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11 草間委員長
しおりを挟む城崎杏奈と話した翌日から、七緒は、いつもより少しゆっくり家を出ることにした。
今までは、NHKニュースのお天気コーナーが始まったら家を出ていたけれど、今は、お天気コーナーを最後まで視聴してから、家を出る。
たかが5分の違いだが、その時間になると、登校する生徒が、グッと多くなり、七緒はそういう人たちの群れに隠れるようにして、歩いた。
本郷圭太と顔を合わせないように。
見つからないように。
七緒が、登校時間を変えたことに、本郷は気がついているはずだが、何か言われることはなかった。
そうこうしているうちに、文化祭より先に開催される体育祭の準備が、本格化し始めた。
背が高くて見目の良い本郷は、クラスの応援団のメンバーに選ばれて、朝早く集まって練習しているらしい。
体育祭が終わるまでは、文化祭実行委員の集まりもなく、本郷と話すことは、なくなった。
そんな、ある日の帰りのことだった。
七緒はホームルームのあと、図書館に寄っていて、いつもより帰りが少し遅くなった。
学校を、出てすぐの信号を渡った、向こう側ーーー毎朝、本郷に話しかけられていた、あの横断歩道で、見知った顔に声をかけられた。
「久しぶりだね、七緒ちゃん。」
一年前の図書委員長、草間傑が七緒に手を振っている。
見慣れた中学の白いカッターシャツとは違う、淡い水色のポロシャツを着ている草間は、1年しか違わないのに、ぐっと大人っぽく映る。
「委員長! 今帰りですか?」
「僕はもう、委員長じゃないよ。」
七緒が信号を渡るのを待っていた草間は、肩を並べて歩き出した。
もう草間は、委員長じゃないし、ここは、学校じゃない。
だから、草間は二人のとき、七緒のことを「水無」ではなく、「七緒ちゃん」と呼ぶ。
「そうでした。今の委員長は一花でした。」
「そうみたいだね。」
「知ってたんですか?」
「宮迫に聞いた。」
一花も1年から一緒に図書委員をやっている。草間とは丸2年の付き合いだ。
「でも、僕はてっきり、次の委員長は、七緒ちゃんだと思ったよ。」
「私が? とんでもない!!……ってことも、ないですね。」
もし、今年も予定通り図書委員をしていれば、3年連続の図書委員。委員長を任されていても不思議ではない。
「宮迫よりは、七緒ちゃんのほうが、安心して任せられるんだけどなぁ。」
「草間先輩!一花が泣きますよ!! いや、怒るかな……?」
「宮迫は、むしろ泣いて喜ぶんじゃない? 委員長の柄じゃないと思ってたーとか言って。」
「確かに!!」
顔を見合わせ、クスクス笑った。
「ごめん、ごめん。冗談だよ。今の話、宮迫には、内緒にしてね。」
草間が、いたずらっぽく人差し指を立てた。
「でも冗談は抜きにして、本当に、君がやると思ったんだ。」
「私、今年は文化祭実行委員なんですよ。だまし討ちされて。」
「だまし討ち?」
事の経緯を草間に話していたら、七緒も久しぶりにあのときの怒りを思い出して、少しだけ腹がたって、頬を膨らます。
七緒の話を黙って聞いていた草間は、
「あぁ、本郷ねぇ。」
ニヤリと笑って、呟いた。
「なかなか頑張るなぁ。」
「頑張る?」
「いや、独り言。七緒ちゃんと、仲良くやってるようで、安心したよ。」
「仲良く? 草間先輩、今の話聞いたました?」
草間が、意味ありげに「はは」と笑った。
沈みかけた日の光に照らされ、二人の影が長く伸びる。
昨年まで、よく顔を合わせていた草間先輩と、二人で話すこの時間は、今となっては、貴重で、懐かしい。
この人の纏っている穏やかな空気が、七緒はとても好きだった。
「……草間先輩、高校はどうですか?」
草間は、電車で15分ほどのところにある公立高校に通っている。
そこは、七緒も、志望校の一つとして検討しているところだ。
「なかなか楽しいよ。図書館も大きいし、設備も綺麗だ。」
「なんか、草間先輩らしい回答ですね。」
「七緒ちゃんも、来年、来るんでしょう?」
頭の中で、ふいに、城崎杏奈の言葉がよぎった。
ーーー圭太は中学を卒業したら、多分アメリカに戻って、むこうのハイスクールに行くと思うんだよね。
なんで今、そんなこと………。
七緒には、全然、なんの関係もないのに。
七緒は、すぐに、本郷のことを頭から追い払って、目の前の草間との会話に集中する。
「どうでしょう? 私のレベルだとギリギリ……無理かと。」
「おいおい。」
苦笑した草間は、
「ギリギリ受かるように、頑張って。」
「そしたら、小学校から高校まで、ずっと草間先輩と同じになりますね。」
「楽しみだね。」
別れ道で足を止めると、
「それじゃあ、僕、あっちだから。」
軽く片手をあげて、じゃあねと挨拶をする。
「頑張ってね。文化祭も、受験も。」
「はい。ありがとうございます。」
やはり草間先輩は、草間先輩だ。
穏やかで、優しい。
月並みな言い方なら『兄のような』とでもいうのだろう。でも、本当のお兄ちゃんとも少し違う。
それでもって、本郷とは………全然違う。
一人になった七緒は、また本郷のことを思い出してしまいそうになり、帰宅後に行かなくちゃならない、塾のことに頭を切り替えた。
人のこと気にしている余裕なんてない。私も、受験頑張らなきゃ。
◇ ◇ ◇
その、ちょうど一週間後。
七緒は、また、同じ横断歩道で声をかけられた。
相手は草間ではない。
「水無っ!!」
今度は背後から。でも、振り返らずとも、声の主はわかる。
「……本郷、どうしたの? 今日は、早いんだね。」
「あー、俺が最近、帰り遅いって……知ってた?」
「体育祭の準備でしょ?」
応援団以外に、応援旗の制作とか、有志で、あれこれ手伝っているらしい。
「明後日が体育祭だから、準備は、ほとんど終わってるんだ。だから、今日は早く帰れて……」
信号が青に変わると、本郷が、七緒に並んで、横断歩道を渡った。
「そうなんだ。当日は、頑張ってね。それじゃあ……。」
本郷は逆方向のはず。渡りきったところで、七緒が、別れの挨拶をすると、突然、本郷が低い声で言った。
「ねぇ。何で、俺のこと避けてるの?」
「え?」
「………少し、話そうぜ。」
そう言うと、本郷は勝手に、七緒の家の方に向かって歩きだした。
「ちょっ……本郷っ?!」
無言でツカツカと歩いていく本郷の後を、七緒が足早に追いかける。七緒との距離が開きそうになると、本郷は足を止めて、七緒が追いつくのを待った。
そういうことを何回か繰り返しているうちに、本郷は、小さな児童公園の入り口で足を止めた。
「……いい?」
本郷のどこか追い詰められたような表情に、七緒は、無言で頷いた。
日の短い時期だ。その刹那を惜しむように、小学生と思しき子どもたちが数人、遊具で遊んでいた。
ペンキの剥がれかかったベンチに、二人並んで腰掛ける。
「あのさ……」
本郷が口火を切った。
「俺、何かやった? 水無に……」
パッと横を見ると、本郷が哀しそうな目で、こちらを見ていた。
「避けているだろ? 俺のこと。何かやったなら、謝る。でも……俺、一生懸命考えたんだけど、何したのか思い当たることがないんだ。ごめん……」
「避けて……なんか…」
いない、とは言えない。
城崎杏奈と話した日から、七緒は意識的に本郷と距離を取っていた。
だけど、その理由を、七緒は上手く説明できない。
好きな子がいる本郷と距離を近づけすぎるは、ダメだと思ったから?
本郷が、卒業したら、アメリカの学校に行くって知ったから?
それを城崎杏奈に聞かされたのが、嫌だったから?
そのどれもが正しい気もするし、すべてが間違いのような気もする。
「前に………水無を怒らせたことは、ちゃんとわかってる。」
「前……?」
「去年、図書委員のときに…。」
去年の冬のことだ。
草間と話す七緒を、「年上好きだ」と、野次るようなことを言った。
「あれは、水無にも、草間先輩にも失礼だった。すげぇ………反省した。」
本郷は、両手を膝の上において、頭を低く下げた。
「ごめんなさい。本当は、ずっと謝らなきゃって思ってたんだ。」
「本郷……?」
本郷の肩がピクリと揺れた。なんだか背の高い本郷の身体が、丸まった小さな子犬みたいに見えた。
「頭、上げて?」
そろそろと頭を上げる。不安げな瞳がこちらを見ていた。
「あれは………正直、かなり頭にきた。」
「うっ………ごめん。」
「しかも、4月に同じクラスになったけど、なんにもなかったみたいに接してくるし。」
「出来ればなかったことに、ならないかなと……水無も普通に接してくれたし、ちょっと……甘えてました。」
がくんと項垂れた。
「蒸し返すのは、大人気ないかなと思っただけで、別に許してはいない。」
「ごめんなさい。」
「あと、文化祭委員に勝手に巻き込んだことも。」
この際だから、スッキリしようとついでの鬱憤もぶつけておいた。
「……ごめんなさい。」
「でも、本郷にやりたいことがあって、私に力を貸して欲しくて無理矢理巻き込んだってことも分かった。……し、そういう意味で、頼りにしてくれているのは、悪い気しなかった。」
本郷の顔が犬みたいにパアッと明るくなった。
「いや、でも、あのやり方はダメ。ホントない! そらなら、正面きって頼んでくれれば……」
「そしたらお前、受けてくれたか?」
正面きって、文化祭委員をやってくれって頼まれたら? そしたらーーー
「………断ったかも。」
「だろ?」
絶対に、図書委員をやるからと断っていた。
「断られるのが分かってたんだよ。だから、搦め手でいくしかないと……」
「調子に乗らない!」
「………ハイ。」
怒るふりをしたけれど、本郷の言ったことは、一理ある。
それに、こうして話しているうちに、実は、文化祭実行委員をやっていること自体に、今ももう、不満はないのだと気がついた。
新しいことだけど、挑戦してみたら、図書委員とは別の楽しさがあった。
たぶん、3年間、同じことだけをしていたら、経験出来なかった楽しさ。
ただ、あのだまし討ちのような決められた方に腹が立っていて、それをちゃんと消化できていなかっただけだ。
その不満も、今、ここでぶちまけたら、なんだかスッキリした。
「ふぅ。」
七緒は大きなため息を吐き出すと、ニコって笑った。
「もう、いいよ。」
「え?」
「もういい。今、ちゃんと謝ってくれたから、全部許す。」
失礼なやつだと、嫌っていたときもあったけど、深く話をするうちに、そういう蟠りも、自然と消えていた。
「文化祭、頑張ろうね。」
「………おう!」
七緒の機嫌が治ったことに安心したのか、本郷の表情も緩んだ。
「もう……これで、怒ってること、ないよな?」
本郷が、おそるおそる、七緒の様子を伺う。
「あのさ、水無。なんか嫌なことがあったら、ちゃんと言ってくれ。黙って避けられるのは結構キツイ。」
少し照れたように頭をかいた。
七緒の頭の中、一瞬だけ、春に聞いた言葉がよぎる。
ーーー水無は、アリかナシかで言ってら、アリ。
いや、でも、これを蒸し返して、怒っているって言ったら、そのほうが七緒が本郷のことを変に気にしているみたいで、オカシイか。
「あの……水無?」
七緒の答えがないから、不安になったらしい。
「俺、まだ何か怒られるの……?」
「あっ、うん、ごめん。もう怒ってないよ。何かあっても、ちゃんと言う。」
本郷のホッとした顔。
「よかった。俺、水無のコト、マジで大事な友だちだと思ってるから、気まずくなるのは嫌だったんだ。」
その言葉を、聞いた瞬間、七緒は、一瞬、時が止まった気がした。
子どもたちの声が遠くに聞こえて、地面がグラリと揺れたような……
変だな。
やっぱり気の所為か。
七緒は、軽く頭を振った。少し疲れて、ぼんやりしてしまったに違いない。
七緒は、目の前の本郷にむかって、ニコッと笑いかける。
「そうだね。友だち、だもんね。」
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