りでも解き明かしてみたい。
水の無い川、無数の煌めく星の集まり。その謎に挑むこと。
それが、あの日、プラネタリウムを見たときから、それが圭太の夢だった。
「従姉妹のお姉さんの住んでいるところ、前に圭太がいたのと同じ州みたいで、もしかしてら近いかも……って、圭太?」
黙りこくって考え込んでいたせいか、圭太の顔を、杏奈が上目遣いに覗き込んでいた。
「あぁ、悪い。高校のことな。」
「そう。圭太もアメリカに戻るんでしょ?」
「………まぁ、それも考えてる。」
「そっか。」
すると杏奈は、突然、話を打ち切った。妙に満足したように、ニコリと笑う。
「圭太。いろいろ聞いてくれて、ありがとう。」
「相談、それだけ? 俺、何にもアドバイスとかしてないけど……。」
「うん。いいの。聞きたいことは、聞けたから。」
トンっと飛ぶように一歩踏み出し、スカートをくるりと翻しながら、振り返った。
「あっ、そうだ。もう一つ聞きたいことがあった!」
やや日本人離れした顔が、スッと近づきてきた。
「前に聞いた……中1のときに言っていた好きな子って、今も変わらないの……?」
大きな目で、じっと、こちらを見上げている。圭太はやや、距離をとるように後ろに仰け反った。
「別に……変わらねぇよ。」
「連絡頻繁にとりあったり……まさか、付き合ってたり……とか?」
「なっ!!そんなことねぇよ。」
圭太は思わず顔をそらした。
たぶん、七緒のことを思い浮かべてる自分の顔は、めちゃくちゃ赤い。
「そう……だよね。うん。」
杏奈は納得したような、してないような顔で頷いた。
「それならいいんだ。」
スススと後ろずさるように離れていく。
「忙しいところ、ごめん。また、ね。」
そう言って、踵を返して去っていった。
あのとき、結局、杏奈は、何の相談をしにきたのか、サッパリ分からなかった。
その杏奈が、今度は七緒になんの用事だろうか。
圭太の言っていた女のコが七緒だ、ということを杏奈は知らないはずだ。
だから、おかしなことにはならないと思うけど……。
それなのに、七緒の態度は、その日から、明らかに変わった。
そっけないだけじゃない。朝の時間に会わなくなった。どうやら、通学時間をずらしたようだ。
今まで、毎朝のようにあっていたのに……。
そうこうしているうちに、圭太自身も、体育祭の応援旗の制作や、応援団の練習で忙しくなって、話をする機会がほとんどなくなった。
あの二人を見たのは、そんな時だった。
七緒とーーー元図書委員長、草間傑。
昨年、圭太も図書委員だったから、よく知っている。一見、物静かで、周りに関心がないタイプにみえるが、実際はその場の状況をよく把握していて、面倒見もいい。
特に、七緒とは仲がよく、草間のほうも特別可愛がっている。
ちなみに、それが気に入らなくて、去年の冬、七緒に突っかかってしまったわけだが……。
そんな草間と七緒が、学校帰りに二人で歩いているのをみた。
体育祭の準備で下校が遅くなった圭太の少し前。横断歩道を渡る七緒をみつけ、今なら話しかけられそうだーーーと、心が浮き立ったのも束の間。
先に横断歩道を渡りきった七緒が、ふいに右を向いたのだ。そして、視線の先にいたのが、草間傑。
七緒は、草間が来るのを、足を止めて待っていて、草間が追いつくと、七緒と二人、肩を並べてあるき出した。
それを圭太は、横断歩道を渡る手前で、足を止めたまま、見送った。歩行者信号が赤に変わり、横切る車が二人の姿を幾度か隠し、信号が青に変わったときには、二人の姿は、もう見えなかった。
このままじゃ、ダメだーーー。
この日から、圭太は、ずっと七緒と話すチャンスを伺っていた。
放課後、七緒が図書室に寄るのを見かけ、今日しかないと思った。
帰り道、あの横断歩道で七緒をつかまえ、「帰り道、こっちじゃないでしょ?」と不審がる七緒に、「話がしたい。」と強引についていった。
公園のベンチに二人で腰掛けると、
「俺、何かした?」
何かしたという自覚はない。けれど、杏奈が何かを告げたのではないか、という不安はあった。
そして、何より、圭太には前科がある。
図書委員のときの出来事。草間に嫉妬して、酷いことを言った。
そのことも、ずっと謝りたいと、謝らなければと思っていた。
「あれは、水無にも、草間先輩にも失礼だった。すげぇ………反省した。ごめんなさい。本当は、ずっと謝らなきゃって思ってたんだ。」
ようやく言えた言葉。
圭太がきちんと頭を下げて謝ると、初めは少し怒っていた様子の七緒も、やがて、許してくれた。
ついでに、文化祭実行委員に引きずりこんだことも詰られたけど、それも今は楽しんでいると言ってくれた。
圭太は、ずっとわだかまりになっていたことを、ようやく解消できて、ホッとした。
もう二度と、こんなふうに拗れて話せなくなるのは嫌だ。もちろん、全部俺が悪いんだけど、それでも、何かあるなら、ちゃんと言ってほしい。
「俺たち、友だちなんだから。」
誠実で真面目な七緒に対して、この言葉が与える効果を認識して、あえて言った。
だから、それにも関わらす、七緒が
「そうだね。友だちなんだから、ちゃんと言うべきだよね。」
と答えたとき、心の奥がズキンと傷ついたのは、俺のワガママなんだろう。
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