桜子さんと書生探偵

里見りんか

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第四幕 解明

28 トワ1

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「すべて……すべて、お話します。私と、園枝有朋そのえ ありともさんのこと。」

 覚悟をを決めたトワは、両手を握りしめ、真っ直ぐ前を向いた。

*  *  *

 トワの人生は、小汚い長屋に上がる小さな産声で、大きく変わった。

 身体の大きなトワから産まれたのは、枯れかけた小枝のように細い男の子。

 出産という大仕事を終え、浅い呼吸を繰り返すトワの横に、産婆が白い布に包まれた赤子を置いた。

「……息……してますか?」
「なんとかね。」

 トワは横になったまま、震える手を御包みに伸ばした。布を少し払ってやると、赤黒い頬の顔が見えた。

「小さく産まれたからねぇ。生きられるかどうかは、本人次第。」

 その言葉にドキリとしたが、やがて現れた長身の男性がトワの心の緊張を解いた。

「トワッ!?」
「有朋さん……」

 起き上がろうとするトワの横に、有朋が近寄って、

「無事に産まれたようだね。」
「えぇ、男の子です。」

 トワの妊娠中、有朋は、ほとんど会いに来てはくれなかったけれど、産婆を用意してくれた。

 有朋は、園枝家の跡継ぎ。
 身分が違うのだ。多くは望まない。

 心配してくれた。顔を見に来てくれた。たった、それだけで、トワは十分に愛情を感じられるのだ。

「産まれたての赤ちゃんというのは、随分と小さいんだね。」
「予定より少し早いみたいです。無事に育つといいんだけれど……」
「身体が弱いのかい?」

 刹那、有朋の顔が曇った。

「いいえ!そんなことないわ。」

 反射的に、トワは否定した。

「予定より早く産まれたから小さいだけで、成長すれば、他の子と何も変わらないわよ。」

 根拠はない。ただの希望。
 でも、有朋の顔が怖くて、咄嗟にそう答えるしかなかった。

「そうか。それなら、いいんだ。」

 布団の上のトワの手に、有朋の手が重なる。硬く、ささくれ立ったトワの手とは違い、細くてスベスベとした綺麗な指。

「君も、ちゃんと休むんだよ。」

 有朋がトワの頭を引き寄せ、ギュッと抱きしめた。温もりが伝わってくる。愛されているのだ、と実感する。

「また来るからね。」
「えぇ。」

 去っていく有朋の背を、小さな赤子を胸に抱いて見送った。


 思えば、これが人生で、一番幸せな日の記憶。


◇  ◇  ◇


ーーーあの子、ご祖先さまに天狗がいるからね。

 それが、幼い頃から、決まってトワに向けられる嘲笑だった。

 トワは背が高い。しかも、ただ大柄なだけではなく、頬も顔も体格も、全体にゴツゴツとしている。おまけに鼻は、大きな鷲鼻。

 母は、至って地味な田舎の村の女だが、父はトワと同じように大柄だった。それでも、男の大柄は良い。アレコレ言われることがないどころか、力も強く、村にとって大事な戦力だと持て囃された。

 それが、女のトワだとまるで違う。

 父が死んでからは、特にひどかった。

「女のデカいのも悪くはないが、限度ってもんがあるわなぁ。」
「あんな女、抱けるもんか。」
「おい、ちょっとお前、試してみよろ。」

 そんなことを、面と向かって言われるのだ。

 次第に、村の人間たちと疎遠になり、トワは母と二人、身を寄せ合うようにして暮らしていた。

 その母が死んだとき、トワは村を出ることにした。

 最初は女工。
 製糸工場の働き手の募集があると、村々を回って人を集めていた口入屋についていった。

 製糸工場での仕事は朝早く、夜遅い。体力のあるトワにとって、睡眠時間が少ないことは、まだ我慢ができた。
 しかし、朝から晩まで、小さな椅子にギュウギュウと押し込められるように座らされるのが辛かった。

 トワの身体の大きさと、製糸工場の女工のための設備が合っていないのだ。

 早々に、身体を痛めて辞めた。

 それから、帝都に出てきた。

 帝都は、村よりもずっといろんな人がいて、皆、それぞれの事情を抱えている。むしろ、田舎で抱えきれなかった事情を吐き出しに来ているのではないか、と思うほどだ。

 それは、トワにとって、居心地が良いことだった。

 運良く、住み込みで働く料亭の裏方の仕事を得た。裏方といっても、完全な雑用。だが、力仕事は得意だから適職だ。

 孤独だった。でも、誰にも誹りを受けることはない。

 時々、同僚の継男つぐおという男がちょっかいをかけてきて、それが少々鬱陶しかったが、大部分の人間は、トワのことなど関心がない。

 帝都の片隅で、トワは、ようやく自由になれた気がした。


 園枝有朋と出会ったのは、その料亭だった。
 めったに客の前に姿を見せないトワが、たまたま番頭さんに用事があって、表に出ていったとき。

 有朋曰く、「一目で気に入った」らしい。
 最初、トワは、有朋が自分を馬鹿にしているんだと思った。

 こんな身体がでかい、奇異な顔の女に、本気で興味があるわけがない。

「お客さん。馬鹿にするのは、よしてくださいな。」

 何度も断るトワを、有朋は熱心に口説いてきた。

 曰く、

「君ほど、綺麗な人は見たことがない。」
「君を見ると、他の女なんて、みんな、カボチャか大根みたいだ。」
「君を想うと、胸の高鳴りを抑えられないんだ。」

 あるときは手紙をもらい、あるときは、「逃さないよ」と、直接、腕の中に閉じ込められるようにして。

 そんな言葉を繰り返し告げられているうちに、トワもだんだん絆されていった。

 身体の関係をもつようになって、少し経った頃。

「私は、あんなに君に恋文を送ったのに、君は一度も返してくれなかったね。」

 少し拗ねた顔が可愛らしくて、素直に謝った。

「ごめんなさい。わたし、ほとんど文字を書けないんです。」

 田舎にいた頃も、学校には、まともに通っていない。

「仮名と簡単な漢字は読めますが、書くのはほとんど……」
「そうだったのか!?」

 悪かったと謝る有朋は、次の日からトワのために字を教えてくれた。

 一字、一字、丁寧に。有朋のように、流れるような美しい字ではない。けれどもトワは、子どもの手習い程度の文章が書けるようになった。

「どうして、私なんですか?」

 一度、有朋に聞いてみたことがある。

「もっと綺麗な方も、可愛らしい方もたくさんいるのに……」

 デカくて、女らしくもない。独特の彫りの深い顔は見る人によっては、怖いと感じるだろう。

「そんなことを言わないでくれ。」

 有朋は、トワの高い鼻先を愛でるように触れ、

「華奢な人にも、可愛らしい人にも興味はない。私にとっては、君が一番素敵なんだ。」

 溶けるように甘い顔で言われると、これは全部、夢なんじゃないかと思ってしまう。

 しかし、後日、期せずして、有朋の言葉が本当だと知ることになった。
 夜の街で、女と肩を並べて歩く有朋を見たのだ。腕を組み、絡みつくように身体を寄せ合う二人。

 その女は、トワほどではないが、やはり背が高く、がっしりとした身体つきの女だった。

 顔を白い銅藍で塗った女は、目鼻立ちをはっきりとさせるような、濃い化粧を施している。人目を惹く華やかな出で立ちは、舞台女優か何かなのだろう。

(本当に、あぁいう人が好みなんだ。)

 有朋の言葉に嘘がないのだ、私に向ける言葉は本当なのだ、と自らに言い聞かせた。

(本当なんだから、いい……。何も不安になることなんかないじゃない。)


 有朋は初めから、期待させるようなことは言わなかったから。

「君を一番愛しているが、結婚はできない。」

 園枝有朋は、園枝財閥の跡取りとしての責務がある。結婚は、家同士の有益な結びつきでするべきだし、妻には、身分に相応しい教育を受けた人間を求めている。

「だが私は、絶対に君を捨てることはない。もし私が結婚しても、私たちの関係は何も変わらないからね。」
「……分かっています。」

 有朋は、「ありがとう。」と、頬に口づけした。

「君のその、聞き分けがいいところが大好きだよ。」

 そう言って、唇を首筋から肩へと這わせる。女性にしては逞しすぎる肩を、愛おしくてたまらないと、愛でながら。


 財閥の奥方が自分に務まるはずもないことなど、わかっている。でもーーー

 どれだけ言葉で「一番」をくれても、この人を本当の意味で手に入れることはできないのだ。
 有朋に抱かれながらも、そのことを思うと無性に悲しくなった。


 多少の不安はあったが、それでも愛を育んでいるうちに、トワの身体に新たな命が宿った。

 有朋にそのことを伝えると、有朋はとても喜んだ。

「トワ、ありがとう! 丈夫な子を産んでくれ!!」

 有朋は、早速、産婆を手配してくれた。

「きっと、トワの子だから、大きな女の子だな。」

 などと言って、目を輝かしていたが、実際に産まれたのは、男の子だった。それも、十月十日経たずに産まれたせいで、身体が小さい。

 有朋の目に、一瞬だけ落胆の色が浮かんだのを、トワは見逃さなった。

 男の子は、つよしと名付けられた。

 強く、大きくなるように。

 今後、正式に産まれるであろう園枝家の跡継ぎに配慮して、「一」や「太」という字は使わなかった。

 有朋は、期待していた大きな女の子ではなかったが、剛を粗略に扱ったりはしなかった。一応、息子として認めているのだと思った。

 トワのことは、子どもが産まれる前と同じように、大切にしてくれる。

 そんな関係がしばらく続いた。


 恐れていたことが起きたのは、剛が5歳になる頃だ。

「縁談が持ち上がった。」

 トワの家に着くなり、有朋がいった。

 あぁ、ついにその時が来たんだ、と思った。

 トワはグッと下唇を噛んだ。正座したまま、両手を重ねて床につき、頭を下げた。

「おめでとうございます……」

 指先の震えを恐れないように、床についた手の上から、反対の手で、ぐっと抑え込んだ。

「トワ……」

 有朋の手が、俯くトワの頬に優しく触れた。

「前から言っているように、正妻を迎えても、君たちを見捨てるようなことはしないから安心してほしい。」

 西洋彫刻のように美しい顔で、微笑んだ。

「ありがとう…ございます。」

 剛が寝ていて良かった、と思った。

 見捨てる、だなんて言葉を聞かせないで済んだから。

 見捨てられるかもしれない立場。
 見捨てられたら、生きていけない立場。


 有朋が優しさでかけた言葉が、トワと剛の立場の弱さを浮き彫りにさせる。

「剛のことは、家の方には伝えていないけれど……それでも、君たちは私が守るからね。」
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