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5 短冊に願い事
しおりを挟む七緒が、偶然、本郷圭太に会ったのは、委員会の翌々日のことだった。
その日は日曜日で、なくなりそうなシャープペンシルの芯を買うために訪れたショッピングモールで、見覚えのある背中を見つけた。
ついこの前までの七緒なら、確実に、話しかけたりはしなかっただろう。
わざわざ休みの日に、距離をおきたいクラスメイトと会話なんて、絶対に有り得ない。見なかったことにして、早々に、通りすぎる。
でも、今日の七緒は少し違った。一昨日の委員会でのことがあったからだろうか。何となく、話しかけてもいいかな、と思えたのだ。
本郷が眺めていたものに、興味を持ったせいかもしれない。
ショッピングモールのホールには、どこに生えていたのかと思うほどに巨大な笹が飾られていて、見覚えのある背中は、そこにぶら下がった短冊をマジマジと見ていた。
「本郷?」
近づいて、おそるおそる声をかけると、本郷が振り返った。
「……あぁ、水無か。」
ひどく驚いた顔。
「どうかした?」
「あ、いや…水無から話しかけられると思ってなかったから……っていうか、てっきり水無は、俺のこと、怒ってるのかと……」
「怒っては、いる。」
一応、ちゃんと気づいているのね。その認識があるくせに、よくも毎朝、話しかけてくるものだわと呆れる。
「なに? 話しかけないほうが良かった?」
「いや、そうじゃなくてッ!!」
本郷は、慌てて否定してから、少し笑って、「いや、むしろ嬉しいっていうか……」と、頬をかいた。
そう言われれば、さすがに嫌な気はしない。
「七夕の笹を見ていたの?」
「うん。」
近づいて見たら、笹はプラスチックの偽物だった。よく考えたら当たり前だ。まだ七夕まで2週間後以上ある。生の笹を、そんなにずっと飾っていたら、枯れてしまう。
「水無は……買い物?」
「まあね。」
右手に下げた花柄のエコバッグを少し持ち上げた。
「シャープペンの芯が欲しかったんだけど、ノートと消しゴムも可愛くて、買っちゃった。」
余分な買い物をしてしまった罪悪感から、つい、言い訳めいた口調になった。
「本郷は? 一人?」
「俺は、昼飯。父さんも、母さんも仕事でいないから。」
直ぐ側のハンバガーショップを、「あっこで」と、指した。
「それで、食べ終わったついでにブラブラしようと思ったら、これがあって……」
巨大な笹を顎でクイッと指す。
「つい、魅入ってた。」
「この時期には、毎年、飾ってあるよ。」
とはいえ、七緒もここ数年は 、飾ってあるなぁというくらいの認識で、関心をもって眺めたことはない。
本郷と並んで、七夕の笹をみているうちに、解けない謎のことを思い出した。
あのノートの最後のページ。
暗号のような文章。
『これが最後の問題だよ。』
そう書いていなければ、問題とさえも認識できないような。でも、問題と書いてある以上、これも、なぞなぞの一つなのだろう。
何を意味しているのか、さっぱり分からないけれど。
織姫と彦星なのだから、七夕に関係あるのかな、くらいだ。
織姫から彦星に宛てた手紙の形式をとっているようにも見えるが、最後に「負けた」とわざわざ書いているのも解せない。
織姫が買ったなら、彦星は負けだろうとは、推測できるが、それを、わざわざ重ねて強調する意味はなんだろう。
七夕といえば、七緒の誕生日は7月8日。七夕の翌日だ。
保育園の友だちなら、そのことを知っていたかもしれない。一日ズレてはいても、名前の七緒のリンクして、七夕のイメージは強い。
それが何か関係あるのかもしれないと考えたこともあったが、だから、どう答えに繋がるのかはサッパリだった。
すぐ横で、興味深げに笹を見上げる男の子。
「本郷、七夕、好きなの?」
「うん、好き。」
「へぇ……。」
中学生の男子が、喜ぶようなイベントだとは思っていなかったので、はっきり答えたことに少しだけ驚いた。
「アメリカには、なかったの?」
「俺は週末に、日本人の子どものための学校にも通っていたから。」
小学生から高校生くらいの子が行く補習校で、そこでは、日本の文化やイベントを大切にしていたのだという。
「この時期には、いつも七夕してたんだよなぁ。」
「懐かしい?」
「まぁ、ね。」
本郷が帰国子女だという話は知っていたが、本人と直接、こういう話をするは初めてだった。
と、不意に本郷が振り向いて聞いた。
「水無さ、プラネタリウムって、行ったことある?」
「プラネタリウム…? ある……けど?」
最寄りの駅から30分ほど電車に乗ると市営の科学館があって、そこに大きなプラネタリウムがある。
「小さいときに、お兄ちゃんと一緒に、何回か連れて行ってもらったよ。お母さんに。」
「……そうか。」
本郷が頷いた。なぜか、少し寂しそうにみえた。
「俺も昔…まだ日本にいたときに、行ったことがある。保育園の遠足で。」
「保育園の遠足?」
「そう。年長のときに。」
「年長……あぁ、そういえば、私も行ったかも……?」
記憶には、ほとんどないが、卒園アルバムに写真が残っていた気がする。
「それが、ちょうどこの時期でさ、七夕の夜空の話をしてくれたんだよ。」
プラネタリウムは、時期に合わせて、その季節の星空の説明をしてくれる。
とはえい、何回か行っているけれど、内容なんて、ほとんど覚えていない。
「すごいね、そんなに小さいときの話を覚えているなんて。」
「印象的な話だったんだ。すごく……心に残ってる。忘れられない。」
「ふぅん。」
それは、本郷にとって、日本で過ごした幼い日の数少ない思い出だから、なのかもしれない。
自分とは違う文化で生きていたんだなぁなどと思いを馳せていたが、
「……あっ!」
七緒は、急に思い出して、思わず声を上げた。
「このショッピングモールで買い物したら、この短冊書けるよ。お昼ご飯のレシートでも大丈夫。」
笹の向こうに見えるインフォメーションを指して、
「あそこで見せれば、もらえるはずだよ。昔、お母さんと来て、書いたことがある。」
「えっ!マジ!!」
本郷は、そんなにかと驚くほど、嬉しそうに顔をくしゃりとさせて笑った。
「水無も買い物したんだろ?一緒に、行こうぜ?」
「いや、私は別に……って、ちょッ…ちょっと?!」
本郷は七緒の返事も聞かず、腕を引っ張って歩きだした。
ニコニコとした笑顔で迎えてくれた、インフォメーションのお姉さんに、意気揚々とハンバーガーショップのレシートを渡すと、
「ほら、水無も。」
「いや、だから、私は……」
断ろうとしたが、すでに、黄色い短冊を渡そうと手に準備しているお姉さんをみて、七緒は結局、財布からレシートを出した。
「はい、どうぞ。」
胸元のピンクとブルーのストライプのリボンのついた制服を着た、お姉さんは、まるで微笑ましいものでもみるような笑顔で、渡してくれた。
「ありがとう……ございます。」
七緒が、ちょっと恥ずかしいなと思いながら受け取ると、本郷が、「こっち、こっち」と、すぐそばのテーブルに手を引っぱる。
つい、さっき「水無は、怒っていると思った」などと言ったことなんて、すっかり忘れたような強引さで。
「ほんと……こういうところなんだけど……」
七緒が呆れるように、小さくついた悪態は、耳に届いていないらしい。本郷は無邪気に、テーブルの上のペンを手に取った。
でも、不思議と、今日の強引は、そこまで嫌な気はしない。
本郷は黒いマジックを取ると、すぐに腰を屈めて、手を動かし始めた。
七緒も、ペン立てから黒いマジックを手に取り、キャップを空ける。
そこで七緒の手が、つと止まった。
そういえば、七夕の短冊なんて、もう、何年も書いてない。こういうときって、何を書けばいいんだろう。
というか、七夕の短冊って、そもそも何を書くものだっけ?
お願い事?
欲しい物?
目標とか?
受験…は、まだまだ、先のことだし、中間テストは終わったばかりで、一ヶ月近く先の期末テストのことを今から短冊に書くのも違う気がする。
改めて考えてみると、特に書きたいことが何もない。
本郷を横目で見ると、すでに、書き上げた短冊を手に持っていた。
「どうした? 書かないのか?」
「うん……うーん……」
書かない、というよりは、書けないのだけれど。
七緒は、握っていたペンのキャップをキュッとしめた。
「考え始めたら、何かけばいいのか、分からなくて…」
「何でもいいだろ、別に。書くこと自体が楽しいんだから。」
「本郷は? 何て書いたの?」
本郷が黄緑色の短冊をくるりと表に返して、見せてくれた。そこには、
『文化祭が成功しますように。』
一番下に、横書きで、「K.Hongo 」のサイン。
「そっか。企画、通るといいね。」
「さっさと申込みと企画書出せって。糸川先生が。」
本郷は、自分がやりたいこと、成し遂げたいことが、目の前に、明確にある。
それは、「強引な奴だ」と思っていた七緒の怒りが、霞んでしまうほどに、眩しくて、羨ましかった。
私にとっては、なんだろう。
今一番、やりたいこと。
上手く行ったら嬉しいこと。
心にひっかかっている………こと?
七緒は、一瞬、あのノートのことが頭によぎった。
『あの謎が解けますように?』
いや、やっぱり違うな。
なんか、しっくりこない。
しっくりこないし、ここで書いて、事情を知らない本郷に、詳しく聞かれるのも嫌だった。
考えれば、考えるほど、短冊一枚に苦戦する。七緒が、もういいや、何も書かなくて、とペンを置きかけたとき。
「何もないなら、俺が書いていい?」
願ってもない申し出に、七緒は、二つ返事で、「どうぞ」と、黄色の短冊を渡した。
「ありがと。」
本郷はすぐにペンを握って、さらさらお書き始めた。
何を書いているんだろうと、横から覗き込むと、そこには、男の子らしい豪快な字で
『織姫と彦星が無事に会えますように。』
と、書いてあった。
想像以上に可愛らしいお願いに、七緒が思わず笑ってしまうと、本郷が、ムッと唇を突き出した。
「なんだよ?」
「ごめん、ごめん。何か、思った以上にロマンチックなこと書いたから、意外過ぎて笑った。」
本郷にとって意外、ということではない。中学生の男の子にとって意外だ、と思ったのだ。
「別に馬鹿にしたんじゃないよ。」
謝る七緒に、本郷は肩をすくめた。
「いいよ。馬鹿にされたって、構わない。」
「そうなの?」
「俺は毎年、一年に一度しか会えない織姫と彦星を、めちゃめちゃ応援してる。だって、一年に、たった一度のチャンスなんだから、会えないと可哀想だろ?」
あまりにも真剣に言う本郷には、何故か説得力がある。思わず七緒も、「確かに、そうかも。」と頷いてしまう。
「いいよ。これ、私のお願いってことにする。」
七緒は、本郷の手から短冊をスッと抜き取った。
「誰かに読まれたら、ちょっと恥ずかしいから、名前は書かないけど。」
それから、二人で短冊を笹に吊るした。せっかくなので、出来るだけ高いところにと、七緒よりも、背の高い本郷が、七緒の分も括り付けてくれた。
「あのさ……」
本郷は、笹から手を離すと、揺れる短冊を見ながら、言った。
「企画書書くとき、水無も手伝ってくれないか?」
本郷は、いつも強引だ。
こっちの事情も、気持ちも、お構いなし。失礼な事を平気で言うヤツだし……
でも、その本郷が、下手に出て、頼んでいた。
「水無に、力を貸してほしいんだ。」
こちらを向いた本郷が、真剣な目で見ている。真っ直ぐで、純粋でーーー気づいたら、頷かされている。
「………うん。私で良ければ。役に立つかは、分からないけど。」
「役に立つさ。」
本郷の耳がちょっとだけ、赤くなった。照れている。
「……っていうか、役に立つとか、立たないとか関係ない。水無が、いいんだ。」
それまで抱いていた、七緒の中の本郷圭太のイメージが、ここ数日で、少しずつ変わってきていた。
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