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9 夏休み
しおりを挟む夏休みの生活リズムにもだいぶ慣れた8月の頭、七緒は本郷と待ち合わせた。
場所は、市立図書館のグループ学習室。七緒から提案した。グループ学習室は、事前予約制で、大きな会議室には、いくつかのテーブルが互いに距離をとって置かれている。
「市立図書館にこんなところがあるって、知らなかった。」
普通の自習室とは違い、周りに迷惑にならない範囲なら、声を出してもいいことになっていた。勉強を教え合う高校生らしき人たちや、大学生のグループが何組か使っている。
七緒たちは、受付でもらった票に書かれた「F」の立て札がある机を探した。
本郷が物珍しげに、キョロキョロあたりを見回している。
「私も、使うのは初めて。お兄ちゃんに相談したら、そこがいいんじゃないかって。」
七緒には、4つ離れた兄がいる。名は、隆也。
今年、大学に入学してからは、途端に生活リズムが合わなくなって、顔を合わせる頻度がグッと減ったが、どちらかというと仲の良い兄妹だと思う。
「えっ!?」
本郷が、なぜかギョッとした顔をした。
「相談?……な……なんて?」
「文化祭委員の企画の相談をするのに良い場所ってないかって、聞いただけだけど?」
「あ、そっか……」
なぜか、ホッとした様子の本郷に怪訝な顔を向けると、
「ホラ、早く始めようぜ。」
何かを、誤魔化しているようにも見える。
本郷は、さっさと座ると、ルーズリーフを出して、机上に広げた。それから、何かが印刷された紙を数枚。
「これ……本郷が考えた問題?」
七緒が、そのうち1枚を手に取る。
「そうなんだけど……水無、解けそう?」
「……う…うーん、どうだろう?」
七緒は手元の問題に目を落とす。
・・・・・・・・・・・・
_________
| → |
| KM |
| TV |
| MO |
| BD |
| GI |
|_____ROOM
・・・・・・・・・・・・
「アルファベットは、何かの略…? でも、意味が通りそうな言葉は…TVくらいかな?」
テレビのあるROOM……なら、真っ先に浮かぶのは、視聴覚室だけど、テレビ自体は、たいていの教室にある。もちろん、調理室にも音楽室にも。
TV以外は、なんの略語だろうか。BDなら、「ブルーレイディスク」とか……?
「うーーーん…………」
問題を前に、考え込む七緒を、圭太が下から見上げるように覗き込んだ。
「難しい?」
「う……うん。」
「じゃあ、ヒント。アルファベットを頭から順に言ってみて。」
「アルファベット? ABC……って?」
「そう。」
圭太が、キラキラ星のメロディーに乗せて、
「ABCDEFG~」
と、歌った。
「で、同時に指でコレをなぞる。」
言われた通り、七緒は、歌いながら問題文のアルファベッドをなぞってみる。
「HIJK……L……MNOP…?」
七緒の表情が、ハッと変化したのがわかったのだろう。
「分かった?」
圭太がニマっと笑った。七緒はアルファベットの続きを歌う。
「QRS、T、U、V」
「正解!!」
圭太も問題文に指を置いた。
「アルファベッド順に読むと、抜けているものがある。それを、縦につなぎ合わせて……」
七緒は、シャープペンを手にとって、余白に書き込むと、
「使用教室の一覧、見せてもらえる?」
「ハイ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●音楽室 … 軽音部、有志(演奏)
●視聴覚室 … 広報部(映像展示)
●家庭科室 … 料理部(展示)
●ランチルーム … 演劇部、有志(劇等)
・
・
・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シャープペンの走り書きと、この一覧を見比べた。
抜けているアルファベットは、5つ。
順に、L、U、N、C、H。
そして、右下の ROOM。
だから、答えは……
「lunch。ランチルーム?」
「当たり!!」
「うわー!! うわーーーっ!!」
七緒は、興奮して、抑え気味な歓声をあげた。
「なんか……なんか、すごいね!! 謎解き。解けた瞬間、すごい、スッキリした!!」
本郷が「な? 結構楽しいだろ?」と小さな子供みたいに目をキラキラさせた。
本当に、好きなんだ。
「うん。確かに、面白い。」
七緒は、圭太が作ってきた他の問題にも目を通す。
「でも、ちょっとヒントがないと、苦手な人には厳しいかも。」
「そっかぁ?」
「うん。解くのに時間がかかったら、企画として本末転倒だって、糸川先生も言ってたでしょ?」
もっと簡単そうな問題はないかと探していると、その中の一つに目が留まった。
「これ……?」
代数Xを用いた方程式と、その下に方眼。
方眼のマス目にはびっしりと数字が書いてある。
「これってもしかして、計算結果の数字のマスを塗るの?」
「そう。マスを塗ると、答えの部屋の名前が出てくる。一応、学校の文化祭だし、こういう勉強的な要素があるのもいいかと思って。」
本郷が、「1年でも、解けるレベルにしてあるんだけど、一応、1年のやつらに確認してもらうつもり。」と付け足す。
ジーっと見つめる七緒に、本郷が心配そうに、
「何? この問題、イマイチ?」
「えっと…うん、ちょっと塗るの大変そうだなって。紙もプリントして置いておかないといけないし……」
そんなことを答えながら、しかし、七緒の頭には、この問題が、あのノートに書かれていた問題と酷似していることが、引っかかっていた。
「あのさ、これって……わりとよくある問題? この数字の枡を塗りつぶすやつ。」
「ん? どういう意味?」
「実は………」
七緒は少しだけ迷ってから、昔もらったノートの話をした。あのノートと、それから、そこに書いてあった問題のこと。
「保育園のときにもらったものだから、勿論、こんな数式ではなくて、単純に3を塗るだけなんだけど…」
問題形式がそっくりだったから、と本郷を覗き込むと、なぜか、目を大きく見開いて固まっている。
「どう……したの?」
「いやっ……」
本郷が、口元を手で抑えて、パッと目をそらした。
「何でもねぇ。」
「本郷?」
「あ、うん。えーっと、数字のマスを塗りつぶす問題のことだよな。」
コホンと、一つ咳払いすると、七緒のほうに視線を戻し、
「ピクロスとかも一緒で、塗ると答えや図形が浮き出るのは、形式としては、よくあるよ。特に、この単純に決まった数字だけを塗りつぶすタイプは、簡単だからね。小さい子でも出来ると思う。俺も、保育園のときに読んだ幼児向け雑誌で始めてみたし。」
「幼児向け雑誌……?」
「そう。俺が見たのは、色を塗ると戦隊ヒーローのキャラが出てくるやつだったんだけど。」
すると、あの子も、そういうものを読んでいたのかもしれない。それで、思いついたのだろうか。
「あのさ、それより、その小さい頃に貰ったノートって……」
「ノート? 見る?」
「持ってきてるのかっ?!」
「うん。何かの参考になるかと思って…」
出そうとした七緒を、本郷が「いや、待って!!」と、止めた。
「見なくていい。」
「え? どうして?」
本郷は、手で、口元を覆って、スッと視線を反らした。何か考えているような素振り。
それから、たっぷり間をあけて、ようやく口を開いたかと思うと、
「水無、そのノートに書いてある謎って、全部解けたの?」
おずおずと尋ねてきた。
「ううん。残念ながら…」
七緒は、首を横に振った。
「一番最後の問題だけ、解けていないんだよね。」
本当は、今日、ここにノートを持ってきた目的は、もう一つある。
それは、本郷なら、この謎を解けるのではないか、と思ったからだ。
しかし、その話を切り出すより先に、本郷が言った。
「……解いてあげなよ?」
「え?」
「そのノートを書いた子は、水無に解いて欲しくて……解いてもらうために、その問題を作ったんだ。だから、最後まで諦めずに、水無が解いてやりなよ。」
本郷の目は真剣で、しかも何故な切実なものを感じた。
どうして、本郷がそんなことをーーー?
そう聞くのは、簡単なはずのに、七緒は、何故か言葉にして質問することができなかった。
「俺もさ、こうやって、問題作ってるじゃん? だから、ちょっと分かるんだ、その子の気持ち。」
「作る子の、気持ち……?」
「うん。問題を作るのって、すげぇ頭悩ますし、めちゃくちゃ苦しんで考えるんだけど……でも、解いてくれる誰かのことを…その人が解けたときに見せる顔を想像して、作るんだ。」
本郷が、はにかんだ。その表情が、いつもと違って、妙に幼くみえる。
不意に、どこかで見たようなーーー既視感を覚えるような笑顔。
いや、やっぱりただの見まちがいかしら……?
「そっか……」
七緒は、出しかけたノートを鞄の中にしまった。
作問している人の気持ち。
それは、七緒にとって新鮮な視点で、でも妙に心に残った。
ーーーこの謎が、解けたら……
謎が解けたら、この子は何を伝えたかったんだろう。
「うん。これは、私が解くものなんだね。」
七緒は、まっすぐに本郷を見据えた。
「私、解くよ、ちゃんと。自分の力で。」
「………うん。」
本郷は、優しく目を細めて、柔らかく笑って返した。
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