桜子さんと書生探偵

里見りんか

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第一幕 事件

12 後味の悪いティーパーティー

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 よく晴れた日だった。

「しかし、洒落た屋敷ですねぇ。」

 横を歩く新伍が、物珍しそうにキョロキョロ見渡しながら言った。

「なに。大したことありませんよ。」

 前を歩く園枝有朋そのえ ありともが、いつも通りの、人当たりの良い口調で、謙遜した。

「それにしても、わざわざ有朋さんご本人様が門前までお出迎えになるとは、思いませんでした。」
「大切な客人ですからね。私も、まさか、書生さんがお供についてくるとは、思いませんでした。」

 はははと、華やかに笑う。
 園枝家からの呈茶の招待。今日がその約束の日。桜子が、新伍とともに、園枝邸を訪れると、有朋が門まで迎えに来て、中庭まで案内するという。

「あの……有朋さん、申し訳ありません。他の使用人の予定が合わなくて。」

 これは嘘。
 女一人で行くつもりはなかったが、あえて新伍をお供にと決めたのは、父が決めたこと。

「いえ、桜子さんが謝ることでは、ありません。」

 それから、新伍のほうに視線を投げて、

「貴方は、三善中将みよしちゅうじょうのお宅の書生ですね? 三善中将は、軍部の有力者だし、たとえ書生とはいえ、それほどまでに湖城さんの信を得ているのなら、一廉の方なのでしょう?」
「買いかぶりですよ。たまたま、手が空いていただけです。」

 新伍は肩を竦めて、

「私は、ただの桜子さんのお供ですから、どうぞ、気になさらずに。」

 と言いながらも、新伍は、スッと有朋の横について庭や、その奥に見える館を指しては、「あれは、何ですか?」と、熱心に尋ねる。

 有朋の方も、自慢の屋敷について尋ねられるのは、悪い気がしないようで、「我が家は完全に洋式建築で建てていまして……」と、得意げに説明していた。

 二人の少し後ろを歩いていた桜子だったが、ふと、見知った姿を見つけた気がして、思わず足を止めた。

「あれ……?」

 急に止まった桜子に、気づいた新伍が、振り返る。

「どうしました?」
「いえ、今、知り合いがいた気が……」

 もう一度そちらを見たが、誰もいない。

「知り合い、ですか? 園枝家のお客人に?」
「あ、いえ……気の所為だったかもしれません。」

 桜子が新伍と有朋に詫びる。

「さぁ、急ぎましょう。会場は、すぐそこです。」

 再び、有朋の先導で辿り着いたのは、徹底的にこだわり抜いて作られた洋風庭園だった。その庭木に囲まれるように、白いテーブルセット。
 有朋が、くるりと振り返り、手を広げた。

「ようこそ、我が家のティーパーティーへ。」

 まるで美しい令嬢を紹介するときのように、優雅に腰を折っている。

「ティー……パーティー?」
「西洋式のお茶会のことです。」

 待ち構えていた女給が、桜子のために「どうぞ。」と椅子を引く。猫のような目をした女給は、左目の下に、見覚えのある泣きぼくろ。

 テーブルには、どこからどうやって集めたのか、いろとりどりの西洋の菓子が並び、そのむこうで、菓子に負けず劣らず、甘やかに微笑む有朋がいた。

「すごい……」

 その反応に満足したように、有朋が微笑む。女給が3人のカップに紅茶を注ぐと、ティータイムが始まった。

「先日は、夜会にいらしていただき、ありがとうございました。」

 まずは有朋が、主催者らしい紳士的な礼を述べた。

「随分と踊られていたようですが、お疲れにはなりませんでしたか?」
「いえ。とても楽しい晩でした。」

 足を痛めていたことなど、おくびにも出さずに答える。

「桜子さんは、踊りがお上手ですね。」
「習っていましたので。」
「どうりで。どちらの先生ですか?」

 さすがに有朋は、会話が上手く、話が途切れることがない。次から次へと桜子に質問するし、こちらが答えれば、興味深げに頷く。
 話しやすい人、というのは、こういう人なのだろうと思う。誰にでもこんなふうなら、さぞかし女性に人気があるだろう。

 主に、有朋と桜子が話しているのを、新伍が、ただ横で黙って聞いているという時間が、しばらく続いた。

 すると、今度は、有朋が新伍に話を振った。

「五島さんは、西洋文化に興味をお持ちですか?」

 手持ち無沙汰な様子の新伍に対する気配りだろう。

「えぇ、まぁ。」

 新伍が微笑んで頷くと、

「やはり!! 屋敷や庭園のことを、熱心に質問されていたので、そうではないかと思いました!」

 有朋自慢の洋館は、この中庭からも、よく見える。見たこともないような西洋植物の向こうに広がる景色は、まるで違う国にいるようだ。

「これだけ見事な洋式邸宅、設計者もですが、建てる大工を探してくるのも大変でしょうね。日本建築とは、まるで建て方が違うと言いますし。」

 すると、有朋が嬉しそうに、「分かりますか?」と聞き返す。

「留学していた頃の伝手をたどり、向こうから人を呼んだのです。」
「ほう、どうりで。留学は、どちらにされていたのですか?」
「パリです。」

 有朋は、ひとしきり、留学先での出来事や、いかに西洋文化が先進的であるかを語って聞かせた。

 もともと話上手な人ではあるが、熱に浮かれたような話しぶりに、桜子は、少なからず驚かされた。と、同時に、夢物語を聞いているような心持ちの桜子の隣で、相槌を打ち、時折、質問を挟む新伍の博識ぶりも、大したものだった。

「お二人の話を聞いていると、パリというのは、とても素敵なところなんですね。」

 そんな気の利かない相槌を打つ桜子に、有朋が、「えぇ、本当に、そうなんですよ!」と前のめりに同調する。

「今度、パリ万博もありますし、そのときには、桜子さんも一緒に……」

 と、熱っぽく語っている有朋の後ろに、園枝家の家令らしき男が、スッと近づいてきて、「すみません」と、何かを耳打ちした。「ふん、ふん」と頷いていた有朋だったが、

「すみません、桜子さん。ちょっと急な仕事の連絡が入りまして、中座をお許しください。」
「いえ。私たちも、そろそろ……」

 お暇を、と腰を上げようとしたのだが、有朋は、

「どうぞ、もう少しだけ、お付き合いいください。五島さんにも、舶来の珍しい物をお見せしたいので。」

 熱心に、そう留められて、仕方なく腰を下ろした。

 有朋が、「すぐに戻りますから」と席を立つと、隣から突然、「くくッ」と息を漏らすような声がした。
 新伍が笑ったのだ。

「園枝さんというのは、随分と西洋文化に傾倒している方なんですね。」

 少し離れたところに控えている女給たちに聞かれるのを憚ってか、声が小さい。

「えぇ。でも、五島さんも詳しくて、驚きました。」
「僕は、ただ詳しいだけです。園枝さんの相当なご執心ぶりに比べれば、大したことはありません。あれは、少し滑稽な程ですね。」
「滑稽?」

 穏やかではない単語に、桜子も一段声を落とす。と、新伍が、フイッと、植栽の向こうの白亜の館に視線を向けた。

「僕は、三善中将や藤高少尉の家のような日本家屋も、松や梅が植わる庭も、結構好きだなぁと、思いまして。」

 確かに、湖城の家も、一見すると洋館だが、奥には畳を引いた和室もある。そういう部屋は、案外寛いだ気持ちになるものだ。

「それに、園枝さんは、桜子さんのことも、随分とお気に召しているようですね。」
「お気に召して……というのは?」
「園枝の嫁に迎えたいと、お考えなのでしょう。」
「えっ…!?」

 確かに、有朋の態度は、桜子に対し、かなり好意的ではある。だが、そこまで言い切るほど、あけすけだったかと、戸惑う。

「あの……そんなに積極的にみえましたか?」
「園枝さんのところに嫁ぐのは嫌ですか?」
「嫌というか……」

 優しいのは分かる。丁重に扱ってはくれるだろう。

 でも、好きにはなれない。

 それは、その優しさが、桜子にだけ、格別に向けられているわけではない、と知っているからかもしれない。

 そして、何より、新伍からそんなことを断言されるのも、なぜだかあまり良い気がしなかった。

 桜子がいいかけたまま、言葉を切ったから、二人の間に、沈黙がおりた。


 そのときだった。

「キャーーーーッッッ!!」

 突如、甲高い悲鳴が、屋敷中に響き渡った。

 新伍が反射的に立ち上がる。

「見て来ます。」

 その袖口を、桜子は咄嗟に掴んだ。

「待ってください。私も。」
「いえ、なりません。桜子さんは、ここに。」
「でも……」

 あたりを見回す。
 ここにいるのは、給仕をしていた女中たちだけ。突如あがった悲鳴に、どうするべきかと、皆、ただ右往左往している。

「私は、何者かに有朋さんとの結婚を反対されているのです。脅迫状も貰いました。ここに一人残るのは、嫌です。」
「……わかりました。では、私から離れないで。必ず指示に従ってください。」
「お約束します。」

 新伍が、泣きぼくろの女中に、「声がしたほうに何があるか分かりますか?」と聞くと、震える手で指をさし、

「薔薇園と温室が……」
「温室?」
「有朋さまが、新しく始める事業の研究のために建てられたのだとか。何でも、季節に関係なく、いろんな植物を育てられる小屋のようなものだと……私たちは近づいたことがないので、詳しくは分からないのですが。」

 二人は、不安げな顔の女中たちを置いて、声のしたほうへと急いだ。

 すると、ちょうど反対から、帽子を目深に被った男が足早にやってくるのが見えた。

 その背の高い男とすれ違った瞬間、

「藤高少尉?!」

 新伍が呼び止めた。

 男は足を止め、クルリと振り返ると、帽子のひさしをあげた。

「桜子さんと……五島さん?」

 いつも無表情の藤高貢が、酷く驚いた顔をしている。新伍が、

「藤高少尉が、どうして、こちらの屋敷に?」

「先日の夜会で忘れ物をしまして、こちらで預かっていただいていたので……いや、私のことは良い。あなた達こそ、なぜここに?」
「桜子さんが、園枝有朋氏に呼ばれたのです。私は付き添いで。」

 有朋が自分と同じ、桜子の婚約者候補だったと思い出したらしい。

「あ……あぁ、そうでした。この人も、そうでしたね。少し動転していました。」
「先程の悲鳴は、何かあったのですか?」

 立ち話の間にも、数名の使用人が行ったり来たりしている。

「温室のほうに様子を見に行こうと思うのですが。」
「様子を見に?」

 桜子が、新伍の後について行こうとしているのだと気づいた貢が、すっと桜子の前を横切るように手を伸ばした。

「五島さんはともかく、桜子さんは、これ以上進まれないように。」
「私? なぜですか?」

 貢は、しかめっ面のまま、眉間に手を当てた。
 それから、低く唸るような声で、


「園枝……有朋氏は、亡くなりました。」


「えっ?!」

「何者かに、殺害された可能性があります。すでに警察には連絡しており、間もなく到着するので、私は、出迎えに行くつもりです。」

 貢の言葉を聞くや否や、走り出す新伍。桜子も反射的について行こうと、駆け出そうとした瞬間、がくんと身体が揺れる。

「キャッ!!」

 貢に腕を掴まれていた。

「行ったでしょう? 貴女は駄目です。」

 貢が、細い目で睨みつける。

「貴女が見るものではありません。」

 先を走っていた新伍が振り替えって、叫んだ。

「藤高少尉ッ!! 少しの間、桜子さんを、お願いします。」



 そこからは、怒涛の午後だった。
 貢は、程なくして到着した警察官の一人に桜子を託し、また現場に戻り、その場にいた者は皆、代わる代わる話を聞かれた。

 警察は、事件か事故かハッキリしないような物言いをしていたが、そう時間を置かずして、桜子は関係がないという結論に達したらしく、家に帰っていいことになった。

 聴取が終わる頃、イツと時津が迎えに来た。

「お嬢さまッ!!」

 半泣きのイツが抱きついた頃には、ヘトヘトで、身体を支えてくれるイツの体温が心地よかった。

 時津が、桜子の髪、顔、腕から手へと丹念に取って調べる。

「お嬢さま、お怪我はありませんか?」
「うん。私は大丈夫。」

 それで、見たことないほどに青ざめていた時津の顔が、ようやく安堵で緩んだ。

「五島さんが、戻って来ないの。」
「あとは私に任せ、お嬢さまは、イツとお屋敷にお戻りください。」

 それから、イツのほうを向いて、

「イツ、乗ってきた人力車を待たせてある。」
「はい。」

 イツに付き添われ、門の前まで歩く。来るときには瀟洒で素敵だと思った洋館が、今は暗く哀しみに沈んでいる。

 イツがポツリといった。

「先程、時津さんが言っていたのですが、本日は、いつきさまも、たまたま、こちらにいらしていたのだとか。」
「え? 樹兄さまが?」

 全く見かけなかったが、屋敷の中だろうか。

「ご商売のことで来ていたそうで、事件に遭遇し、今も別のところに留め置かれていると聞きました。」
「そう……なの。それは、心配ね。」

 イツが固い表情のまま、頷いた。

「ともかく、桜子さまだけだも、お帰りになれて、良うございました。帰ったら、温かいお風呂を入れますから、今晩はゆっくり休みましょう。」

 イツが、不安な表情を押し殺すように、必死で桜子に微笑みかけている。

「ありがとう。」

 桜子は、イツに付き添われ、重い身体を引きずるように、この、悲しみに満ちた白亜の洋館を後にした。



 新伍が帰って来たのは、その晩遅く、日付が変わる頃だった。
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